付ける薬もないぐらい・9
産むんだ、という言葉に応じるように、ルーンの腹の奥で何かが動いた。
たまらなくなって、ルーンはぽろぽろと涙を流しながらクルーガーの逞しい胸にしがみ付く。
「赤ちゃんなんか……! オレみたいな出来の悪い子だったら、師匠にまた迷惑かけちゃうっ……オレ一人じゃ育てられなくて、オレ、オレみたいに捨てられちゃうよ……!」
はやり病でルーンの両親は死んだ。
周囲の村人たちは気の毒がってはくれたが、どこも決して豊かとは言えない生活をしている。
その上ルーンのどじぶり、役に立たなさぶりはよく知られていた。
あの子じゃただの無駄飯ぐらいになるのがおちと、彼らはため息混じりにささやき合った。
顔だけはまあまあ可愛いのだからと、人買いに売られる寸前のところで里親として名乗りを上げてくれたのがクルーガーだった。
彼があの時手を上げてくれなかったら、今頃ルーンは人買いからどこぞの売春宿にでも売られていただろう。
大人たちの玩具にされ、下手をすれば四肢を切り落され穴だけの肉玩具として短い人生を終えていたかもしれない。
そうと知っているから、ルーンはクルーガーにとても感謝していた。
だからこそぜひとも恩返しをしたいと願い、ルーンなりにやっては来たのだがどれもこれも裏目に出てしまう。
クルーガーが怒るのも無理もないのは分かっている。
けれど、赤ん坊なんて産めない。
自分と同じ不幸な人生を辿らせることが分かっていて産むなんて出来ない。
「でも、殺すのもかわいそうだよぅ……! 師匠、どうしよう師匠、オレっ……!」
それこそ赤ん坊のように泣きじゃくるルーンの顔を、クルーガーはしばらく眺めていた。
ルーンは自分の腹をこわごわとさすりながら、無理だけどかわいそう、という言葉を延々と繰り返している。
「…………全く」
肩口に顔を埋め、えぐえぐと泣いている小さな頭をクルーガーはため息を吐きながら撫でた。
「……ししょお…………?」
顔を上げたルーンの目は泣き腫らして真っ赤だ。
「ししょ……せめて、オレたちの子だけでも、面倒看てもらえませんか……? オレは、どうにか……」
「無理に決まってるだろう、そんなの。中途半端に知恵が付いて動き回る分、お前の方が赤ん坊より厄介だ」
きっぱりと断言し、クルーガーは大きく息を吐いてルーンの小さな体を抱き寄せた。
猫毛の柔らかな亜麻色の髪は、彼の大きな手の下で心地良く滑る。
「師匠…………」
不安げに瞳を揺らしながら、ルーンはクルーガーを見つめる。
薄赤く染まった目の縁、頬、そして押し付けられて潰されてなお豊かな胸を見下ろしクルーガーは一つ咳払いをした。
「……反省したか?」
師の言葉に、一瞬の間を置いてルーンは大きくうなずいた。
「はっ、はい! もう勝手なことしません!」
「いい返事だ。いつも返事はいいんだよな、お前は…………まあ、今までのことはいい」
何度も結果的に裏切られたこともあり、あまり信用の置けない返事ではあるがひとまずクルーガーは勘弁してやることにしたらしい。
流れる空気が変わってきたことを敏感に察し、ルーンはぱっと顔を明るくした。
「師匠、じゃあ……!」
「いや、お前は子を産むんだ」
またも突き放された気持ちになり、ルーンはたちまち思いきり表情を曇らせる。
あまりにも急激な変化が面白かったのだろう、クルーガーはくすりと笑ってから言った。
「お前を襲った魔物がどういうものか、覚えてるか?」
言われて考え込んだルーンは、しょんぼりした様子でつぶやいた。
「……覚えてません……」
「だろうな。まあ本来なら、意識を失わされて化け物のガキを産まされるところだったんだ。逃げて来ただけ、お前にしちゃ上出来だ」
微妙な皮肉を飛ばしつつ、彼は説明を始めた。
「いいか、ルーン。お前を襲った魔物は、自分以外の生物を襲い腹の中に自分の卵の種を仕込むんだ。その時相手がオスならば、強制的にメス化させ卵を受け入れる器官を作ってしまう」
「ふぇ……?」
ぽかんとした顔のまま、ルーンは師匠の説明に聞き入っている。
クルーガーは持ち込んできた書物を手に取ると、その中の図解入りの頁を開いて見せながら言った。
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