炎色反応 第六章・12



「まあいい。オレは可愛い兎ちゃん、お前にもう一度会えれば良かったんだ。なあ、ティス?」
赤い瞳の奥、隠し立てのない欲望。
いきなりまともにそれをぶつけられ、ティスは思わず子供のようにレイネの服の裾を掴んでしまった。
幼いしぐさにそそられたか、ヴィントレッドはますます調子付く。
「そんな顔して誘うなよ、兎ちゃん。相変わらず男をその気にさせるのがうまいな」
「黙りなさい!」
下卑た台詞に対し、ティス本人よりもいち早く反応したのはレイネだった。
守ると約束したのが半分、後は生来の生真面目さといまだ癒えぬ心の傷が作用しているのだろう。
やや性急なしぐさで突き出された白い指先で、水の石が凛と光った。
防御壁の役割を果していた水が突如牙を剥く。
窓枠のところに立っていたヴィントレッドの体が、水の壁に押され外へと吹っ飛ばされた。
「おっと」
だが、彼は露ほども動揺した様子を見せない。
逆らわず外へと弾き出された男は、平然と同じ高度に身を浮かせている。
その指先で抜け目なく光り始めた緑の輝き。
オルバンが風靴と呼んだ、おそらくは飛行を可能にする魔法を使用しているのだろう。
しかも驚かされたのはそれだけではなかった。
中空に浮かんだヴィントレッドの横に、空から別の人影が降って来た。
紺色の長衣の裾を神経質なしぐさで捌くのは、額の中央で分けた長い黒髪を持つ痩身の美青年である。
切れ長の青い瞳には知性と理性、そしてなぜか思い込みの激しさが同居しているように思えた。
少し例の情報屋、エルストンを彷彿とさせるが、彼と違うのは攻撃性というか刺々しさを感じさせるところだろう。
この青年の姿を見た途端、レイネが小さく息を呑んだのをティスは聞いた。
「リオール……あなたが、なぜ」
「そう言いたいのはオレの方だ」
リオールと呼ばれた青年は、細い眉を不快そうにひそめレイネを見つめる。
彼の指ではヴィントレッドと同じ風の精霊石が光っており、その光を受けて青い石もぼんやりと輝いていた。
レイネと知り合いらしいことからも、リオールはどうやら水の魔法使いらしいとティスは読んだ。
そういえばグラウスには水も大勢従っている、とディアルが言っていた。
どうなることかと緊張しているティス、それにザザを尻目に、リオールはレイネを見つめたまま言った。
「レイネ、ディアルはまだ分かる。だがなぜオルバンなどと手を組んだ。……しかもお前は、よりにもよってあいつに汚されたというじゃないか」
暗い情熱を秘めた彼の言葉に、ザザがえ、と間抜けな声を上げる。
ティスも思わず青ざめたが、レイネはぴくっとまつげを震わせただけだった。
少しだけぎこちない声で、彼は淡々とこう言い返す。
「私はオルバンと手など組んでいない。グラウスの愚かな野望を止めたい、その目的がたまたまあいつと一致しただけです」
「グラウス様のことを、愚かだと?」
さも馬鹿にしたようにリオールは繰り返した。
その瞳にはかすかな憐れみすら漂っている。
「ああ、レイネ。オレにこれ以上失望させないでくれ。誰よりも高い理想と、それを達成するための情熱を持っていたはずのお前が、なぜそんな妄言を信じてしまうんだ」
「黙りなさい! あなたこそ、本気で魔法使いが人間を裏から支配するなどということが正しいと思っているのですか!?」
「どこが違っていると言うんだ!」
頭から己の正しさを信じている口調でリオールは断言した。
「魔法使いは人間より強い能力を持っている。それはレイネ、お前だってよく分かっているだろう。それでも人間がこの世界で偉そうな顔をしているのは、単に魔法使いが自ら隠遁生活を選んでいるからに他ならない!」
この体のどこからこの声が出るのか、という大声で彼は熱弁を振るい続ける。
「オレたちの知恵と能力を貸してやれば、人間たちも今よりずっといい生活を送ることが出来る。支配、などという言葉を使うから勘違いされてしまうんだ。オレたちは人間たちの暮らしを裏側から支え、守ってやるんだ。これのどこが愚かな考えだ!」
確かにリオールの言う通り、魔法使いは通常人前に出ることを好まない。
わざわざ人間の前に出て来て暴れるオルバンは特例中の特例である。
しかしそれ以外の点については、人間であるティスには正直同意できなかった。
人間は魔法使いより弱い、それはもちろん分かっている。
けれど別に人間は偉そうにしているわけではなく、魔法使いへの強い恐れを持ちながら生活している。
魔法使いから見れば弱くて愚かに見えるかもしれないが、自分たちの出来る範囲で精一杯生きているのだ。
支えて守ってやるなどと、押し付けがましいことを言われるいわれはないはず。


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