?」
「お久しぶりです、竹谷先輩」

瞳を大きく見開かせてこちらを見下ろしている先輩に、私は片手を軽く挙げ笑みを浮かべて挨拶の言葉を述べた。

わんわん!

「うおっ、ちょっと待て」

竹谷先輩の腕の中にいた小さな犬が、固まったままの先輩に早くしてくれと言わんばかりに鳴き声をあげた。そこで、先輩は我に返って腕の中の子犬をゲージの中に下ろした。
周りでは、わんわん、にゃーにゃーと動物の鳴き声が響き渡っている。

ここは、ペットショップだ。先輩のアルバイト先である。
エプロン姿が思っていたよりも良く似合ているなと、先輩の姿を見ながらしみじみと思う。

「何かの帰り?」

アルバイト中の姿を見られたことに対してか少し恥ずかしそうに頬をかきながら、先輩はこちらに向いた。
たぶん、私の肩に掛けられている紙袋を見てそう思ったのだろう。

「はい、友達とバーゲンに行ってきたんです」

その収穫物が詰まっているのだ。
懐は少し寂しくなったけど、可愛いものがたくさん手に入ったので満足だ。

「先輩のバイト先がこの近くだったなって思って来ちゃいました」

お忙しかったですか? そう付け足すと、いや、ピークは過ぎたから平気。と返されたので、このまま話していても大丈夫そうだ。

「でも、可愛いですよねー」
「おう、そうだろ!」

ゲージの中で戯れている犬たちに視線を向けて告げると、竹谷先輩はまるで飼い主みたいな表情で笑った。きっと、買い手が見つかったら凄く寂しそうにするんだと思う。でも、やっぱり笑顔で見送りそうだ。そういう先輩だもの。

「竹谷先輩は、犬飼わないんですか?」
「一人暮らしの上にアパートだからなぁ。それに、今は、熱帯魚五十匹とジロウとゴロウとロクロウとナナがいるから十分」
「……相変わらず、結構な数がいますね。でも、ロクロウとナナっていうのは?」
「カブトムシの雄と雌」
「あぁ、夏ですから」

先輩の部屋を訪れた事はないけれども、メールで写真を送ってもらったこともあるので、なんとなく想像が付いた。あの光景にカブトムシが追加されると、自宅でジャングル気分が味わえそうだ。

「今度、見に来るか?」
「遠慮しときます」
「だよなー」

即答で断ると、先輩ががくりと肩を落として苦い笑いを浮かべた。
興味がないわけではないが、流石に虫に囲まれて食事できるほどの神経は持ち合わせていない。あ、でも、熱帯魚は見てみたい。

「おや、竹谷君。そっちは、彼女さんかい?」
「うわ、店長! え、ち、違います!」

いつの間にか後ろに立っていた壮年の男性がこちらを見て、穏やかな笑みを浮かべた。
竹谷先輩は、慌てて否定の言葉を述べたけれども「慌てなくていいんだよ」と朗らかに告げる。

「……あ、すみません。仕事の邪魔をしてしまいました」

先ほどからずっと竹谷先輩に話の相手をしてもらっているので、注意をしに来たのだと思って頭を下げた。それに、私もそろそろ帰らなければならない。

「あぁ、気にしなくていいよ。お客さんもいないからね」

懐の大きい人だ。この人が店長さんというのも頷ける。すごく動物に好かれてるんだろうな。

「そうだ、竹谷君。もうあがっていいよ」
「へ? いや、俺もう少しいますけど」
「いいよいいよ。さっきも言ったけどお客さんもいないし、他のバイトの子ももう直ぐ来るだろうから。それに、彼女を送ってあげるのが彼氏の務めだろう?」

店長さんは、既に私を竹谷先輩の彼女だと確定しているみたいだ。
話が勝手に進んでいっているんだが、口を挟んだ方がいいのだろうか。

「…………じゃあ、お言葉に甘えさせていただきます」

そう告げて、先輩は、ちょっと待っててと言って奥に行ってしまった。
悪い気もするが勝手に帰るわけにもいかない。ここは、素直に待つべきだろう。

「竹谷君は、良い子だろう?」
「え、あ、はい」

考え事をしていたら店長さんに声を掛けられたので、慌てて返事をした。店長さんは、穏やかな笑みを浮かべたままだ。

「何も焦る事はないよ」
「え?」

どういう意味なのか分からず首を傾げた。
すると、店長さんは私の頭を軽く撫でた。

「たとえ、目の前が見えなくなっても、自然と答えは出てくるものだからね」
「…………」

言われた言葉の意味は良く分からないのに、心のどこかで安心している部分があった。
店長さんは、人の心の中まで見えているのだろうか。その穏やかな手と言葉が、まるで祖父のように思えて来て、むず痒くて切ない気持ちになる。

「お待たせ!」

その声が聞こえて、私は顔を上げた。
竹谷先輩だ。私の様子を見て、どうした? と不思議そうに聞き返されたので慌てて首を横に振った。

「じゃあ、帰るか。店長、お先します!」
「あの、ありがとうございました」

ぺこりと店長さんにお辞儀すると、店長さんは笑みを浮かべて、お幸せにと小さく言葉を紡いだ。



「えっと、悪かったな」
「へ?」

店を出て駅に向かう道を歩いていたら、先輩が行き成り謝ってきたので、視線を先輩に向けた。目が合うと、先輩は照れくさそうに視線を前に向けた。

「店長が、勘違いしてるみたいだったからさ。気ぃ悪くしたか?」
「あ、ああ。いいえ。私の方こそ、そういうの考えずに来てしまって、すみません」

一緒に買い物に行った友達は竹谷先輩と顔見知りじゃないので、無理にここまで連れて来るのも悪いと思って途中で別れたのだ。けど、こうなるなら一人じゃなくて友達も連れてこれば良かった。

「いや、気にしてねぇならいいんだ。それに、が相手ならさ、俺、べつに」
「八左ヱ門?」

先輩の言葉の続きを聞こうとしていたところに別の声が真正面から届いた。
私は、先輩に向けていた視線をそちらに向ける。

目の前には、可愛らしい女の子がいた。顔も小さくて目はパッチリ二重で、ピンク色の唇もプルンとしていて可愛い。それを生かした女の子らしい服装が凄く似合う。スタイルもそれなりに悪くない。


「――璃麻(りま)」

竹谷先輩が彼女の名前を呼んだので、先輩の知り合いなのだろうかと彼女に向けていた視線を先輩に向けた。けど、先輩の視線は、その璃麻という子に向けられたままだったので、私もまた視線を彼女に戻した。

璃麻と呼ばれた子は、先輩の呼びかけに頬を緩ませて笑った。笑うとまた凄く可愛い。先輩にこんな可愛い知り合いがいたのか。

「久しぶり。元気してた?」
「……ああ」

けど、竹谷先輩の声は、どこか沈んでいた。まるで彼女に会いたくなかったかのような声色だ。この二人に一体何があったのか聞きたいけど、聞ける状況でもない。むしろ、私がここにいていいのかと疑問符が膨れ上がっていくけど、声をかけて雰囲気を壊せるほどの勇気もないので、大人しく黙って見守った。

「わたしね、あの後、凄く反省したの。他の人と付き合ってみたけど、しっくり来なくて……」

璃麻さんとやら、私のことが視界に入ってないんじゃないですか。行き成りそんな深刻っぽい話を目の前でされると、私は、かなり困るんですが。やっぱり、さっさとお先に失礼しますと帰れば良かった。

「やっぱり、わたし、八左ヱ門と」
「悪い! 俺ら急ぐから!」

そう告げて先輩は、いきなり璃麻さんの話の腰を折った。ついでに傍にいた私の腕を容赦なく掴んだ。

「え、八左ヱ門!?」
「悪いな」

呼び止める彼女の声も無視して、さっさと先に進んでいった。もちろん、腕を掴まれた私もそれに従わざるを得ないので、吃驚しながらも後についていく。

璃麻さんと話をしなくていいのだろうかとチラリと後ろを振り返ると、彼女と目が合った。途端に睨み付けられた。あまりの鋭さに背筋が凍り慌てて前を向いた。

それに、硬い表情をした竹谷先輩を見ていると、声をかけて引き止めることも出来なかった。



後ろが怖いから、前へ行く



090131