(兵助視点)
辿る程に泡沫
無性に声が聞きたくなるときがある。
会えない期間が長ければ長いほど、その欲求は比例して大きくなっていく。
だから、電話をかけた。
久しぶりの声に自然と頬が緩んでいき、心すらも温かくなっていくのが分かった。
彼女はいるかと聞かれて心臓が大きく脈を打った。恐らくは素朴な疑問だったのだろう。けれども、俺のことを気にしてくれたからこそ聞かれたのだろうかと思うと、妙な照れ臭さが浮上してくる。しかも、格好良いとまで言われたので心臓が口から飛び出るかと思った。でも、それはただの噂としての感想だと知ると途端に残念だと心が落ち込んだ。
どうせなら彼女自身がそう思ってくれればいいのに――けど、それは無理な話だろう。彼女は、そんなことを望んじゃいない。それに、彼女の一番の笑顔を引き出せるのが、この距離だと分かっているからこそ、の傍にいられる今の関係が一番いいのだ。
なんだか卑怯な考えだなと思ってしまった。相手に好きな人が出来たら後悔すると分かっているくせに、どうしても、その一歩が踏み出せない。それは、拒絶されたくないと言う感情が齎す恐れなのだろうか。
「おーい、兵助、帰ってきてるかぁ?」
「鍵開いてるから、帰ってきてるだろ」
その声に意識を戻した。顔を上げると見慣れた同級生が、遠慮もなく部屋に入ってきていた。俺が耳に当てている携帯電話に気付いた八左ヱ門が片手を顔の前までやって口パクでごめんと謝ってきた。
でも、今日の飲み会は雷蔵の部屋でするはずだったのに、なんで俺の部屋に来たのだろうか。その疑問符を尋ねる前に仕方ないので電話を終了させることにした。
こいつらに一言告げてから電話の相手であるに謝罪の言葉を継げて電話を切った。
携帯を閉じて顔を上げると二人の視線がこちらに向いていたので、俺は首を傾げた。
「どうかした?」
「え、あ、いや……電話の相手、だったのか?」
「うん。声聞きたかったから俺の方から掛けた」
俺がそう告げると八左ヱ門は、そっかと小さく呟いただけだった。
そう言えば、最近八左ヱ門の様子が可笑しかったけれども、もしかして、彼女と何かあったのだろうか。
「それよりも、何で俺の部屋に来たの? 雷蔵は?」
「あ、あぁ、雷蔵は、バイトで風邪引いた子のシフトに入るから少し遅れるってさ」
「それで、急遽俺の部屋ってこと?」
「そう。雷蔵も終わったら来るって言ってた。あ、それと勘右衛門も誘ってみたら来るって言ってたぞ」
腰を下ろしながら告げた三郎は、思い出したように顔を上げて告げてきた。その言葉に俺は驚きの表情を浮かべた。
「勘右衛門も来るのか? 『店が忙しくて、それどころじゃない! 電話もメールも禁止!』 って言われて、ずっと連絡待ってたんだけど……」
眉根を下げて落ち込む俺に対して、三郎は眉間に皺を寄せて呆れた表情を浮かべた。
「だからって真面目に連絡取らなかったのかよ。普通は定期的に連絡するもんだろ?」
「そうなのか?」
「……兎も角、後から来るらしいから先に俺らだけで始めてようぜ」
聞き返す俺に三郎は軽く肩を竦めた後、俺の返答に応えることなく袋をガサガサと漁ってつまみと缶を取り出した。
答え聞いてないんだけどと問いかけようとしたところに、携帯の着信音が辺りに響いた。俺のではないので、二人のどちらかだろう。
そう思っていると、八左ヱ門がポケットに入れていた携帯を取り出した。けれども、ディスプレイを見て直ぐに閉じた。
「出なくて良かったのか?」
「あぁ」
「俺らに遠慮しなくていいんだぞ?」
そう告げると、八左ヱ門は眉を顰めながら目の前の缶を手にしてプルタブをあげた。
「……出たくないんだよ」
プシュッと気の抜ける音が響く。そして、缶に口をつけた。
その不貞腐れた様子に俺は眉根を寄せた。八左ヱ門がここまで電話に出るのを嫌がるというのは珍しいことだったからだ。一体相手はどんな人間なんだ。
「ははーん、女か」
「ごほっ」
三郎の言葉に、八左ヱ門は飲んだビールが器官に入ったのか思い切り咳き込んだ。
「げほ、ごほっ、な、何いってんだ!」
「はい、動揺してる時点でアウトー。はけ、さあ、さっさと吐いてしまえ!」
三郎が嬉しそうに笑んで、そう告げた。この声色は絶対楽しんでいる。ご愁傷様。俺はそう思いながら、缶チューハイに手をつけた。
「……この間から、璃麻がしつこいんだよ」
観念したのか、それとも誰かに聞いてもらいたかったのか、存外あっさりと八左ヱ門は真相を白状した。
出てきた言葉に、俺は内心で驚いた。璃麻といえば八左ヱ門の元カノだ。彼女とは、去年別れて以来全く連絡を取っていないはずだ。それに、八左ヱ門は既に割り切っていたから今更言い寄ってきても無駄だろう。
「今日も店までこられた」
「それは、面倒臭いな」
「だろー……しかも、とお茶したらしくてさー」
「はぁ!? と鉢合わせしたのか!?」
その言葉に、俺らは目を見開かせた。
多分、は彼女の存在を知らなかったはずだ。そんな人間が元カノと対面など、あまりいい展開を予測できない。
「いや、俺も状況はよく分かんねぇけど、偶然会ったとか言ってた」
「なんか、あったんじゃないのか?」
「は、普通にお茶しただけって言ってたし、璃麻もいい人ですねって言ってたから、何ともないとは思うけど……」
「ああ、なるほど。八左ヱ門は落ち込んでいるのか」
三郎は八左ヱ門の言葉の節々から何かを感じ取ったのか、納得したように大きく頷いた。
俺はその意味がよく分からなくて首を傾げる。
すると、八左ヱ門は、缶に口をつけぐいっと一気に飲み干した後、大きなため息を吐いた。
「……意識されてねぇのって、思ったよりも辛いんだな」
吐き出すように告げられた言葉は、八左ヱ門の本音だった。
その言葉に、俺は胸が締め付けられたような気分だった。まるで俺の根底に隠されたものを暴かれたように思えたからだ。
意識されていないことは、彼女と接していれば嫌でも自覚させられているというのに、改めて第三者に言われると、こんなに胸を突くものだったのか。
「んでさ、俺、に怒鳴っちまってさ……そんな情けねぇ自分も許せないし、嫌われたかもしんねぇって思うと、怖い」
八左ヱ門は乾いた笑いを浮かべる。けれども、ちっとも笑い話になんてなれなかった。
シンと静かさが室内に充満する。
なんと言えばいいのか分からなかった。たまたま八左ヱ門が率先してそうなってしまっただけで、誰にでもありうることだ。だからこそ、どういう言葉をかけるのが一番なのか俺にはわからなかった。
「……情けなくなんかない」
「三郎?」
視線を向けると真剣な瞳をした三郎がそこにいた。じっと八左ヱ門を見ている。
「八左ヱ門、お前は全然情けなくなんかないぞ」
「三郎……」
その言葉に八左ヱ門は驚いたような表情を浮かべた。けれども、次いではにかむ様に表情を緩ませた。
「そうだよな……へへ、三郎サンキュな。兵助も愚痴って悪い」
「別に。俺は、愚痴だとは思ってないし、八左ヱ門が俺らに本音で話してくれるのが嬉しいから」
そう告げて缶チューハイに軽く口をつけた。
すると、いきなり八左ヱ門に肩を抱かれたので、口に含んだそれを吐きそうになった。
「おま、危ないだろ!」
「いやー、俺、本当にいい友達持ったなぁ!」
「酔ってんだろ!」
「ビール一本で酔うわけないだろー!」
いや、これは、絶対酔ってる。アルコールだけの作用ではないとしても完全に酔ってる。
けど、八左ヱ門の暗い雰囲気は全く無くなったので、これはこれで良かったのかもしれない。
すると、今度は別の着信音が室内に響いた。これも俺の携帯の音ではない。消去法からいくと三郎だ。予想は当たったようで三郎はポケットから携帯を取り出した。ディスプレイを見たあと、ゆっくりと立ち上がった。
「わりぃ、ちょっと電話出てくるから」
「あ? ああ、蚊に食われる前に早めに切り上げてこいよ」
俺はそう告げながら三郎を見送った。
091208(100916)
五年生は仲がいいといいな。