炎色反応 第七章・45
とっさに叫んだティスに、オルバンはなぜか面白そうに笑った。
「いい度胸だな、ティス。またご主人様に命令か」
瞬間、ティスの背筋が冷たくなる。
ザザの顔を見るに、どうやら彼の背筋も冷たくなっているようだ。
「オルバン、待てッこれはオレの意志じゃっ…………、いででででででで!」
弁解の言葉が途中から悲鳴に変わった。
感電でもしたようにザザの腕が痙攣し、掴んでいたティスの体を取り落としてしまう。
その場に放り出されたティスが咳き込みながら見つめると、ザザは痩せた腕の手首辺りを押さえて痛い痛いとわめいていた。
状況から見てオルバンが彼の体を操っていた風の糸を抜いてくれたのは間違いない。
しかし先程、ティスを支配していた糸を切ってくれた時には痛みどころか切られたことさえ一瞬分からなかったぐらいだったのに。
「ああ、悪いな。使っているものを急に抜くのは結構難しい」
ちっとも済まなくなさそうにオルバンが言うのが聞こえた。
そこから糸が出ていったのか、赤く腫れた手首をさすりながらザザは怒鳴る。
「嘘つけ、わざとだろう絶対! おま、お前の力なら絶対もっと痛くなく出来たはずだ!」
しらを切ろうとするいじめっ子に、いじめられっ子は必死の形相で抗議した。
だがオルバンは、金の瞳を三日月のような形に細め美しくも恐ろしく笑って言う。
「ザーザ、このオレが今のふざけた真似をこれっぽっちで許そうってんだぜ。どれほどの優しさを見せてやってるか分からないのか?」
わざとらしい猫撫で声が逆に怖い。
思わずザザといっしょにびくびくしてしまうティスに視線を移し、オルバンは更に言った。
「ティス、お前もだ。お前のような身の程知らずの可愛い淫乱には、後で十分お仕置きをしてやらないとな」
脅し文句の語尾ににじんだ甘い何かに、冷やされたばかりの体がじんとほてるのを感じた。
怖くて嫌で恥ずかしいばかりだったはずの「お仕置き」という言葉が、淫らな体の芯に火を点ける。
こんな時だと分かっているけれど、ティスは顔を赤らめて主人を見つめ返した。
「オルバン様……、あっ、危ない!」
ヴィントレッドの手から放たれた炎の蛇が宙を走る。
素早く火の剣を一閃させ、蛇を斬ろうとしたオルバンだが蛇はうねうねと剣身に巻き付いた。
呆気なく剣を放棄したオルバンとヴィントレッドの間で、境目を失い一つの炎と化した剣と蛇が燃え上がり、消える。
後に残った一掴みの黒煙も消えた後、ヴィントレッドは赤い瞳でオルバンを挑発するように見て言った。
「随分優しいじゃないか、火のオルバンともあろう者が」
ザザ、それにティスへのオルバンの態度をヴィントレッドはからかう。
悪名高い火の申し子として有名な彼なら、ザザごとティスを焼き殺してもおかしくはなかったはず。
そもそもこうして乗り込んできたこと自体がおかしいとも言えるぐらいだ。
なのに今オルバンは、分不相応なティスの願いを聞き入れたばかりかザザを風の糸から解放してやった。
合間に貧相な幼馴染をからかうことも忘れなかったが、本人が言う通りあまりにも優し過ぎる。
「そんなにそこの淫乱兎ちゃんに惚れてるとは知らなかったぜ。結構可愛いものじゃないか、お前も」
小馬鹿にしたような彼の台詞に、オルバンは平然と返した。
「オレはオレのしたいように生きる。優しくしたいと思えば優しくするさ。人の指図は受けない」
眉一つ動かすことなく、彼はさらりと言ってのけた。
それを聞き、オルバンのすぐ横に立ったディアルの口元に不思議に穏やかな微笑が浮かぶ。
「そうだ、こいつは火のオルバン。周りが勝手に作った偶像通りに動くような奴じゃないぞ」
イーリックに追い払われていた間に、二人の間で何かあったのだろうか。
ディアルはオルバンの答えに全く驚く様子なく、至って満足げな顔をしている。
武骨な顔立ちに隠れた優しい瞳がちらりとティスを見る。
目と目が合った瞬間、ディアルが感謝を示すように小さく頭を下げたのを見てティスはびっくりしてしまった。
こちらが彼に感謝することはあれど、彼に頭を下げられる覚えなどない。
訳が分からず、かえって不安そうな表情になってしまうティスを今度はオルバンが見て言った。
「お前こそ、気付かないのか? ティスの持っている力に」
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