炎色反応 第七章・53



オルバンとはまた違う意味で火の魔法使いの変り種であるザザは、元相棒の呆気ない戦線離脱に驚いているようだ。
するとヴィントレッドは、大袈裟に意外そうな顔をして彼を見つめ返す。
「なんだ? 心配してくれるか。さては初めての男に情が移ったな?」
「なッ…………!」
同時に犯されたティスとレイネは仕方がないにしても、ディアル、それにオルバンには最も知られたくないことだったはず。
真っ赤になったり真っ青になったりしているザザの、髪も眉もない貧相な体を見て彼はけらけらと笑った。
グラウスという主も、イーリックという目の仇からも解放されたことで逆に吹っ切れたのかもしれない。
元々が風来坊というヴィントレッドの表情は明るかった。
「それじゃあなザザ、体が寂しくなったらオレのことを思い出せよ!」
言うなり彼の体は、薄暗い地下通路へと滑るように抜け出ていった。
オルバンは軽く肩を竦めただけで追う気配を見せない。
更なる力を増して戻って来た彼は、自主的に撤退したヴィントレッドごとき相手にするつもりはないようだ。
だが、イーリックに対してはそれで済ませるつもりはないようだった。
イーリックも覚悟はすでにあるようだ。
グラウスのように一塊の灰にされるところまではいかなくても、多分体の内部に相当量の損傷を受けている。
一人で立ち上がることも出来ないようだし、だからといって命乞いをするつもりもなさそうだ。
せめて、というようにオルバンをにらみ上げる瞳には不屈の意志の光がある。
ティスを奪ったことも、魔法使いとなったことも後悔などしていない。
殺すなら殺せ。
そう言うような目だった。
「オルバン様…………」
手近の壁にすがりながら立ち上がったティスは、か細い声で主人を呼んだ。
分かっている。
イーリックのやったことは言い逃れ出来るようなことではない。
ましてやついさっきも、先手を打ってオルバンに釘を刺されたばかり。
二度目の命乞いにより、今度こそ自分も一握りの砂に変えられてしまう可能性も高い。
だけどここで何もせずにはいられない。
そう思ってとにかく声を出そうとしたティスではない少年の声がイーリックを呼んだ。
「イーリックさんっ!」
先程ヴィントレッドも出て行った、扉を失った部屋の入り口から白いシャツ一枚の小柄な影が走りこんで来る。
グラウスの死により風の糸から解放されたレミーだった。
「レミー、来るな!」
はっとしたように叫んだイーリックに、一瞬レミーは足を止める。
しかししゃがみ込んだイーリックの前、明らかに彼を見下すような目をした黒衣の男を見た途端レミーは再び叫んだ。
「やめて…! イーリックさんを殺さないで!」
「レミーやめろ!」
身動きままならないまま怒鳴ったイーリックを尻目に、レミーは大胆にもオルバンに近付いていった。
思わず小さな声を上げてしまったティスに構わず、彼はオルバンの黒衣の裾に額をこすり付けるようにして必死に懇願する。
「殺さないで、殺さないで下さいお願いします! ごめんなさい、イ、イーリックさんがしたこと、良くないことだって分かってます……! だけどこの人を殺さないで、後生です魔法使い様…………!」
ティスによく似た少年の口から漏れるのは、正しくティスがオルバンに訴えようとしていた言葉だ。
涙を流し、かすれた声で訴えるレミーをしばらくオルバンは見下ろしていた。
と、彼の右足が動く。
「あっ!」
軽く蹴り転がされたレミーは、よろけてイーリックの方に転がる。
イーリックは内部に火傷を負った腕を伸ばし、懸命に少年を抱き締めて叫んだ。
「やめろオルバン、この子は関係ない! 無関係な人間を殺すなんて魔法使いの名折れだろう、殺すなら僕だけを殺せ!」
痛みに顔をしかめながらも強気な態度を取るイーリックをオルバンは小馬鹿にしたように見て、こう言った。
「殺す? 馬鹿な。命を削らないと魔法を使えないような無能に、オレが手を下す価値があると思うか」
死にすら値しないと言わんばかりの、手酷い蔑みの言葉にイーリックは奥歯を噛み締める。
だがオルバンは、なおも意地の悪い笑みを浮かべ更に続けた。
「それにな、人間。死んで永遠にティスの心に残るなんてのは、お前には過ぎた幸運だ」


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