要姫 第二章・8
いつの間にかアレクシの唇はナイアのすぐ耳元に寄せられていた。
熱い吐息が吹きかけられた、と思うやいなや、濡れた舌先が耳の穴に侵入してくる。
「あ……、あっ」
閉じようとした足を許さず、もう一本の指が挿入されてきた。
ぴちゃぴちゃと音を立てて耳を犯され、くちゅくちゅと二本の指で赤い割れ目をかき回されてナイアは身もだえる。
「御子が宿ればしばらくは、あなたを抱けなくなってしまう………それだけが残念です」
自分の精に濡れた指先を名残惜しげに引き抜きながら、アレクシはそっと耳元につぶやいてきた。
糸を引きながら離れていく指先が、涙にけぶるナイアの視界の端をかすめる。
「ですが今は、何よりも私はあなたと完全な夫婦となりたい……あなたはもう要の巫女姫ではなく、私の妻なのだという………証が欲しい」
語尾が一段低くなった。
不穏な気配にぎくりとするナイアの上に、一回り大きな男の体がゆっくりと覆い被さってくる。
「分かっております。あなたの要姫としての力はまだ完全には消えていない。処女を失ってなお、あなたの中には神聖な力が残っている……」
何度も子種を注がれてなお、平たい腹にアレクシの指先が触れた。
緊張したつややかな肌をその指でなぞりながら、彼は独り言のようにつぶやく。
「つまりあなたはまだ、完全に私のものにはなっていない。心が、体が、どこかで私を拒んでいる」
「……そんな」
思わず一言つぶやいたナイアだが、しかしそれ以上アレクシの言葉を否定出来なかった。
自分で分かっている。
明らかに以前とどこかが変わってしまったアレクシ。
長く胸に秘めてきた清らかな想いはある意味では叶ったはずなのに、無邪気に喜ぶ気には到底なれない。
「私………」
後が続かず、口ごもってしまうナイアをアレクシの切れ長の緑の瞳がにらむように見据えている。
と、いきなり彼の顔が近付いてきた。
見る間に迫ってくる美しい顔立ちに、反射的に目を閉じてしまう。
しかし濃厚な口付けを予想したに関わらず、その唇は労るようにそっとナイアのそれに重なっただけだった。
「無理をさせているのは分かっております。ですが私は一刻も早く、あなたの体に刻まれた忌まわしい思い出を消し去ってしまいたい。ランクーガのことも、王のことも、民のことも……美しく優しいあなたを苦しめてきた全てのことを忘れ、私の側で幸せになって頂きたいのです………」
切なく震える真摯な声。
そこに込められた確かな想いが、ナイアの胸に染みて痛い。
だけどやはり、何も言えずにいる巫女姫にもう一度そっと唇を重ねてから、アレクシは再度身を起こした。
だいぶ乱れてしまった着衣を直しながら、しばらく無言で二人のやり取りを見守っていたクラウディオに言う。
「クラウディオ殿。私は今から王宮に参ります」
「おや、今日はお休みなのでは?」
「ええ。ですがナイア様もだいぶお疲れのようですし、それにランクーガの連中がこの辺りをうろうろしているなどとお聞きしてしまいましたから」
ランクーガの民を指し、連中などといった言い方をする。
ナイアが好きだった控えめな騎士ならおよそ口にしなかったはずの言葉。
またぎくりとしたナイアが見つめるアレクシの整った顔立ちに、寒気がするような陰惨な影が差していく。
「彼らが潜伏していそうな場所には心当たりがあります。討伐の兵は出すのでしょう? 私もお役に立てるかと」
「ああ、それはいいですね。あなたの忠義心のほどは私が保証しましょう。では参りましょうか」
にこやかに言ったクラウディオに、アレクシは少し待ってくれと言い出した。
「申し訳ない、本日は休む予定でしたので王宮に出向けるような衣装の用意がないのです。少々お待ちを」
「分かりました。では私は、ナイア様としばしお話をさせて頂きましょう」
召使いに出かける用意をさせるのだろう。
部屋を出て行くアレクシを笑顔で見送ったクラウディオは、顔を強張らせているナイアにその笑みを向けた。
「ナイア様は本当にあの方に愛されていらっしゃるのですね。お二人の仲を取り持つ役目をさせて頂いた身として、私としても喜ばしい限りです」
独り者には目の毒です、などとそらっとぼける理術師の顔をナイアは彼に修復された目でにらんだ。
おとなしやかな巫女姫の珍しい表情におや、というような反応をするのに構わずつぶやく。
「あなたが…………アレクシ様を、変えてしまった」
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