要姫・3



アレクシも巫女の動きを制止することなく、じっとその様子を見つめている。
「あう、うっ………、なに、を……」
苦しげにうめいたナイアは、暴れた拍子に目元を覆う布がずれたことに気付いた。
反射的にそれを元の位置に戻そうとした時、気付く。
布を戻そうとしている自分の指、床の色。
その床に流れ落ちている濃い紫のローブを辿るように見上げれば、含み笑いをした男の冷たい紫黒の瞳と出会う。
「そのように見つめないで頂きたいな。照れてしまう」
くすと冷たく笑って言う整った顔の黒髪の男が、クラウディオであることははっきりしていた。
だが…………なぜこの男の顔が、ごろごろと無残な死体の転がる要の神殿の全容が、自分の目には見えるのだ。
「ナイア様、これがクラウディオ殿の力です」
ナイアの胸中を読んだような言葉にはっとする。
こわごわと振り返ったナイアの、つぶらな青い瞳に映るのは騎士アレクシの姿。
ひそかに思い描いていた通り、銀の鎧姿も凛々しい彼はゆっくりと顔を覆う仮面に手をやった。
あっ、と思わず声を上げてしまったナイアの蘇った瞳に、にこやかに笑う美青年の顔が飛び込んでくる。
ランクーガ王妃のみならず、大抵の女性の心を惑わさずにはいられないだろう。
かすかに波打った薄い金髪に緑の瞳を持った、絵物語に出てくるような麗しい騎士がそこにいた。
嫉妬に狂った王が行ったとされる蛮行の痕跡は微塵もない。
「ああ、ナイア様、なんと美しい瞳だ……」
あ然としているナイアの頬に、アレクシの指先がそっと触れる。
「ア、アレクシ様、これは…………一体……」
凍り付いたナイアを見下ろし、クラウディオが詩でも吟じるように優雅な口調で言った。
「これが私の力ですよ、要姫。愚王の行いにより傷付けられたあなた方の肉体を、元の美しい形に戻して差し上げた」
ナイアの瞳。
アレクシの顔の火傷。
それら全てを、このクラウディオが治してくれたということなのか。
「な、なぜ……?」
「なぜ? その理由は、あなたの騎士が明かしてくれましょう」
言われてナイアは、まだ頬に触れていたアレクシへと視線を戻す。
彼の瞳を改めて見た時、背筋がぞくっとするのを感じた。
仮面越しに注がれる優しい視線。
見えない目にも、いや目が見えぬからこそ、アレクシの人柄そのものを映したような暖かな視線にひそやかな想いさえ育てて来た。
だが今の彼の視線はどうだ。
限りなく優しくはあるけれど、同時に限りない恐ろしさをも感じさせるこの瞳はどうだ。
「ナイア様、そのように怯えた顔をなさらないで下さい。何もかも……あなたのためにしたことです」
うっとりした声で言った彼は、ナイアの髪を一房取って口付ける。
そこには感覚器など備わっていないはずなのに、背筋を甘苦しいような何かが駆けた。
「あなたをこのようなところに閉じ込め、力を増すためだと目を潰し、私の顔を焼いた国王……! あなたもご存知でしょう、あいつの腐りきった性根は」
「そ、それ、は」
かたかたと震えながら、ナイアは切れ切れにつぶやくので精一杯だ。
確かに当代のランクーガ王は、愚王とまではいかずとも王としての器が小さいとはよく言われている。
アレクシの顔を焼くほどに王妃に対しての嫉妬を示す一方で、自分は美女に目がない。
宮廷付きの女官や、果ては市井の娘などを無理やり寝所に引きずり込んではやりたい放題。
王妃が若く誠実な騎士に心奪われるのも無理はないと、みな内心では思っていた。
「このままではあなたも私も、奴の身勝手さの犠牲となるだけ……クラウディオ殿は私の苦しい胸中に気付き、私に協力して下さると約束して下さった」
「協力……!?」
「そう、協力ですよ」
くすくすと笑うクラウディオの指先が、とん、と軽くナイアの頭を叩いた。
途端にナイアの、元からあまり安定した体勢ではなかった体が崩れ落ちる。
「…………え……?」
呆気ないほど簡単に床に倒れてしまった自分に、ナイアはとっさに動けない。


←2へ   4へ→
←topへ