炎色反応 第七章・46
ますます驚き、ティスは主人を見つめ返す。
この緊張した場面でからかわれているのだと思い、彼はたどたどしい口振りで否定した。
「そんなっ…………、オレに、力なんか……オレは、ただの、人間です……」
「ああ、お前はただの人間のガキさ。ちょっとばかり他より可愛くて、だいぶ人より淫乱なだけのな」
オルバンはあっさりとティスの言葉にうなずいてみせる。
しかし続く言葉をつぶやく唇には、とても楽しそうな笑みが浮かんでいた。
「そういう力を持っているということだ。魔法使いにはない、ただの人間にしかない力をな」
全く意味が分からない。
最早立ちつくすしかないティスだが、奇妙なことにヴィントレッドも黙り込んでしまっている。
てっきり何を馬鹿なと大笑いされるに違いないと思っていたのに、逆にその表情は妙に生真面目なものに見えた。
「…………そうかもな」
ヴィントレッドにまで肯定され、かえっておろおろしてしまうティスをグラウスが見つめている。
それこそただの人間と言ってもたやすく通用しそうな、凡庸な容姿の中で穏やかな瞳が鋭くきらめいていた。
「なるほど、ね。確かにそうだ。ヴィントレッドといい、イーリックといい、ザザまで動かす君には特別な何かがあると言わざるを得ないな」
グラウス様まで、と怯えたティスは、彼の表情を見て更にすくみ上がる。
これから切り刻む予定の実験動物を見つめるような、純粋な好奇心に満ちた残酷さをグラウスは隠すつもりがなくなったようだ。
火の魔法使いとはまた違う、独特の得体の知れない恐怖を漂わせた風の魔法使いはにこにこしながら言う。
「君なら全ての属性の石を宿す、なんてことも案外出来たりするのかな。後で試してみよう」
精霊の石は、素養を持たぬ人間には劇物に等しい物らしい。
四属性のどれかを宿すだけで死ぬような者も多いとティスに語ったのは、その時はカービアン面していたグラウス本人である。
震え上がるティスの前髪がふわりと浮かぶ。
どこにでもいる優しげな青年の体を、力持つ風の渦が取り巻き始めた。
「うわっ!」
見る間に背後の壁に押し付けられ、ティスは悲鳴を上げて必死に目を閉じる。
そのすぐ横にザザも押し付けられ、二人は固く瞳を閉じ身を寄せ合って壁にかじり付いていた。
油断すれば足元が浮き上がりそうだ。
一度この風に巻き込まれれば、空気の刃及びすでに中に取り込まれた部屋の残骸たちにより全身を切り裂かれてしまうだろう。
「魔法使いをたらし込む力を持った兎ちゃんか。ますます気に入ったぜ、ティス」
見えずとも赤い瞳をらんらんときらめせているのが分かるような、嬉々とした大声でヴィントレッドが吠えた。
「面白い。ならオレは本当に子供が産めるようにしてやろう。淫乱子兎ちゃんは高値で売れるぜ!」
冗談か本気か不明なたわ言を叫び、ヴィントレッドは可愛い兎の主人を始末しようと片腕を振り上げた。
だがその前に、ディアルが無言で立ちはだかる。
「貴様の相手はオレがする」
一言一言は言葉は短いが、その分彼の言葉には重みがある。
ティスに見せた武骨ながらも優しい笑みは、静かな怒りを秘めた黒い瞳の中にはない。
地の魔法使いに相応しい、巨岩のような物言わぬ圧迫感にヴィントレッドも何かを感じたようだ。
「上等だ。不動のディアル、お手並み拝見と行こうか!」
オルバンとは違う意味でディアルも魔法使い間では有名人らしい。
恵まれた体躯を持つ男同士、向かい合っての戦闘を早速二人は開始した。
その横で、再び炎の剣を構えたオルバンと室内を荒らし回る小型台風の中心に立つグラウスは互いに薄く笑みながら向かい合っている。
片手で目を覆い、指の隙間から何とか状況を窺うティスの耳にグラウスののんきな声が聞こえて来た。
「それにしても、長たちも馬鹿だなあ。どれだけ切羽詰ったのか知らないけど、ディアルはとにかく君に私を何とかしろと訴えるとはね」
ふふ、と笑って首を傾げるしぐさは妙に可愛く見えないこともない。
「風の面汚しはどっちだよ」
「まあな。最大の面汚しは、お前を見込んで死んだ奴らの石の管理をやらせたことだろうが」
一応頼まれた立場のはずだが、案の定オルバンに風の長たちに対する尊敬の念はないようだ。
だからといって、グラウスに肩入れするつもりもさらさらないようだが。
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