献血150回までの記録

複数回献血クラブで自分の献血記録を調べてみました。

多くても年間15回
2007年1月になんとなく始めた献血ですが、その年は6回行っています。
今にしてみれば「6回しか」ですが、これは私は当初「成分献血」というのがあることすら知らなかったので、献血ルームにお任せで勧められるままに全血献血をしていたからなんでしょう。

実際、2007年1月、同4月、同7月と3回連続で全血をしてて、そこで年間の回数制限に達してしまうのですが、カードを見ると「成分献血」というのなら翌年を待たずして献血できると知ります。
よく覚えてないけど、その時にルームのスタッフさんに成分献血についてあれこれ訊いたような気がします。

初めての成分献血は、きっちり8週間後の同年9月。血小板献血ではなく血漿献血だったようですが、これもこちらから要望したのではなくお任せでそうなったんでしょう。
翌2008年からは成分・全血を合わせて年13~15回で推移。全血は年3回を維持。

圧倒的に多いのが血小板献血
全血400mL 30回 ※200mLは当然なし
血小板献血 116回
血漿献血 4回
献血の王道は400mLと私は思っているので、とりあえず全血50回を目指してます。順調に行ってあと7年か…

都道府県では東京
東京 126回
埼玉 9回
神奈川 5回
栃木 5回
千葉 2回
茨城 1回
岐阜 1回
石川 1回
岐阜県と石川県は旅行の日程とたまたま合って(合わせて)の旅行献血。
神奈川県と千葉県が少ないし、しかも、直近で神奈川県は2011年12月、千葉県は2012年6月なのでご無沙汰になっています。複数回献血クラブの「よく献血される地域」を「東京都」で登録していると神奈川県の予約ができないんすよね。かといって登録をを変更するの億劫だしポイントがリセットされるからで多摩川の向こうには足が遠のいています。
不思議なのは、数少ない血漿献血4回のうち2回をその神奈川県で行っていることです。理由は分かりません。

献血をした「月」
12月がもっとも多く18回ですが全体の12%なので突出しているという程でもないのかな。
12月から2月にかけて、つまり冬場に意識的に集中させてきたつもりなので、予想通りの結果かな。

日付別で調べると、もっとも多いのが1日と4日でそれぞれ9回ですが、31日が8回というのは意外でした。大晦日・元日の献血に拘った時期があったのも関係しているのでしょう。
ちなみに最小は24日で1回。1日~31日の中でゼロはありませんでした。

記録ではなく、記憶に残る献血は
これはもう、あまりにも多くの記憶が浮かんじゃって、ひとつに絞るのは無理です。
旅行の気分も相まって岐阜と石川は忘れがたい思い出ですが、近場の何気ないことでも印象深く残っている事柄は少なくありません。

献血を断られた、中断したことはそれぞれ1回ずつあります。

「断られた」のは2011年2月13日のakiba:F。この時は成分献血を予約。検査採血までトントンで進み、本採血を待っていたらナースさんが飛んできて「乳糜(にゅうび)が出てしまった」とのこと。これは私もいまだに身に覚えはないのですが、全血なら受けられるとのことで急遽全血に変更しました。
全血にしたことで思いがけず8週間の空きができてしまったものの、まあそんな時もあるわなと呑気に思ったものでしたが、次の献血可能日までに東日本大震災があり、こんな時に献血で貢献できないことがもどかしくもありました。

「中断した」のは2016年6月の、同じくakiba:F。これも不可抗力でしょうね。
体調とか血液の成分で問題があって献血できなかった(乳糜事件はグレーだけど)ということは幸いに一度もないのは、ちょっと自慢です。

トップの写真は岐阜県大垣市で献血した際の処遇品で、絆創膏、タオル、クリアファイル。

タオルは JAPANESE RED CROSS SOCIETY と刺繍されていて、提供は市内の老舗デパートヤナゲン百貨店さん。
クリアファイル裏面に印字されている多治見駅前献血ルームは3月28日に閉所するそうです(ウェブ魚拓 / Archive.is)。

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