炎色反応 第二章・1


それはある小さな村の、唯一の娯楽施設であると思われる酒場の中での出来事だった。
「ぼうっとしてないで、注げ」
酒場の片隅の卓に腰かけ、空になった木製の椀の縁を叩いてそう言うのは黒い衣に身を包んだ青年だ。
短い黒い髪に、金の瞳。
右手の火の精霊の指輪が示す通り彼は魔法使いであり、この世界での一種の支配階級にあることを示している。
「は、はいっ」
慌てて酒器をかたむけ土地の濁り酒を注ぐのは、金色の髪に水色の大きな瞳を持った可愛らしい少年だった。
ティスという名の彼は、ひょんなことからこの魔法使い、オルバンと巡り合い彼に犯された。
そこで解放されるかと思いきや、なぜだか自分を気に入ったらしいオルバンに連れ去られ現在に至る。
とくとくという音を立ててティスが主人の持つ器を満たすと、オルバンは無言でそれを傾けた。
鋭い瞳が何ということもなしに辺りを見回すと、他の卓の男たちが大仰に身をすくめる。
彼はそれにかすかに瞳を細めて笑うと、空になった椀をティスに向けて突き出しまた「注げ」と言った。
酒場のはずのこの場所に、流れるのは隅で弦楽器を演奏している楽士の奏でる控えめな旋律のみ。
普段なら男ばかりのこの場所では、日頃の愚痴だの誰それが可愛いだのといったにぎやかな雑談に花が咲いているのだろう。
しかし今は、異質な存在に恐れを成してか、葬式直後の清め酒でも口にしているかのようにしんと静まり返っている。
突然オルバンがここに入って来てからそうなったし、今もちらちらこちらをうかがう様子を見るに彼の不興をかうことを恐れて騒がずにいることは明白だ。
気まずいなら出ていけばよさそうなものだが、それも不興の理由になりはしないかと思うと動くに動けないらしい。
魔法使いの持つ魔力は普通の人間には対抗手段のない、絶対のもの。
中でもこのオルバンの力は飛び抜けて高いものであるらしく、ティスは不幸にも知らなかったが一部では有名な男であるのだそうだった。
二日前、野宿に飽きたらしいオルバンがこの村を訪れた時、如才ない雰囲気の村長は一目で彼が火のオルバンであると悟ったらしい。
村長の聡さに気を良くしたらしい魔法使いは、ここの酒も口に合ったのかすっかりこの村に腰を据える構えだ。
多分村長は今頃後悔しているだろうとティスはこっそり思っているが、オルバンの気分はオルバンにしか変えられない。
万一自分にどうにかしてくれ、などと言われても困る。
ティスはオルバンの持ち物であり、性的な意味も含めて彼の奴隷だ。
意見できるような立場ではない。
それにティス自身も、誰が来るか分からない森などの中で昼間からオルバンに犯されるよりは、壁と屋根があるところにいる方がまだましだった。


ところが、オルバン以外はひたすら気まずい空気を破る声がどこからか聞こえた。
「いくらきれいな顔だって、男の、しかもガキじゃねえかよ。気が知れねぇな」
ざわりと場の空気が揺れる。
きれいな顔のガキというのが、ティスのことを指しているのははっきりしている。
彼がオルバンにとっての何なのかということも。
「やめろ」
周りの男たちが慌てて諌める声により、逆にティスにもそうと言ったのが誰なのか見当を付けることが出来た。
不遜な……オルバンにほんの少し似た顔付きをした、村の若者の一人だ。
彼よりは少し年下だが、黒髪に黒い瞳の持ち主であることも同じ。
ただし、村の娘たちが遠巻きにしてはひそかに頬を染めるオルバンほどの人目を引く魅力は持っていない。
「だってそうだろ。男だぜ、男。オレたちと同じ物ぶら下げてるんだぜ」
周りの制止に構わず、若者は挑発的な言葉を続ける。
彼は酒場の中央にある、一番大きな卓の更に中央に陣取っていた。
居場所としてそこを選ぶ辺りからも、多分多少目立ちたがりやではあるのだろう。
村を、酒場の空気を支配するオルバンの存在が我慢ならない様子だ。
「アイン、本当にやめておけ」
名指しで釘を刺されても、アインというらしき若者はフンと鼻を鳴らしてそっぽを向くばかり。
はらはらしているティスの耳にかたんという乾いた音が聞こえた。
空っぽの椀を卓に置いてオルバンが立ち上がったのだ。

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