翌日、利吉くんは仕事の為に帰っていった。
頭を撫でながら、また会ってくれると嬉しいなと笑みを浮かべて告げられた言葉に素直に頷けなかった自分は、本当に酷い女だ。


我が家に戻ってきてからの私はというと、怠惰な生活を続けていた。溜めていた本は全て読み終えていて、こんなことならバイトでもしていればよかったと思った。

気付けば暦はもうすぐ九月になろうとしていた。
携帯は、あまり音を立てない。時折、友人や先輩からのメールは来るけれども、いつもより静かだ。
関係が切れるのは案外簡単だった。お互いに連絡する気が起きなければ永遠に繋がることもないのだから。それを寂しいと思うのは、とても贅沢なことだ。

けれども、一体どこから釦を掛け間違えてしまったのだろう。
おそらく始めからだ。私は、わたしが許せない。こんな甘えた子どもみたいな自分が一番許せない。分かっているのに微温湯から足を出せない。そんな自分が何よりも許せない。

『何も焦る事はないよ』

ふとペットショップの店長さんの言葉が頭に浮かんだ。
もしかしたら、あの人は、あの時点で既に私の微妙な感情に気付いていたのかもしれない。

無性にあの人に会いたくなった。あの人なら私のこの苦しみを解消してくれるんじゃないかって――既に誰かに頼っている時点で自分の甘さに気付いているけど、自分一人ではどうしようも出来なかった。

私は鞄を掴んで立ち上がった。
階段を下りて玄関で靴に履き替えていると母親が「どこにいくの?」と聞いてきたので、誤魔化すように「図書館」と答えた。

は、図書館に行くと時間を忘れるから、暗くなる前に帰ってきなさいよ」
「……行ってきます」

町に行く事は間違っていないから、嘘ではない。けど、なんとなく罪悪感に駆られてしまう。まるで悪いことをしているみたいだ。その罪悪感から逃れる為に、そう告げて家を出た。





「っ!?」

後もう少しで目的のペットショップに辿り着けるというところで、私は、とっさに近くの壁に身を隠した。

店の前に竹谷先輩がいたのだ。先輩のバイト先なのだから彼がいても不思議はないのだが、その事をすっかり忘れていた。あの電話以来会っていないので会うのは気まずい。

けど、私が隠れた理由はそれだけじゃない。先輩の傍にいた人を視界に入れたからだ。あれは確かに璃麻さんだった。彼女は先輩の腕に自分の腕を絡めて楽しそうに笑っていた。

(なんだ……縒りを戻したんだ)

私にわざわざ頼まなくとも自力で解決できるじゃないか。ならば、あの時貰った平手打ちは本当に貰い損だ。なんとなくムカムカした感情が溢れ出てくる。

(止めておこう)

この場で出て行ったら私は本当に空気の読めない子だ。それに、もう話を聞く気分にもならなかった。

壁から手を離して踵を返した。どこに行くわけでもなく宛てもなく歩く。
迷子になるかもしれないなんて、この時は少しも考えなかった。電車に乗る気も起きない。ただ、どこまでも歩いていたかった。

『たとえ目の前が見えなくなっても、自然と答えは出てくるものだからね』

本当だろうか。私の答えは、まだ出てこない。目隠しされたままだ。
ううん、答えは出ているんだ。なにもかもとサヨナラすれば、この苦しみもやがて消える。
寂しさは残るけど、それでも、私は誰かを苦しめたまま生きていくほど強くない。

そこまで考えて微苦笑を浮かべた。

出来るはずもない。だって、端から私は捨てる気がない。捨てられないのだ。
本当に我儘な女だ。



臆病者の戯言



090509