Don't Leave me 第二章・15
「まだ寝ていろ。…………無理をさせた、疲れただろう」
乾いた暖かな指先が、敷布の上から優しく肩の辺りを撫でる。
穏やかな口調でそんな風に言われると、アシェンの胸は温かな幸福に満ちた。
一抹の悲しさと切なさも入り混じってはいるけれど、ジラルドの気遣いが嬉しい。
「うん……でも、僕、今寝たらすごく寝ちゃいそうだし…………」
六日ぶりの情事による消耗はかなり激しい。
その上ジラルドが側にいてくれると思ったら、安心し切ってなかなか目覚めることが出来ないかもしれない。
いくらカルアンのお墨付きとはいえ、帰りがあまり遅くなってはまずい。
まぶたをこすりながらそう言うと、ジラルドは子猫のようなしぐさに瞳を細める。
「大丈夫だ、ちゃんと起こしてやる。さあ、目を閉じて」
優しい指先が額に触れる。
そのままくしゃくしゃと髪をかき混ぜられると、心地良さにアシェンは思わずうっとりと目を閉じてしまった。
「ん………、じゃあ、ちょっとだけ、ね……ちゃんと起きるから……」
敷布にくるまり、小さな体を丸めたその姿をジラルドは愛しそうに見下ろす。
あやすように柔らかな髪を撫で続けながら、彼は不意にこう言った。
「…………今度は、泊まりに来たらいい」
びっくりして、アシェンは閉じたはずの目をぱちんと開いた。
まさか彼の口から、そんな誘いの言葉が出て来るとは思わなかったのだ。
「………………いや、別に次もこんな風にするというわけじゃ…」
アシェンの驚きを少々誤解したらしく、ジラルドはもごもごとつぶやく。
それが何だかおかしくて、寝たまま幸せそうに微笑んだアシェンは思い切ってこう言ってみた。
「ね、じゃあジラルドさんが僕の家に来るのは……?」
今度はジラルドが驚いたように固まる。
「……オレが?」
「うん。今日ね、兄さんがジラルドさんに会いに行けって言ったんだ」
カルアンは、多分ジラルドに対しても悪いと思っているのだ。
一家の長男としてよく働く彼は町の人気者である。
行商人の卵として積極的にあちこち顔を出しているので、交友関係も広い。
そのカルアンが譲歩を示してくれたことは大きいと思う。
「ジラルドさんは、本当はとっても優しいから…………泊まりにじゃなくても、良かったら遊びに来て欲しいなって思って…」
照れたように笑ったアシェンは、そこで少し鼻の先を赤くした。
「べ、別に家でしようって言うのじゃないからね…………ただ、ジラルドさんに、僕以外にももっと仲良くする人が増えたらいいなって……」
とろりと瞳が潤み始める。
急速に忍び寄る睡魔に捕まったアシェンは、そこでことんと眠りに落ちた。
すうすうと幸福な寝息を立て始めたアシェンの側から、ジラルドは黙って立ち上がる。
「オレは……」
うめいた彼は、つと歩き出し部屋の隅に行く。
先ほどアシェンをいじめるのに使った鏡の前に立った。
ちらりとベッドのアシェンを見る。
少年は、小さな寝息を立てながら深く寝入っている。
それを確認し、鏡の中の自分の顔をジラルドは黙って見据えた。
アシェンにはおよそ向けたことのない険しい赤い瞳が、らんと光を放つ。
額にあるもう一つの目も、前髪で隠し切れないほどに赤々と禍々しく輝き始めた。
人ならぬ気配がその全身から漂い始める。
薄く開いた唇の奥、鋭い牙がちかりとひらめいた。
素裸の上半身が震えを帯びていく。
次の瞬間、彼の全身を形作る輪郭がぶれた。
覗いた牙が更に長く尖り、唇の端がぐっとつり上がる。
はっはっという荒い息がそこから漏れ出し、獣臭い匂いが辺りに広がっていく。
「……ぐっ……」
苦しげにうめいた彼は、汗にまみれた片腕を鏡に突く。
うつむき、顔を伏せた彼に生じかけていた異変はいつの間にか収まっていた。
赤い瞳をきつく閉じ、アシェン、と小さな声でつぶやく。
「オレは、お前が思うよりずっと…………」
窓から差し込む茜色を帯び始めた光に、かすれた語尾は溶けて消えた。
〈終わり〉***
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