Don't Leave me 第四章・14
「す、すごいね兄さん…………あの、でも、大丈夫…………?……」
「ああ、まあな……」
生返事を返すカルアンの目は、さっきまでエルゼがいた場所辺りをまた見つめている。
魔の誘惑は強力だ。
ましてエルゼは、人目を奪わずにはいられない月光の化身のような美少年。
しかもあのバベルの、恐らくは愛人のような立場なのだろう。
彼のもたらす性的快楽は、きっと恐ろしくも素晴らしいものに違いない。
カルアンももてる方ではある。
気っぷが良くて愛想が良くて、男気あふれた彼は町の人気者だ。
けれどいくら何でも、魔物と寝たことなどないに違いない。
現にカルアンの目は、いまだエルゼがいた方向を向きっぱなしではないか。
心配になって兄に声をかけようとした矢先、兄の方が不意にアシェンを振り向きこう言った。
「お前、あいつを知ってるんだな。エルゼって呼んでた」
「えっ……、……あっ」
言われてアシェンは口ごもる。
互いに顔を見た瞬間、エルゼ、アシェンと呼び合ったのだ。
顔見知りだと看破されるのも当たり前だが、アシェンは背筋に冷たいものを感じた。
当然、なぜあのような魔物と知り合いなのかと言われるはずだ。
遡れば話はジラルドのところに行き着くだろう。
「……なあ。バベルってあいつの何?」
ところが、兄の最初の問いはそれだった。
「えっ…………あの、何で?」
驚いたアシェンが反射的に問い返すと、カルアンは斜めに視線を逸らして言う。
「いや……その、最中、何かぶつぶつ言ってたからさ。バベル様がどうとか、って……」
「あ…………バベルは、あの、エルゼの、多分主人で……」
お互いに視線を交わらせないまま、兄弟はぎこちない会話を交わした。
やがて少し間を開けて、いつの間にか服装をきちんと戻したカルアンがちゃんとアシェンの方を向いてこう言った。
「あいつがオレのところに来たのは…………ジラルドと何か関係があるのか?」
ついに恐れていた質問が来た。
ぎくりと身を硬くし、アシェンは震える唇を噛む。
今回襲われたのはカルアンだ。
彼にはそう聞く権利がある。
本来ならば今ここで、兄に殴り飛ばされていてもおかしくないのだ。
「……僕」
それでもやはりためらってしまう弟に、カルアンはふっと息を吐いた。
「今回はまあ、まだいいよ。でもあいつ、また来るかもしれないよな。今度はもっと、ひどいことをしに」
カルアンの言いたいことは分かる。
エルゼが次に何をしでかすか分からない。
バベルが出て来る可能性だってある。
カルアン以外の両親、いいや無関係な町の人間が標的にされる可能性も否定できない。
誘惑されることだって大問題だが、万一誰かが殺害でもされたらどうか。
もしもそんなことになったら、アシェンの一家はきっとここにはいられなくなる。
「…………僕……ジラルドさんと、話すよ」
拳を握り締め、アシェンはつぶやいた。
自分の認識の甘さに今更ながら腹が立つ。
おかしいと思うことは何度だってあったのに。
ジラルドを傷付けたくないという理由で彼を追求しなかった。
けれどジラルドを傷付けたくないのは、自分がジラルドに嫌われたくないからだ。
そのせいでカルアンまで巻き込んでしまった。
「おい、待て! 待てよ、まだあいつがその辺にいるかもしれないだろ!」
あの丘に向かい、走り出そうとしたアシェンをカルアンは急いで引き留めた。
「でっでも……!」
「もう暗いし、ひとまず明日にしろよ。まだあいつ、その辺にいるかもしれないし」
言われてみればそれもそうだ。
魔物の時刻である夜間、しかもカルアンが襲われた直後に出歩くのは確かに危ない。
「それにオレ、……ほら、あの、部屋の始末、しないといけないし……でも明日なら時間あるから」
エルゼとの行為の跡を残しておいたら両親にばれてしまう。
始末をしないとまずいのは分かるが、なぜ明日の話になるのだろうか。
「オレも明日、ジラルドのところにいっしょに行ってやるよ」
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