聖魔の血脈・4



いいや神父本人に、とぼけた人柄と裏腹の能力と強い意志がなければ彼がミシェルをおもちゃにしていてもおかしくなかった。
そのロランの体を、あろうことかこの吸血鬼は乗っ取ったのだ。
ぎゅっと拳を握ったミシェルは、素早く手を伸ばして枕元に手をやった。
そこに神父が銀の短剣を隠していることを彼は知っていたのだ。
銀は魔を制する力を持っている。
しかしそれを見ても、吸血鬼は怯む様子もなく冷たく笑うばかり。
「下らない真似はよせ。下等な魔物どもならいざ知らず、私にそのようなものは効かんぞ」
嘲笑に臆することなく、ミシェルは手にした短剣を振るった。
自分目掛けて。
わずかに目を見張った吸血鬼の指が、すんででミシェルの手首を掴む。
「くっ」
短くうめいたミシェルは、容赦のない力に短剣を取り落としてしまう。
少年の両手を吸血鬼はひとまとめにし、頭上に押さえ付けてしまった。
続いて彼は、ミシェルが取り落とした短剣を掴んで振り上げた。
刺されることを予測し、思わず瞳を閉じたミシェルの頭上にそれは振り下ろされる。
ひとまとめにされた腕が交差した部分の袖に、短剣は深々と突き刺さった。
元から吸血鬼に押さえ込まれた状態である。
その上両手をそうやって封じられては最早ほとんど身動きできない。
絶望の思いで見上げた吸血鬼の表情に、特に変わった様子はない。
だがその冷たい青い瞳には、ほんの少しだけ嘲笑ではないものが含まれ始めていた。
「私に血を渡すぐらいなら自ら命を絶つ、か。この神父の頭の中には、そのようなことを教えたような記憶はなかったが……」
「し、神父様じゃない、僕が………自分で、そう決めただけ、だっ……!」
ロラン神父の記憶まで、吸血鬼は探り取る能力を持っているらしい。
恐怖と悔しさに唇を噛みしめながら、ミシェルは精一杯の力を込めて彼をにらんだ。
自分は人と魔物の格好の餌。
その庇護者たるロラン神父も、当然何度も厄介ごとに巻き込まれている。
おまけに人間相手ならとにかく、魔物に襲われればその力を強化してしまうのだ。
自分さえいなければ。
そんな思いを、だが神父は全て見通していた。
ミシェル、君がいてくれてとても助かっているんだよ。
君といられて幸せだよ。
大仰に命を絶つことへの戒めを説くのではなく、ロランは当たり前のようにそんな言葉を繰り返してくれた。
だからこそ出来ない。
ロランの体を乗っ取った、この吸血鬼に清き血など渡せるものか。
「おっと」
舌を噛もうとしたことを察し、吸血鬼は素早くミシェルの唇に指をねじ入れる。
だがミシェルは、その指にぎりぎりと歯を立てた。
「見た目よりも気が強いな。だが、そのようなことをしていいのか?」
噛み切るような勢いで歯を立てられているはずだ。
しかし何ら痛痒を感じた風なく、吸血鬼は思わせぶりにそんなことを言った。
ミシェルとしては最後の抵抗をやめるつもりはない。
そのつもりだったが、次の瞬間彼は瞳を見開き噛んでいた指を離してしまった。
「神父様っ………」
ミシェルを見下ろす吸血鬼の、見る者を畏怖させる美貌が陽炎のように揺らぐ。
次の瞬間そこに現れたのは、地味だがよく見れば整った穏やかな顔立ち。
胸つぶれるほどに懐かしく思える、ロラン神父が再びミシェルを見下ろしていた。
「そ、そんなことをしてもッ」
姿を変えたからと言ってごまかされはしない。
内心の動揺を抑え、必死の声を上げるミシェルに声だけは吸血鬼のままロランがしゃべる。
「そんなこと? ああ、幻影だとでも思っているのなら違うぞ。なぜならロランは、ロランの意識は眠っているだけの状態なのだから」
くすくすと、普段のロランなら決してしない笑い方で彼は笑った。
「仮宿だと言っただろう。少々午睡が過ぎたようで、私もまだ万全の状態ではない。ゆっくりと栄養と休養を得るためには、宿主には生きていてもらった方が都合がいいのだ。こいつを隠れ蓑にして、自由に行動出来るからな」
さっきとは違う動揺に満ちた目で、ミシェルはまじまじと神父の顔を見つめる。
吸血鬼に取り憑かれ、殺されてしまったわけではない。
まだ彼は生きている。
生きているのだ。


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