Don't Leave me 第四章・1



丘の上の小さな小屋の扉の前に、アシェンは不安な思いを抱いたまま立っていた。
木製の分厚い扉の向こうに気配は今日も感じられない。
「…………今日も、いないの、かな」
ぽつりとつぶやき、ためらいながらも扉を叩こうとした時だった。
「アシェン?」
驚いたような声に振り向けば、いつそこに現れたのだろう。
鮮やかな銀の髪をかすかに風に揺らしながら、美貌の青年が丘の上に立っていた。
「ジラルドさん!」
ぱっと顔を明るくしたのも束の間、アシェンの表情はすぐに曇ってしまう。
「ご、ごめんね、急に…………留守だって聞いていたのに、僕……」
「……いや」
驚きの表情をすぐに消し去ると、ジラルドは優しい口調でこう言った。
「訪ねて来てくれて、嬉しい。……寄っていくだろう?」
「うん……いいの?」
「もちろんだ」
にこりと笑うきれいな笑顔に、胸がどきりとしてしまう。
ジラルドは元々美しい青年ではあるが、普段は無表情に近いのだ。
十日ぶりほどに会った彼はいつになく優しく見えて、アシェンは胸が高鳴るのを感じた。
けれどなぜだろう。
胸にわだかまる不安が消えないまま、アシェンは彼に伴われ久しぶりの部屋の中へと足を踏み入れた。




しばらく留守にする。
そう言われたのは、バベルにけしかけられたスライムの一件が片付いて数日経った時だったと思う。
今までアシェンは彼が出かけている、という事態に遭遇したことがない。
なので非常に驚き、思わず「どこに出かけるんですか?」と聞いてしまった。
その瞬間ジラルドは明らかに視線を逸らした。
だから逆にアシェンはそれ以上聞けなかった。
嘘が下手な恩人を問い詰める資格など自分にはない。
きっと訳ありの用事なのだろうけど、アシェンには関係のないことなのだろう。
だからただ、「気を付けて下さいね」と言って別れたのだ。
ちょうどカルアンにも、しっかり勉強をすればジラルドのことを認めてもいいと言われたばかり。
会えない時間を有効活用すべく、アシェンなりにがんばってはみた。
けれど想いを自覚した体は、放っておいても勝手に熱を持つ。
しかし下肢にわだかまる熱を勝手に解放することはジラルドに禁じられているのだ。
思い余ってこの小屋を尋ねたのは五日ほど前のこと。
だけどいざ開いたいつもの扉の向こうに、美しい青年の姿はなかった。
それから数日して来てみてもやはり留守。
鍵もかかっていない扉の隙間から覗いても、見えるのは生活に最低限必要な家具だけだった。
まるで始めからそこには誰もいなかったような、寒々しい光景にひどく胸が痛んだことをよく覚えている。
考えてみればジラルドは、いついつ帰るとは言わなかったのだ。
行き先も教えてもらっていないから追っていくことも出来ない。
おまけに間が悪いことに、父親から最近北の国々に不穏な空気が漂い始めていることを聞かされている。
アシェンたちの暮らす平和な小国と違い、北の国は大国だ。
だがその分昔から周囲との争いの絶えない、物騒な土地柄なのだ。
何十年か前の戦争の際は、何人もの魔奏者をも巻き込み数え切れない死傷者が出たと聞いている。
魔物たちの動きが活発になって来ているらしいぞと、荷を解きながら父はぼやいていた。
戦乱の気配は好戦的な生き物である魔物たちを刺激する。
万一魔奏者が関わっているのなら尚更。
以前の戦争の際も、魔物による一大軍勢を引き連れ戦線を支配した魔奏者が存在した。
彼が行った大規模な魔物たちへの支配の術により、直接的には戦火を免れた地域にも影響が出たのだ。
また同じ事が繰り返されるのではないか。
魔物たちが騒ぐのはその前触れではないか。
そんな時に行き先も分からぬまま姿を消すなんてこと、本当はして欲しくなかった。


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