「ほんっとに美味しい」
口に含んだスポンジは柔らかく、生クリームは丁度良い甘さ加減。舌触りも抜群。道理で夕方に近いこんな微妙な時間帯でも、客が多いはずだ。
「うん、本当に美味しいねぇ」
パクリパクリと口に含みながら目の前の男は嬉しそうに告げる。本当は甘党なんじゃないかと疑いたくなるほど、見事な食べっぷりだ。
「それも美味しそう」
タカ丸が食べているのはショコラフォンダンだ。中の生チョコが凄く美味しそうに見える。
どうして人が食べているものって美味しそうに見えるのだろう。不思議だ。
「ん? 食べる?」
「食べる」
食べてみたかったので素直に頷いた。すると、タカ丸はフォークで切り分けて差し、それをそのままこちらに寄越した。
「あーん」
「自分で食べるからいいよ」
「あ、ほら、早くしないと落ちちゃう!」
「うわっ」
落としては勿体無いと、先ほどの羞恥を捨て、慌てて目の前のそれを口に運んだ。途端に広がるカカオの甘い香りに自然と頬が緩む。
「んー、おいひい〜」
「でしょー、来て良かったねぇ」
そんな私の様子を見て、タカ丸も嬉しそうに笑った。
いつもならば文句の一つも上げるところだが、私もお腹が甘さで満たされたせいか心も甘くなったようで、素直に頷いてティーカップに口を付けた。
ここは紅茶も美味しいようだ。丁度いい香りと味が口の中に広がる。
「しあわせ〜」
「僕もしあわせ〜」
私の口調を真似るように、タカ丸が復唱した。
食べ物は、本当に心理に多大な影響を及ぼす。お陰でここ最近の疲労がいっぺんに吹き飛んだ。テスト終了直後に誘ってくれたタカ丸をたまには褒め千切ってやろう。
そう思って、視線を前方に向けた。しかし、ギクリと体が固まった。
幾人の女性の輪の中に、その人はいた。
向こうもこちらに気づいたようで、隣の人に何か告げてから席を立ち上がった。
そして、その唇に笑みを浮かべて近寄ってきた。
「奇遇ね」
鉢屋先輩の彼女だ。相変わらず露出度の高い服を着ている。周りの目が自然と彼女に集まっている。それを彼女も自覚してるのか、仕草もどこか女らしさを感じた。
「……はい」
一気に気分が落ちた。さっきまで食べていたケーキの味すら忘れてしまいそうな不快感が心中に溢れ出てくる。
「知り合い?」
タカ丸が、訝しげな様子で私に尋ねてきた。確かに彼女とは知り合いだが、この場合はどう説明すればいいのか分からない。
「あら、彼氏?」
笑みを浮かべてそう告げてきた彼女は、けれども、探るような視線を向けてきたので、きっと私の回答如何で本当に鉢屋先輩となんでもないか確認するつもりなのだ。
けれども、肯定できるはずもない。タカ丸は、彼氏じゃない。高校からの友達だ。私が嘘を告げれば、彼に迷惑をかける。
目の前の彼女は、なんと苦しい選択肢を用意してくれたのだ。
「………………」
「彼氏です」
そして、しばしの沈黙の後、タカ丸が笑顔でそう告げた。
私は吃驚して彼を見つめてしまったけど、ニコニコと笑顔を浮かべていて意図が汲み取れない。
「ね?」
「う、うん」
有無を言わせぬ笑顔だったので、思わず頷いてしまった。
もしかして、タカ丸は何かを感じ取ったのかもしれない。だから、嘘に付き合ってくれるのだろうか。
「ふふ、そうなの。お似合いのカップルね」
「えへへ、ありがとうございます」
すると、先ほどとは全く違った綺麗な笑みを彼女は私たちに向けた。
それが、私が彼女の視界から外された事を示していて、これで先輩たちを避けなくてすむんだと悟って胸を撫で下ろした。
「お邪魔しちゃ悪いから、あたしはこれで失礼するわね」
そう告げて彼女は席に戻っていった。
彼女が席を離れたのを見届けて、詰めていた息を吐き出した。心臓に悪い。
「」
「うん、ごめん。後でちゃんと説明する」
タカ丸に名前を呼ばれて、私は顔を上げて微苦笑を浮かべた。
カップに残った紅茶を飲んだが、渋さだけが舌に残った。
◇
「三郎君の彼女?」
「うん、そう」
カフェを後にして、送ってもらう為に車に乗り込んだ。その車中で先ほどの出来事の発端を説明した。
「嘘でしょ?」
「え?」
「だって、三郎君に彼女がいるはずないもん」
「いや、いるんだからいるんでしょう」
現にあの人は、鉢屋先輩の彼女なのだ。私に嘘を付いてまで彼女であると主張しても何のメリットもない。だから、彼女が鉢屋先輩の恋人だというのは、本当のことだろう。
「でも、うん、分かった。だから、さっきの人は、に絡んできてたんだね」
なにやら一人で納得して頷いている。こっちとしては意味が分からなかったので、前を向いたまま運転している彼の横顔を訝しげな様子で見つめたが、答えは得られなかったので私も顔を元の位置に戻した。
「簡潔に言えばそういうこと。本当に可笑しな話でしょう?」
「それだけ、あの人も必死だってことじゃないの?」
「必死って……」
恋人同士なのだから、必死になる必要性などどこにもないと思う。鉢屋先輩を奪うつもりなど全くない。鉢屋先輩も彼女がいるのだから、私の事などただの後輩としてしか見ていないに決まっているではないか。
「恋愛って、本当に難しい」
はぁとため息を吐くと、タカ丸の苦い笑いが聞こえてきた。
「あ、さっきはありがとう。お陰で助かった」
あの時、タカ丸が機転を利かせて嘘を付いてくれなかったら、私は確実に疑われていた事だろう。これで、万事解決だ。
「……うん」
「これで、漸く先輩たちと話せるよ」
不破先輩に何かお勧めの新作本がないか聞きたかったし、鉢屋先輩とはドラマの話の感想会の続きをしたかったし、竹谷先輩に借りた動物写真集返さなきゃいけないし、久々知先輩には豆腐が美味しい店を教えて貰う約束してそのままだったし、やりたいことは山ほどある。
ガクンッ
そんなことを呟いていると、タカ丸が急にブレーキを踏んだ。路肩に車が止まる。
非常点滅のボタンを押したタカ丸に、何かあったのかと視線をそちらに向けたが、彼の表情を見て動きを止めてしまった。
「タカま」
「やめて」
「え?」
「彼らの話をしないで」
いつもだったら、へらへらとした表情で私の話を聞いてくれるのに、今日は様子が違った。その顔は、泣きそうに歪んでいる。
「タカ丸?」
「僕がどういう気持ちで彼氏だって言ったのか、分かってないの!?」
「ちょ、タカ丸!?」
落ち着いてと、告げながら宙にあげたその手は彼に掴まれた。痛いくらいに力強く掴まれたので眉間に皺を寄せた。彼の瞳は、未だに真剣なままだ。
こわい。
そう思ってしまった。目を逸らしたいのに逸らせない。逃げろと警告音が頭の中に響いている。これ以上は先を見てはいけないと、頭の中で叫びが聞こえる。
「はなして」
手を振り解こうと力いっぱいに抵抗した。けれども、びくともしない。タカ丸は、こんなに力が強かっただろうか。
「はな、してっ!」
「嫌だ」
「っ!」
意志の曲がらない強い声がそれを制止した。声が出なかった。
こわいこわいこわいこわい。
なぜ、こんなに恐怖が溢れ出てくるのだろうか。彼は、タカ丸だ。いつも笑ってて優しい私の友達なのに、どうして怖いと思うのだろうか。
「」
「い、やっ」
耳を塞ぎたいのに、片手を彼に捕らわれていて塞げない。
この雰囲気を続けては駄目だと、頭の中の警鐘が最大限に鳴り響く。
そんな私の様子に彼の瞳が少し寂しげに翳った。宥めるように私の髪を撫でてくるその手に体が無意識に震えてしまった。けど、触れた手は壊れ物を扱うように、とても優しかった。
「ごめん」
「……っ」
どうして、涙が溢れるのだろう。どうして、怖いのだろう。どうして、そんな優しい声で謝るの。
怖がっているのは私の方なのに。拒絶したのは私の方なのに。
そんな優しい声と悲しい瞳で見つめてこないで。
「ごめん……」
彼の声が、耳にこびり付いて取れなかった。
さらさら流れてった体温以下の涙