※オリキャラ視点




万華鏡の屈折した光


「すまないな」
「本当にね」

カップを受け取りながら、目の前の男にきっぱりとした口調で返してやった。私の言動に相手は微苦笑を浮かべただけで反論の言葉はなかった。それも当然だろう。

「一つだけ言わせて貰うけど、私の行ける範囲にあるお店はどこも九時開店なの。つまり、早朝五時に電話で叩き起こす必要性は全くないわけ」

カップに口をつけて中身を軽く飲む。苦い香りが口の中に広がる。
今の時刻は、朝の十時。しかし、起きたのは朝の五時。すでに起床してから五時間という時間が経っているわけである。

「そもそも、いきなり女物の服と下着をサイズ指定で買って来いなんて、どうなの? しかも、こっちが返事をする前に切るなんて非常識だとは思わないわけ?」
「……そうだな」

いつもならば何かしらの反論の言葉もあるだろう彼が、今日は珍しく殊勝な様子だった。
私が知る利吉は、いつも余裕綽々とした姿勢を貫いていた。戸惑う姿など過去に殆ど、いや一度くらいしか見たことがない。だから、今の彼の姿はひどく珍しい光景であった。よほど参っていたのだろう。

「私のときとは大違いね、利吉」
「……いや、すまない」
「謝罪の言葉を聞きたいわけではないわよ。ただ、どういう状況なのか知りたいだけ。特に貴方の家で眠っているであろう彼女に関して」

不敵な笑みを浮かべると、利吉がお前趣味が悪いなと呟いた。
あら、そんなの昔から知ってることでしょうに。

「それで、ようやく想いが通じ合った、って事はないわよね?」

だったら、別に今すぐ服をもってこいなんて私に告げたりしないはずよ。
利吉だったら、想定してちゃんとした下準備をしていたはずだ。そして、私をここに呼ぶ理由だってない。ということは、これは利吉にとっても想定外の事件だったってことだ。

「絶賛片想い中だ」

苦笑いといった感じだ。思ったとおりの結果だった。
思いが通じていたら、利吉がこんな風に疲れた表情を浮かべているはずもない。

「後悔するくらいなら、抱かなければいいのに」

自分を愛してもいない相手を抱いても、そこには満足感なんてものは存在しない。ただ虚しさが残るだけだ。利吉もそれくらい分かっているはずだ。なのに、何故――そんなもの考えなくても直ぐに分かる。それだけ利吉が彼女のことを愛してしまっているからだ。

本当に人生なんて上手くいかないものだ。恋愛の初めはどれもが一方通行だ。双方向に思いが行くのは極僅か。愛し合っていても、いつの間にか逆方向を向いてしまうことだってある。恋愛に方程式なんて存在しない。
そんなことを考えている自分に内心で苦い笑みを漏らした。

私は、利吉が好きだ。だから、付き合った。愛した。彼との未来を夢見た事だってある。
でも、あの写真を見て全てを悟ってしまったのだ。私たちの愛は平行線にしかなりえないのだと。
ドロドロとした恋愛なんて嫌い。次の新しい恋を求めるならば、尚更のこと。
だから、さよならした。私はそれを後悔してはいない。
これでよかったのだと思っている。おかげで今は充実した日々を送ることができているのだ。

そして、今の私たちは友人として付き合っている。今も彼を好きだ。でも、友人以上のものはもうない。だからこそ、恋愛に悩んでいる彼の力になってやりたいとは思っている。けれども、彼のそれは、思ったよりも深く重すぎる。いつか、壊れてしまわないか心配だ。


「一つだけ、訂正させてくれ」
「ん? 何を?」
「やってない」
「…………ばか?」

彼の口から出た言葉に、思わずそんな悪態の言葉が漏れてしまった。いや、私じゃなくても誰もがそう思ったことだろう。この状況を見て、誰が未遂だなんて思うだろうか。

「自分の部屋にまでつれてきておいて? やってないってどういうことよ!」
「店内で大声出すな」

出さずにいられるか。衝撃の告白に脳だって吃驚しまくっている。更に大声を出したかったが、他の客の怪訝な視線に気付いて浮かした腰を下ろした。
落ち着くために珈琲に口をつけた。


「どういうことなの?」
「……あんなふうに脅えた目で見つめられたら無理にはできない」
「何処の中学生よ、アンタは」

そのときの光景でも思い出したのか盛大なため息を吐いた利吉に、こちらもため息を吐きたい気持ちになった。ちなみに呆れのため息だ。
利吉の部屋にまで来たのだから、彼女だってそれなりの覚悟をしていたはずだ。だから、無理に抱いたって彼女に責める権利は全くない。

なのに、何もしなかったって。

「好きな子を目の前にしてそれって、男としてどうなの」
「好きだからこそなのかもしれない。こういうことで繋ぎとめておきたくないんだろうな」

ポツリと利吉は言葉を漏らした。

その瞳は至極真剣で、本当に彼女を大切にしているのだろう。
その気持ちが如実に伝わってきた。

「帰るわ」

私は空になったカップをテーブルにおいて立ち上がった。
もう用件は済んだし、そろそろ帰らないといけない。

「あなたは本当に人が変わったわね」

その言葉に利吉がバツの悪そうな表情を浮かべた。
その様子に私は一つ、笑みを浮かべた。

「でも、今の貴方の方が好感が持てるわ。夫の次に、だけどね」


不敵な笑みを浮かべた私に、利吉は微苦笑を浮かべた。


140509
元カノ視点でした。