炎色反応 第七章・20



「あいつといっしょに、逃げればいい。あいつもリオールの誘いに乗らないで、意地を張り続けてるからな」
「あ、あの、でも……」
おそるおそる、ティスはつぶやいた。
「レイネ様は、どこにいらっしゃるんでしょう。オレ、この部屋と外の庭ぐらいにしか行ったこと……」
「だから、レイネがいるところまではオレが案内するよ」
全部言わせる気かよ、とぶつぶつ言いながらもザザは説明してくれた。
「いいか、オレは絶対にいっしょになんか逃げないからな。イーリックともリオールともやり合う気はない。お前らのせいで痛い目見るのはごめんなんだ」
この辺りは相変わらずの小物ぶりだが、ティスは感謝の念に瞳を潤ませて彼を見た。
何も表立って反抗する必要などないのだ。
ティスとレイネが逃げ出す、それだけで話は十分。
この先オルバンやディアルが来てくれたとしても、人質を取られたままでは厄介なことになってしまう。
最悪の事態を回避できる可能性を自分で作り出せる、それだけでありがたい。
「ありがとうございます」
震える声でティスは言った。
「それだけで結構です。レイネ様の足手まといにしかなれないかもしれないけれど、レイネ様もオレのこと心配してるだろうし……二人で、何とか逃げてみます」
意を決しての一言に、ザザも真剣な顔になってうなずく。
いっしょには逃げない、痛い目を見たくないと予防線を張るように彼は言った。
だがティスの手引きをしたことがばれれば、ただでは済まないことぐらい分かっているだろう。
「でも、なぜ……?…」
口に出してしまって、ティスは少し慌てた。
せっかくの彼の好意に疑問など持ったら、機嫌を損ねてしまうかもしれないと思ったのだ。
案の定ザザはまたふてくされたような顔になる。
しかし意志を翻すつもりはないようだった。
「お前がオルバンの側にいりゃ……あいつもオレのことを、昔みたいにはいじめないみたいだからな」
短い三人旅の間、オルバンは何かにつけザザをからかってばかりだった。
だがザザから見れば、あれでも昔よりはましだということらしい。
「それに、あいつの奴隷を逃がしてやれば、あいつに恩が売れる」
これに関してはティスは正直どうかと思う。
相手はあのオルバンだ。
ザザがティスたちの逃亡の手引きをするぐらい、当然とぐらいにしか思っていないかもしれない。
けれど何となく、ティスはそれ以上追及するつもりになれなかった。
「ありがとうございます。よろしくお願いします」
代わりにもう一度深々と頭を下げると、ザザは照れたように目を伏せいきなり話題を変えた。
「それよりイーリックの奴、今はいないみたいだけどいきなり戻って来たりしないだろうな」
この口調からすると、ザザもやはりイーリックのことは気に食わないようだ。
だがイーリックの居場所も、いつ戻るかもティスにはさっぱり見当が付かない。
「わ、分かりません。気付いた時にはいなくて……」
「今日は確か、休暇願いを出してたはずなんだよな。だからオレもちょっと様子見に来ただけのつもりだったんだけど、姿が見えなかったからさ」
忙しい合間を縫い、イーリックは少しでもティスとの時間を取ろうとしていることはティスの方がよく知っている。
休みの日ともなれば、その前日の夜から抱かれ続けているのが普通だった。
それが今日は、服まで着せ付けられてベッドに横たえられたまま。
目覚めてからそれなりに時間は経っているのに、いまだ姿を見せる気配もない。
「…………今日は……もしかしたら、戻って来ないかもしれません」
イーリックの力の秘密を知って以降、ティスは強い抵抗を示すことが出来なくなってしまった。
それを逆手に取って夕べ彼は、ティスの方から自分を求めさせようとした。
けれど最後の最後に、好きなだけではだめかと問うたティスにイーリックはひどく辛そうな顔をした。
卑怯な手段を用いてまで己の欲を通そうとする男には不釣合いな、悲しそうな顔だった。
イーリックは本心から自分を好いてくれている。
自惚れではなく、こうまでされたらティスもそれを信じざるを得ない。
真剣な想いには真剣な想いで応えなければいけないだろう。


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