Don't Leave me ・17



「ジラルドさん、兄さんに会ったの?」
口うるさいがその分弟を可愛がっているカルアンは、常々ジラルドに会うな会うなと言っている。
その彼がなぜジラルドに会うのだろうと思ったアシェンは、そういえば、と思い当たった。
「もしかして兄さんが、僕がその学校に行く、とか言ったんですか?」
ジラルドは答えない。
悪さを見咎められた子供のように強張った顔を、アシェンは苦笑いして眺めていた。
「そうなんだ……ううん、僕、行かないよ。だってそんなとこに行ったら、ジラルドさんに会えなくなっちゃうし」
ここから山向こうと言えば、大人の足でも数日かかる。
万一そこの学校などに入ったら、別に家を借りるかあるいは寮のようなところに住むことになるだろう。
今だってなかなか会いに来られないのだ。
そんなことになったら本当にジラルドに会うことなど出来なくなってしまう。
だから学校になど行くはずがないと、語るアシェンの瞳からなぜだかジラルドは目を逸らした。
「行くとしたら兄さんの方じゃないかな……兄さん、父さんみたいな行商人じゃなくて町に固定で店を出したいって言ってたから」
年齢的にそろそろ独り立ちする時期を迎えつつある兄は、しょっちゅう父について遠くの町に買出しに行ったりしている。
「僕、そんなに頭も良くないし、兄さんもオレの店を手伝えって言ってるから……だから僕、どこにも」
突然ジラルドの腕が伸びて来た。
息苦しいぐらいにぎゅっと抱き締められ、アシェンは目を白黒させる。
「すまない」
「ジラルドさん?」
謝罪の意味が分からず、アシェンは暖かな感触に戸惑うだけだ。
兄が嘘を吐いたことに関し、なんで彼が謝るのだろうか。
「僕こそ、ごめんね……兄さんに、後で言っておくね。ジラルドさんは僕を助けてくれた人なんだから、変なこと言わないでって……」
その言葉を聞いて、ジラルドのアシェンを抱く力は更に強くなった。
少し震えているような腕に強く抱かれていると、おとなしくなっていたはずの身の内の熱が蘇ってくる。
「はな……、して」
つぶやくと、ぱっとジラルドの腕が離れた。
ひどく気まずそうな顔をして彼はぽつりと吐く。
「……悪かった」
「……ううん」
また赤くなって来た顔をうつむけて、アシェンはもっと小さくつぶやいた。
「あの…………ええと、だから、また…………、来てもいい? 今まで、みたいに」
処理のためだけでなく、ただ会いたくて会いに来てもいいかと。
恥じらいながらの問いかけに、ジラルドは泣き笑いのような表情でうなずいた。
「来てくれ。……オレも、会いたいんだ。お前に」
心のこもった一言に、アシェンは一瞬の間を置いて嬉しそうににっこりした。
「良かった…………ジラルドさん、本当は、迷惑してるんじゃないないかって思ってたんだ。あんまりね、ジラルドさん表情が変わらないから、楽しいのは僕だけかなって」
「違う」
強く、ジラルドは言った。
「本当は、毎日だって会いたい。ずっと…………ここにいて欲しいぐらいなんだ」
端正な顔立ちに悲壮なものを漂わせ、そんな風に言われるとアシェンの口元は自然に綻んだ。
恥ずかしいし、痛いし、怖かったけど、ようやく教えてもらえたジラルドの本音が胸の傷を癒してくれるように思える。
「良かった。僕も、毎日だってジラルドさんに会いたい」
照れ笑いしたアシェンは、ふと窓の外を見て慌てた顔になった。
「日が……! ごめんジラルドさん、僕もう戻らないと本当に二度と会えなくなっちゃう!」
見る間に落ちていく日にせき立てられるよう、早口に言ったアシェンは急いで戸口に向かう。
「また、来るから! 明日は無理かもしれないけど、絶対また来るね!」
「あ、ああ」
ややどもりながらジラルドが言うと、アシェンはふと外に出る寸前で足を止めた。
「……もう、あの魔物は、いないよね?」
ぎくりとジラルドの顔が強張る。
だが彼は、努めて何でもないようにこう答えた。
「…………ああ。もう、いない。大丈夫だ。お前が無事に町に戻るまで、オレもちゃんと見守っている」
町の人々に嫌われているジラルドは最後までアシェンを送って行くことは出来ない。
だが彼の力を知るアシェンには、十分心強い台詞だった。
「ありがとう」
ぱたぱたと足音を立て、少年は息せき切って丘を下っていく。
その様を今交わした約束通り戸口に立って見守るジラルドの目には、苦い後悔があふれていた。
若いだけあってあまり疲労を感じさせないが、きっと家に戻ったらぐったりしてしまうだろう。
我が身に起こった災難を家族に隠し、今夜独りきり泣くのかもしれない。
「……すまない、アシェン」
銀の髪の下、輝く三つ目の赤い瞳は魔を操る異形の力を持つ証。
この辺りにはそういないはずの魔物になぜ、自分が突然襲われたのか……アシェンはきっと生涯気付かないだろう。
未通の体を初めて貫いた何者かが、人外ではあっても人の形をしていたことも。
それもとびきりの美青年の姿をしていたことも。
「もう、一人になりたくなかったんだ…」
狂おしく甘い罪の重さに耐えかねたように、ジラルドは迫り来る夜の闇の中でつぶやいた。

〈終わり〉

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