炎色反応 第七章・9



ティスはといえばしどろもどろに、けれど妙に必死な様子でこんなことを言い始める。
「け、剣とかで、切ってくれればいいから…………手も、痛くないし、オレ、大丈夫だから……」
不自然極まりない態度を取るティスを、イーリックは静かな瞳でじっと見つめた。
そして彼は、もう一度指先の石に力を送る。
「あッ!」
驚きの声を上げたティスの手首は、あっという間に風の刃に解放された。
汚された顔を、清らかな水流が舐める。
痛かったはずの体のあちこちも、同じ水が優しく撫でてくれた途端全く痛くなくなった。
「ほら、これで大丈夫」
にこりと微笑んだ彼は、何も言えずにいるティスに一揃いの服を持って来た。
「着替えて。立てるかい? 良かったら、久し振りに少し散歩でもしよう」
月明かりに金の髪がきらきらと輝いている。
やはり何も言えず、ティスは沈黙したまま服に袖を通し始めた。




二人、夜の王宮の中庭を無言で歩く。
外は厳重に兵士に固められているが、ここは王宮内でもかなり奥まった場所だからか。
あるいはグラウスが魔法による防御を施しているためか、秘められた庭には他に人気はない。
ここに来るまで見たことも聞いたこともなかった美しい花たちが、月明かりの下で神秘的な色合いを見せていた。
細かな石の敷かれた細い道を並んで歩いていくと、やがて道の両脇にたくさんの白い花を付けた木々が出現し始めた。
かすかな甘い香りが夜の冷気の中に混じっている。
時折はらはらと、夜目にも白い花びらが舞い落ちる様が妖しくも美しく、なぜか少し悲しい。
「きれいだね」
思い出したような間合いで降ってくる花びらを眺めながら、足を止めたイーリックがつぶやいた。
「村にいた時、よくこうやって散歩をしたね」
「…………そうですね」
珍しい花が咲いたとか、春を告げる鳥の声が聞こえたとか、よくそんなことを理由に二人で村を離れて歩き回った。
整った顔立ちと優しい笑顔、優れた剣の腕を持つイーリックは村の女性たちの憧れの的。
時には彼女たちに邪魔者扱いされてしまったりもするティスだったが、肝心のイーリック本人はいつもティスといっしょにいることを選んでくれた。
申し訳ない気持ちもありつつも、やっぱりどこか嬉しかった。
一人っ子のティスにとって、イーリックは本当の兄も同然だったから。
彼のことが好きだから。
純粋な気持ちで、いっしょにいたいと思っていたから。
「もっとたくさん降って来たら、もっときれいだよね」
いつしかうつむいてしまっていたティスの耳に、イーリックの静かな声が響いた。
ぎくりとして顔を上げると、彼は軽く右手を掲げその指先の緑の石を光らせたところだった。
一陣の風が頭上の枝を揺らす。
白い花びらが零れ落ち、はらはらと夜の闇に舞う。
「ほら」
かすかに微笑んだイーリックの指先で、また風の石が光る。
もう一度吹いた風がまた枝を揺らし、そのたび白い花が二人の周りに舞い降りてきた。
今にも泣き出しそうになっているティスに構わず、彼はグラウスの与えた力を使い続ける。
「ほらティス、きれいだよ。ほら」
「やめて」
か細い声をティスは絞り出した。
「やめてよ、イーリックさん。もうやめて……」
大きな水色の瞳の縁を淡く潤ませ、肩を震わせる少年をイーリックは黙って見下ろす。
その顔はとても優しく、ティスの知っている彼そのものだった。
「誰に聞いたの?」
一言で、分かってしまう。
自分の態度がおかしくなった理由について、イーリックがすでに理解していることを。


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