炎色反応 第六章・15



「人の心配をしている場合じゃないよ。君にもね、どうしても君を説得したいと言っている相手がいるんだから」
にこっと笑った彼は、そこでちらりと扉の方を見た。
「早いな。君を捕まえたとは先に教えてあったから、だいぶ張り切ったみたいだね」
「おい、まさか本当にこの短時間でオルバンたちを倒して戻ったのか?」
ヴィントレッドが多少動揺したように言うのが聞こえた。
「細かいところは分からないけど、戻って来たのは確かだ。ほら、もうすぐそこに」
頭上でどんどん進行していく会話の流れから、ティスだけが一人取り残されている。
体が勝手に動いた恐怖に加え、カービアンの言う「説得したい人」が気になって仕方がない。
だがそれほど待つ必要はなかった。
カービアンがすぐそこ、と言ってから程なく、部屋の扉が勢い良く開かれたからだ。
途端にティスの体は、その意思とは無関係に動き出す。
上半身が起こされた状態になったと思ったら、次に首が回って扉の方を向かされた。
そこに立っていたのは、国の擁する騎士団の鎧に身を固めた若い男である。
金の髪を少しだけ乱し、非常に急いで来たのが分かる彼はティスを見て満面の笑みを浮かべた。
「やっと会えたね……ティス」
物語に出て来るどこかの国の王子様のような、陰りのない美貌を更に輝かせる笑み。
大抵の女性を虜に出来そうなその笑みを見て、ティスの頭の中が今度こそ完全に真っ白になる。
二度と会えないと思っていた。
会わない方がいいとも。
だが彼は幻などではないらしく、姿勢良く近寄って来て身を起こした状態で動けないティスを強く抱き締める。
見た目よりたくましいその腕に強く抱き締められたまま、ティスは呆然とこう言った。
「…………イ……イーリック………、…うそ」
「嘘じゃない。僕だよ。ああ、会いたかった、ティス……」
もっと強くティスを抱いて、イーリックはそれは愛しそうにつぶやく。
後頭部や背中を慈しむように撫でられて、ティスは全身に悪寒が走るのを感じた。
「いや……嫌だ、は、離して!」
叫んでも、相変わらず体が動かない。
「ティス」
イーリックの声がたちまち悲しげな響きを帯びる。
「そんなに僕を嫌わないでくれ。ずっと、ずっと君に会いたかったんだ」
違う、誓って彼のことを嫌いになったわけじゃない。
今でも好きだと、大切な人だと思っている。
だからこそ命懸けでオルバンにイーリックを殺さないでくれと願ったのだ。
だが同時に、二度と顔を見せるなと約束もしたはず。
彼の身を案じてはもちろんだが、優しい兄だったはずのイーリックの変貌に耐えられなかったからである。
あの時のことを忘れてくれたのならとにかく、肌に触れるやり方一つに欲望がちらちらと見え隠れしている。
突然すぎる再会への混乱もあり、ティスは無我夢中でイーリックを突き放そうとした。
「嫌だ、やだ、離して、離して……!」
何とか腕に力を込めようとしたら、ある一定の力を入れた瞬間激痛が走った。
「いたっ…………!」
神経を直に這うような痛みに、瞳に涙がにじむ。
全身を硬直させてしまったティスを、カービアンがにこにこしながら見て言った。
「勝手に動いてはだめだよ。それに、そんなに冷たい態度を取るものじゃないな。イーリックは心から君を愛し、君のために生まれ変わったのに」
「生まれ…?」
訳が分からず、手も動かせないティスの瞳の端ににじむ涙をイーリックがそっと拭ってくれる。
彼の指先が眼前に現れた瞬間、ティスは恐ろしいものを見た。
「イーリックさん……それ…………、まさか」
オルバンの、ディアルの、レイネの、ザザのヴィントレッドの指に魔法使いの証として輝く精霊石。
なぜそれと同じものが、普通の人間のはずのイーリックの指にある?
「僕は生まれ変わったんだよ」
大切な秘密をささやくように、イーリックは厳かな声で言った。
その優しい声がまた、怖くて怖くてたまらない。


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