『ごめんなさい。今日は、友達と食べる約束をしたので一緒にお昼をとれなくなりました』
送信ボタンを押して、携帯を閉じた。
ガサガサと音を立ててビニール袋の封を開ける。ぱくりとパンに齧り付いた。
「あー……私、何やってんだろう」
誰も居ない裏庭で、コンビニで買ってきたパンを一人で食べている。
友達との約束なんて、もちろん嘘だ。
あれ以来、鉢屋先輩とは会っていない。他の先輩たちと会えば、必然的に鉢屋先輩と接触する可能性があるので、あの四人全員と会えなくなってしまった。
鉢屋先輩の彼女の言い分を律儀に守っている自分の馬鹿さに呆れもするが、けれども、女の嫉妬は怖いものだ。自らで警告をしに来たということは、それを守らねば何が起こるか分からないほど限界に来ていたということだろう。
「……本当に、どうしようかな」
友達に相談すれば、親身に解決策を教えてくれるかもしれないが、それが切欠で先輩たちの耳にまで入ったら、それはそれで問題だ。出来れば、誰にも知られたくない。誰にも迷惑を掛けたくない。そう思うと、避ける以外の解決策が思い浮かばなかった。
むしろ、なぜ他人の恋愛ごとで、こんなに頭を悩ませなければならないのか。恋愛ごとは当人で解決してくれと言ってやりたい。本当に色恋沙汰は面倒なものだ。
「お前、こんなところで一人で何をやっているんだ?」
「!?」
急に声を掛けられて呆然としていた私は、手にしていたパンを落としそうになって慌てて両手で抱えなおした。
「し、潮江先輩?」
気を取り直して顔を上げれば、怪訝そうな顔をした潮江先輩が居た。
「飯か?」
「は、はぁ」
私の手の中にあるパンを見て、そう告げてきたのだが、眉間に皺を寄せている。
むしろ、先輩こそ何でここに居るんですか。折角の隠れスポットだったのに。
「なんで、こんなところで食ってるんだ?」
「え、ええと……」
核心を突かれるとは思っていなかったので、曖昧な笑みで誤魔化した。
「まさか、いじめか!?」
「違います、そんなことある訳ないじゃないですか! 今日は偶然に一人だったんです!」
今日は、他の女友達とカリキュラムが合わない曜日なのだ。だから、毎週この曜日は、先輩たちと一緒にランチをするのが定番になっていたのだ。
けど、今はそれが無理なので、こうして一人ランチをしているというわけなのだが、そこまで細かく説明する必要もないので先ほどの台詞を述べておいた。
「だったら、うちのゼミ室で食うか?」
「……いえ、私、経済学の人間じゃないですし」
一度、三木ヱ門に連れられて潮江先輩のいるゼミ室を訪れた事があるけれど、知らない人がいっぱいで緊張したのを覚えている。
「ついでに、後輩のレポの見直しを手伝ってくれると助かるんだが」
「なんで、私がそんなのに付き合わなきゃならないんですか!?」
私は文系の人間なんで、理系の内容なんて未知の世界です。
「それより、潮江先輩はご飯食べないんですか?」
「あぁ、さっき食ってきた」
「はやっ!」
「それで、静かなところを探していたらお前に出会ったんだ」
そう告げて、手にしている紙の束を見せられた。
だから、人が来ないこんな裏庭で出くわしたのか。
「食べ終わったら、直ぐに退きますんで」
「いや、別にいい。気にせず食べろ」
そう告げて、先輩は何事もなかったかのように私の隣に座って、紙面に目を通し始めた。
今更、動く事もできないし、食べかけのパンを持ってうろうろするのもなんなので、言葉に甘えて食事を再開させる事にした。
◇
「……今日も、一人か?」
「え、あ、はい」
先週と同じように、コンビニの袋を手にぶら下げて裏庭にやってきたら、既に先客が居た。
潮江先輩だ。先週に引き続いてレポートの見直しをやっているのだろうか。
大学でも後輩の面倒を見ているんだから、案外といい人なんだよねぇ。
「私、他所で食べますね」
幸い、まだ食事を始めていないので、先週みたいに動けない事もなかった。
邪魔をしては悪いと思い、そう告げると、潮江先輩が不思議そうに眉根を寄せた。
「なんでだ? ここで食べればいいだろう?」
「お邪魔かなと、思いまして」
「別に気にしない。座れ」
そう告げてベンチをぽんぽんと叩くので、時間も勿体無いと思い、素直に横に座らせてもらう事にした。
今日はおにぎりにしたのでビニールを捲って両端を引っ張る。
三角山の天辺を齧った。もぐもぐと噛んで咀嚼する。
しかし、奇妙な図だ。
先週も思ったけれども、食べている間、会話らしい会話は全くない。先輩は先輩で資料に集中しているし、邪魔をしてはいけないと思っている私は、ご飯を食べるのに集中して話しかける暇はない。
けど、この沈黙も不思議と不快ではないと思うのは、高校時代の先輩を知っているからだろう。三木ヱ門に嫌々つれてこられて予算の帳簿の手伝いをさせられた苦い出来事も今では懐かしい思い出の一つになっている。
ぎゅるるるるる
すると、なんとも盛大な虫の音が響いた。
ご飯を食べている最中なので、私のお腹の虫ではない。ということは、潮江先輩の腹の虫だろうか。
チラリと視線を向けると、先輩と視線が合った。
恥ずかしそうに頬を染めて、顔を逸らした。やっぱり、先輩だったんだ。
「まだ、お昼食べてないんですか?」
「い、忙しくてな!」
確かに何センチあるんですかと問いたくなるような大量の紙の束を見れば、多忙さも納得できるけど、昼抜きは辛いんじゃないだろうか。しかも、私が目の前で堂々と食べているわけだし。
「先輩、鮭とか食べられますか?」
「は? 何でも食うが……」
「良かったら、これどうぞ」
ガサゴソと袋から取り出したのは、鮭おにぎりだ。
それを、先輩の前に差し出した。しかし、先輩はポカンとした表情を浮かべている。
「あ、私、この後の授業は残り一個だけなんで、これ一個でも平気ですから。それに、お菓子も買ってますし」
そう告げて、もう一つの袋を持ち上げた。
すると、先輩は、おずおずと手を差し出してきた。なので、はいとその手のひらに乗せた。
「す、すまない。代金は後で支払う」
「別に気にしなくてもいいですよ」
「いや、お前に奢ってもらう義理もない」
「そうですか」
そういうところは律儀なんだぁと心の中で感想を漏らしながら返答すると、何故か先輩は慌てだした。
「嫌だとか言ってるわけじゃないぞ! 女に奢ってもらうのなんて、カッコ悪いじゃねぇか……!」
「ぷっ、あはは!!」
「笑うな!」
「ははっ……そういうのは、気にしなくてもいいと思いますよ」
潮江先輩って思っていた以上にいい人かもしれない。
久しぶりに、お腹の底から笑ったような気がした。
冴えない現実の中で