Don't Leave me 第三章・10
父と母がなぜ医者を嫌がるのかと問い詰める横で、カルアンは険しい顔をして押し黙っていた。
何かにつけて兄貴風を吹かせたがる彼は、通常は一番弟の行動に対してうるさい。
アシェンがジラルドのところに出かけていくことを心配し、嘘を吐いてまで付き合いをやめさせようとしたことがある程である。
そんな彼が今回やけにおとなしかった、今思えばそれを疑うべきだったのだ。
カルアンは一人ジラルドのところに行った。
弟の様子がおかしいことを訴え、彼の助力を得るために。
「う、あっ…………やっ、違う、何でもない……!」
大声を上げ、アシェンは体を丸めて壁際に逃げた。
兄の気持ちは嬉しいが、何ということをしてくれたのだ。
ジラルドにだけは知られたくない。
そう思って今まで耐えてきたのに。
「か、帰って、だめだよジラルドさん、こ、こんなとこ来ちゃだめ、帰ってってば……!」
ジラルドもジラルドで、なんでここへ来てしまったのだろう。
しかもこんな昼日中、わざわざアシェンの家にまで。
さっきカルアンも言っていたではないか。
魔奏者である彼は街の嫌われ者。
迂闊に姿を見せたりすれば、きっと嫌な思いをするに違いないのに。
きつく毛布を握り締めたアシェンは、混乱しながら必死に帰ってくれと叫んだ。
しかしすぐに伸びて来たジラルドの手が、その身を包む布団の防御壁を剥ぎ取ってしまう。
「あっ……!?」
らしからぬ乱暴な行為に瞳を上げれば、燃えるような光を放つ赤い目と目が合った。
バベルと同じその色。
思わず身を竦めたアシェンを眺め、ジラルドはうなるように言った。
「お前から、嫌な匂いがする」
再び伸びた手がアシェンの腕を掴み、強引に引き寄せられる。
痛いとも言えないままのアシェンの顔を覗き込み、彼は続けた。
「アシェン。一体何があった」
険しい表情で問い詰められると、一瞬口が滑りそうになった。
慌てて思い直し、顔を背けてもごもごとつぶやく。
「な、何でも……、あ!」
長い指が、ぐいっとアシェンのあごを掴んだ。
問答無用でジラルドと向かい合う形にさせられ、らんらんと光る鋭い瞳に息を呑む。
暗い部屋の中、輝く赤い瞳は更にバベルのそれと似て見えた。
同時に、ジラルドの気配を感じ取ったせいだろうか。
体内に巣食ったスライムが、ざらりと中を舐め上げるようなしぐさを始める。
「……ンッ……」
食い縛った唇の隙間から声が漏れた。
かすかな声を聞きとめ、眉をひそめたジラルドはアシェンのあごを掴んだまま言う。
「一体何があった。言うんだ、アシェン。教えてくれなければオレにも対処のしようがない」
そんな風に言われても、当然アシェンは答えない。
しかしその頬が紅潮し始め、体がかすかに震えていることはジラルドも気付いているのだろう。
あのカルアンがわざわざ足を運んで来るぐらいだ。
よほどのことが起こっているだろうとは見当が付いているらしい。
引き下がらず、彼は更に続けた。
「無理強いはしたくない。アシェン、お願いだ。オレは怒っているんじゃない。ただ、お前を助けたいだけなんだ」
問い詰めるというよりは懇願するようなつぶやきに、アシェンの心は揺れる。
ジラルドぐらいにしか手の打ちようがないことも分かってはいるのだ。
でも、こんな風に優しい彼だからこそ、自分の手で渦中に引きずり込むようなことはしたくなかった。
「か…………、帰って、よ……」
懸命になるあまり、その口から出た言葉は冷たくすら聞こえた。
「ジラルドさんには、関係、ないから…………」
拒絶の言葉を聞いた途端、ジラルドの表情が軋んだ。
ぎりりと噛み締めた歯先が鋭く尖っていく。
端正な唇の奥から獣じみたうなり声が聞こえ、アシェンはびくっと体を強張らせた。
「…………そんなに、オレの手は借りたくないか」
低い声でつぶやくと、ジラルドは両手でアシェンの顔を挟み込んだ。
真正面から目と目を合わせた状態で、彼は三つの瞳に力を込める。
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