炎色反応 第六章・16
「あの後…………僕は、君をオルバンから助け出すために騎士団への入団を志願した。その時カービアン様に会って、言われたんだ。もっと強くなりたいのなら、方法があるってね」
ティスの涙に濡れた指先を、彼はゆっくりと広げてみせる。
緑と青と黄、風と水と土の精霊石がその指で誇らしげに輝いていた。
「辛い修行を重ねて、僕は三つの魔法を操れるようになったんだ。……オルバンもディアルも、僕が率いた人魔たちの軍団の前に撤退していったよ」
くすりと笑う瞳に浮かぶ、強者の余裕と驕り。
村で暮らしていた時はもちろん、最悪の形で別れたあの時ですら感じたことのなかった恐怖に血の気が引いた。
それこそどんな魔法を用いたのか分からない。
けれど確かに、イーリックは生まれ変わったのだ。
魔法使いの力を手に入れ、よりにもよってグラウスの手先へと成り下がった。
「なんで……」
「君を、いや全ての人間を魔法使いの脅威から救うためだ」
真摯な、リオールが見せたのと同じ盲目的と言える態度でイーリックは語る。
「ティス、君が一番分かってるはずだろう。魔法使い、特に火の魔法使いの傲慢さを」
言うまでもなく、オルバンとティスとの関係について言っているのだ。
「散々ひどい目に遭わされて……かわいそうに。君だけじゃなく、あいつの自分勝手な行動で迷惑をしている人は多い。そうだろう?」
イーリックの言う通りではある。
オルバンはティスの目の前で何人も人間を殺したし、レイネにも非があったとはいえ彼を強姦したりもした。
そもそもオルバンと出会った時も、ティスは少々気が立っていた彼の気慰みに陵辱され連れ去られたのだ。
怖かったし嫌だった。
けれど逃げ出すことも出来ないまま、気が付けば日々を重ねてしまった。
いつの間にかティスの心にはオルバンへの不思議な感情が芽生えつつある。
愛とも恋とも違うと思うけれど、ひどい人だと思いながら彼を悪く言われると何となく嫌だった。
黙り込んでいるティスを見て、イーリックはかすかに眉をひそめる。
「ティス。どうしたんだ」
貴公子然とした整った顔立ちに、薄い苛立ちが浮かんだ。
水の石がはまった指が、ぐいと強くティスの顎を掴む。
目と目を合わせ、深くまで覗き込むようにされると背筋に戦慄が走った。
オルバンのようにあからさまな脅しをかけられているわけではないのに、硬直した体が勝手に震え始める。
「まさか本当に、あいつのことを好きになった……?」
消えていく語尾が恐ろしい。
余計に声を出せずにいるティスから、イーリックはいきなり目を逸らした。
「カービアン様、約束でしたよね。倒すことは出来ませんでしたけど、オルバンとディアルを追い払うことは出来ました」
きれいな横顔を見せ、淡々と話す内容にティスは改めてはっとした。
そうだ、さっきも倒したとかどうとか言っていた。
以前のイーリックはオルバン相手に、まるで赤子の手でもひねるように呆気なくやられてしまったのに。
「ああ、結構だ。グラウス様もお喜びだろう」
にっこり笑うカービアンに、イーリックもわずかに唇をほころばせた。
「この子は僕がもらいます。今後二度と、僕以外の男には触れさせない」
「おい」
ヴィントレッドが驚いたように声を上げると、イーリックは今度は彼の方を向いた。
「聞きましたよ、ヴィントレッド様。あなたもティスを抱いたって」
敬語口調の声の底に、暗いものが流れている。
あのオルバン、ディアルを追い払った男と分かった上だ。
ヴィントレッドは瞬間身構えるような顔付きになったが、彼も自尊心の強い火の魔法使いである。
「……ああ。可愛い兎ちゃん、オレに突っ込まれてひいひい言って悦んでたぜ」
挑発的な言葉を聞いていると、誰より一番ティスが怯えてしまう。
まだ状況の全てを理解出来ていないこともあり、はらはらしているその耳にイーリックの低い声が聞こえて来た。
「でしょうね。分かっています、ティスがとても快楽に弱いことは」
まだティスの顎に触れたままの指先を、イーリックはそろりと滑らせる。
途端、びくっと身を震わせたティスを彼はおかしそうに見て笑う。
「だから他の男の分も、僕がこの子を満足させてあげます。ね? ティス」
きれいで壮絶な、大好きだったはずの人の笑顔。
「…………や……」
ティスはそれ以上の声が出せなかった。
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