※前半部分はオリキャラしか出てきません。



いつから駅前の本屋は、鬼門となったのだろうか。
そんな風に思ってしまったのも、本屋から出た直後にとある人物を視界に入れてしまったからだ。
アイロンが掛けられた皺一つない黒いスーツに身を包み黒いネクタイは綺麗に首もとまで締められている。撫で付けられた髪は乱れ一つない。まさに真面目さを体現した格好だった。

「…………」
「久方ぶりにございます」

私の無言を気にも留めず彼は挨拶の言葉を告げた。口調は穏やかではあるがメガネの奥の瞳は少しも笑っていない。彼が笑ったところを見たことがないので、これが彼の常なのだろう。

「お久しぶり、です」

同じように返したけれども、少しだけ震えた音が出た。予想外の再会で自分の思考が混乱しているのだと自覚した。
しかし、彼は私のそんな心境など構わずに、お車にどうぞと右手を持ち上げて道路側をさした。視線を向けると黒塗りの外車が止まっているのが見えた。通行人の何人かが物珍しそうに見ているのがここからでも見て取れた。

行きたくない。瞬時にそう思ったが、彼は銅像のように動きを止めたままこちらを覗っていた。私が動くまでずっとその体勢を維持しているつもりなのだろう。それでも、私は直ぐにその一歩を踏み出すことが出来なかった。
なぜならば、彼が私を訪ねてきた理由に見当がついていたからだ。私は、その用事を済ませたくなかった。嫌な予感がしているのだ。あの車に乗ったら、もう戻れない。そんな漠然とした予感だ。

「…………」

変わらず彼は微動だにせずにそこに立っていた。私が乗るまでこの攻防は続くのだろう。

折れたのは、私だった。人の往来が激しいところで目立つ行為をされて耐えられるはずもなかった。早く人目のないところに行きたい一身で、私は早足で彼の傍まで寄った。すると、彼は慣れた手つきで後部座席の扉を開けた。私は滑り込むように車内に乗り込んだ。私が座席に腰を下ろしたのを見届けた後、ゆっくりと扉が閉まった。

車の中は、それ程華美ではなくベージュを貴重としたシンプルな色合いだった。けれども、足場は広くゆったりとした空間が広がっていて、いかにも高級車を思わせた。
つまり、妙に落ち着かない空間だった。乗ったばかりだというのに既に降りたい気持ちになった。

「お久しぶりね」

静かにその声が耳に届いた。けれども、視線を向けることは出来なかった。視界にいれた途端にそれが現実のものとなるのを恐れていたのかもしれない。
相手が私の前に現れた理由に心当たりがあった。だから、聞きたくないと心が拒絶していた。それでも、聞かなければならないと分かっていた。それなのに、私の口は何も告げてはくれなかった。

「例の話をそろそろ進めてもいいかしら?」

私の心情を悟ったのかはっきりとした口調で告げられた言葉に、膝の上に置いた手が震える。込み上げて来る何かを押さえ込むようにギュッと拳を握った後、口を開いた。

「反対されていたのでは、ないんですか?」

私はある意味で最後の抵抗ともいえる言葉を述べた。

「確かに今でも反対しています」
「だったら……!」
「私にはもう何もない」
「え?」

私はそこで漸く相手の顔を見た。けれども、彼女の冷たい視線はこちらには向かず、ひたすら前を見ていた。

「あなたがすべて奪ったのだから」
「――っ!」


冷たい言葉だった。憎しみの籠った声だった。
その理由に心当たりがあるのに、私は何の言葉も掛けることが出来なかった。


震える指先



乗せられたときと同じように恭しい態度で降ろされた。
地面に足をつけて振り返ったのと同時に彼は綺麗なお辞儀をした。

「それでは、私はこれで失礼致します」

そう告げた後、彼は車の運転席に乗り込んだ。ドアが閉まって直ぐに発車される。

黒い車が遠くに消えていくのを視界に移した私は鞄から携帯を取り出した。慣れた手つきでボタンを押して耳に当てる。

「あ、お母さん? 私。あのね、友達と寄り道するから帰りが遅くなる。うん、大丈夫。うーん、夕食は食べて帰ることにする。うん、分かった。それじゃあ」

ピッと電話を切った。また嘘を付いてしまった。でも、今は家に帰る気持ちになれなかった。こんな重苦しい思いを抱えたまま帰るわけにいかない。温かい笑みを見たら、何もかも吐露してしまいそうだから。


私は、携帯電話を閉じると人通りの少ない方向へと足を向けた。

(結局、あの人は一度も私の目を見なかった)

それは、当然の結果だ。彼女は私を嫌っている。先ほどの言葉が何よりもそれを証明していたし、嫌われていることなど百も承知だった。だからこそ、お互い歩み寄れないと分かっている。
それでも、彼女があの話を進めていくのは、あの人を愛しているからなのだろうか。それとも――

そこまで考えて私は頭を横に振った。考えたって分かるはずもない。

私に分かるのは、今の現状が嘘偽りのない事実であるということだけだ。
私は、遣る瀬無い気持ちになり唇を噛み締めた。




さん?」

私を呼ぶ声に無意識に顔を上げた。
相手は、少し驚いた様子で私を見ていた。

「不破、先輩?」

一瞬別の名前が頭に浮かんだけれども、あの先輩なら私をさん付けで呼んだりしないので直ぐに不破先輩だということに気付けた。
すると、先輩の眉がハの字になった。そして、ハンカチをこちらに差し出してきた。

「えっと?」

先輩の行動の意味が分からず私は軽く首を傾げた。
すると、先輩は己の目元を軽く指さした。

「使っていいよ」
「……!」


その言葉に、自分が泣いていることに初めて気付いた。
それを隠すように顔を俯かせた。こんな状況で出会うとは想定していなかったので咄嗟の言い訳も思いつかない。間誤付いていると、先輩が徐に口を開いた。

「ここからうちまで近いから、寄ってて?」

泣いている人間を放っておけないと思ったのだろう。けれども、そこで甘えるわけには行かないと思った私は、首を横に振った。

「平気、です。帰るだけですし」
「うん、でも、その顔で電車に乗るの?」
「……あ」

言われてようやく気付いた。夕暮れなので、あまり顔は見えないだろうけど、車内は照明があるのでどうあっても隠し切れない。

その事実に私が気付いた事を悟ったのだろう。不破先輩は微苦笑を浮かべて、やっぱりおいでよと優しい声が響いた。


100503