◇マンホールに落ち◇Capter03


 マンホールから落ちて二日目。間抜けな夜理はイッロに連れられて商店街らしき場所へ来ていた。らしいというのは、店が立ち並んだ状態を見て勝手に夜理がそう判断したからだ。イッロに聞けばいいものをと思うだろうが、昨日の話で聞ける設定にしていない事が悔やまれる。
 馬に乗れない夜理の為と、抱える荷物の為にイサクが場所を用意してくれ、ここまでの道すがらあれこれとイッロが一生懸命に喋っていたのを思い出す。
― まずは服屋さんへ行って、その後靴を見てもらって、そんで諸々買ったらお昼食べて、また服屋さん行って…なんで二回も行くんだっけ?
「ヨリ、こっちよ。ほら、ここ。流行のものはそんなには置いてないけれど、貴方が欲しいものならあるでしょうから」
 動きやすくて、あまりひらひらしていないシンプルなもの。スカートが女性の服としては基本なのはイッリやイッロを見ていたから分かっていた。それとなくズボンを履きたい、着慣れた服が良いからと伝えていたので考えてくれたのだろう。
 道すがらズボンを履いている女性も見かけたので、夜理が望む格好もおかしくないはずだった。イッロはウキウキとしているが、連れ立っての買い物が実は苦手な夜理は財布だけ貸して欲しい気になっている。もちろん、そんな恩知らずな事は言えない。思っても駄目だ。
― 金細工が美しいですね…ここは何。
 希望していたイメージの店とはだいぶかけ離れている。一着が五、六千円ぐらいの安物で充分に着まわせるのが自慢だったが、ここでは役に立ちそうにないスキルだ。イッロ達の着ているものを見れば分かりそうなものだが、やはりそこまでは頭が回らない夜理だった。
「あら、久しぶりじゃないの。この間のはどうだった?」
「ええ、久しぶりねアイオ。あのドレス、ササがすっごく気に入っていたわ。あなたに任せておけば間違いがないって大喜びだったのよ」
「良かった。所で、そちらのお嬢さんはササのお友達かしら?」
 いきなり話を振られて、内心ビクつきながらも愛想笑いなんかを浮かべてみる。アイオと呼ばれた女店主は細身で背が高く、声も高い。キンキンとしがちな声で、ヒステリックな感じがする。
 正直、夜理の苦手なタイプだった。イッロは親しげにあれこれと喋りながら店主と服選びに夢中になっている。
― さっきから宛がわれるのがドレスばっかりなんだけど・・・普段着が欲しいなと思うわけです。
 当人よりも白熱している二人には申し訳ないが、そっと離れて動きやすそうなコットンパンツ、フレアスカートのようなキュロットと二、三着のブラウスを手に取る。
 夜理の好みを見て店主が嘆息し、もっと女性らしい胸の開いた服を勧めてくるが動きやすさが今の所は第一だ。本当はスカートなんぞ履きたくないと言ってしまおうかと思ったが、イッロや店主の話を聞く限り口を噤んでいた方が無難だった。
― デザインはこっちが可愛いけど、色はこっちなんだよね。この世界の染色技術って進んでるのかな。今まで見た中で一番綺麗な紫なんだけど。それとも、私が知らないだけで高ければこれくらいのってあったんかね。そんなのどうでもいいか。取りあえず、試着室ってどこだろ。
 イッロにそれとなく聞いて試着室というより、試着部屋へ通された。この世界の部屋という部屋は無駄に広いのかと言いたくなる。
 壁にはかけられるだけかかってるイッロが選んだドレス。イッロによると、夜理ぐらいの女性は日ごとパーティーに呼ばれ、男性や同い年ぐらいの女性達と語らいあうらしい。俗に言う合コン・・・ではなく、社交である。それを聞いた夜理は、ダンスがあったら何があっても絶対に行きたくないと死ぬほど思った。
 そう言えば、昨日買い物の話をした時に年齢を聞かれ、素直に答えている。ついでに生きてきた中で彼氏がいないという現実も。夜理が殊更、それを強調したわけではないが、イッロにとってはショックだったようで、何故いないのか作る気は無かったのかなど、それとなく聞かれていた。
― ドレスはこれと、これだけで良いや。
 夜理がパーティーに自ら望むなり、呼ばれるなりする事はないが、予想外なイサク家で誘われる事が全くないとは言い切れない。夜理は既に断固として断る決意を固めている。一身上の都合というだけでなく、夜理の性格上、華々しい中にいるのは気が引ける。ついでに腰も引けてしまう。
「どうかしら? ああ、良いわね。貴方の魅力が出るのはこちらかと思っていたけど、そういうのも似合うわ。ドレスはその二つだけ? 遠慮しないでもっと選んでも良いのよ」
「や、いえ。充分です」
 人の金でバンバン買えるほど厚かましくはない。かといって夜理が遠慮がちなのではなく、単に買い物の満足感が薄らぐというのが本当のとこだろう。
 買い物はイッロに薦められたドレス二着に、夜理が選んだコットンパンツが二つとキュロット、ブラウスが数枚、それにスカーフ。合計金額は銀貨二枚だったが、夜理にはそもそも銀貨がどれだけの価値か分からない。
 イッロが娘にプレゼントしたいというので、その店を出て宝飾店へ行きネックレスとお揃いのイヤリングを選んだ。そこの店主もアイオに負けず劣らず商売っ気が強いらしく、夜理のピアスホールを見つけてイッロに薦めている。
 その光景が靴屋でも繰り返され、ランジェリー店でも繰り返された時はさすがの夜理もきれそうだった。商売とはいえあからさますぎで気分が悪くなってくる。何としてでも職に就いて自力で買い物をしよう、と心に誓う夜理だった。
 さて。そんな買い物が一通り終わり、家路に戻ろうとする頃には日もすっかり傾きかけていた。
「今日はつきあってくれてありがとう。久しぶりに楽しい買い物が出来たわ」
「私こそ色々と有難うございます。頂くばかりで、本当に申し訳ないです」
「気にしないで。そうそう、明日は娘のササが久しぶりに帰ってくるのよ。良かったら話相手になってくれるかしら?」
「私で良ければ」
「きっとササも貴女の事を気に入ると思うの。楽しみね」
「ええ、そうですね。早くササさんにお会いしたいですね」
 イッロに微笑みながら同年代の女の子が苦手だとは言えずじまいになってしまった。けれど、苦手とはいえ同年代と話す機会があるならそれにこした事は無い。イッロの娘だというなら気性も似てるだろうし、夜理には恰好の相談相手になってもらえるだろう。
 イッロの子供達は六人いるらしい。男の子が四人、女の子が二人。長男ステンはようやっと跡継ぎになる覚悟を決めたようで、近々お披露目の為に戻ってくる。その準備に二女のササが帰ってくるらしく、長女は既に嫁いでいるので今回はお披露目になるまで会えないとの事だった。
― ササちゃんって私よりも十も下だって。私、もしかしてこっちでは嫁き後れ?
 イッロが真っ直ぐ帰るというので、夜理だけ歩いて帰る事にした。方向音痴の夜理だが、イサク達の家まで大きな通りから外れない限りは大丈夫だろう。夜理が散策していると、あちこちから領主様のお客様と呼びかけられ言葉を交わす。最初に来た頃よりも村の人々が好意的だ。イサクを始め、あの家の人たちは領民達と代々に亘り近い関係を築いているようだった。
「イッロ様のご長男ステン様が近くご当主になられると聞いた時には、心から安堵しました」
「ステンさんはまだ若かったと思いますが・・・決意されたそうですね」
 良く知らないので、ぼかしながらの会話は神経を使う。あの時、イサクを選んでよかったのかどうか、夜理は怪しくなってきた。想像以上にイサクを選んだのは大事だったらしい。恰幅の良いおばさんが呆れたように大きな声で言った。
「まあまあ! ステン様は確かに私らからしたら若いけれど、ヨリ様からしたらオジサンですよ。今年二十五になりますもの!!」
 ガチッと夜理の顔が一瞬だけ固まり、仕事で培った愛想笑いでごまかした。確かに元の世界にいた時でさえ若く見られがちだったが、社交辞令でリップサービスと思っていたので、さっくり流していたのだ。面と向かって真顔で言われたのが初めてならば、ここまで年下に見られたのも初めてだった。
― イッロも最初そうだったけど、もしかして十代に見られてるんじゃ・・・そういやササちゃんと会うってのも、私の年が近いからとか言ってたような・・・もしかして、もしかしなくてもだいぶ童顔!?
 若く見られる事は良い事だとずっと信じて疑ってこなかったが、こうまでくると不都合が出てきそうだ。夜理が考えている最高期は十代よりも二十代前半だった。若さで受けられる恩恵と大人だから得られるものが拮抗する微妙な年齢を懐かしく思う年になっている。
「あの、ササちゃんてどんな子か知ってますか? 私はまだお会いしたことがなくて」
 恐る恐る聞いてみると、笑顔が可愛いとか、挨拶を良くしてくれる、イッロ様より亡くなった旦那様に似ている、の他に十八で王都で勤めていると言う声も聞こえた。お婆ちゃんが自分の事のように嬉しそうににこにことしている。
「王宮で侍女をなさっていてね。試験がたいそう難しくて、なかなか入ることが出来ないというのに、ササ様は本当に賢くて可愛らしいの。私はこんな小さな時からイサク様のとこのお子さん達を見てるけど、ササ様はぐんを抜いて可愛らしくて、ご長女の方も賢かったけど。そうそう! 賢いと言えばね、三男のヤニス様は本当に何でもお出来になって」
 年寄りの話は長くなりがちだとは思っていたけれど、昔話と身内話ほど長いものはない。
「お婆ちゃん、お婆ちゃん、ヤニス様ってのは?」
「おや? あんた知らないのか?」
 ガタイの良さからして力仕事をしてるんだろう男性が不思議そうに見てきた。隣にいた女性が夜理の不幸と近況を少しばかり大げさに話すると、納得したように頷いている。
― おばちゃん、そこまでじゃない。そんな今世紀最大の不幸に全米が泣いたみたいな話しにしないで。おっちゃんの憐れみの視線が痛い痛いですよ。自分で作った話とはいえ、人の口になると大げさになるのはなんでかね。
「ヤニス様ってのは、イッロ様のご三男でな。あの王宮の近衛隊の中でも精鋭ばかりと言われている王都団第三部隊におられるってんだから、すげえよな。しかも、どんな女でも見惚れるぐらいの男前でよ」
「あら、ヤニス様は色男だけど、男前っていうなら第一部隊にいらっしゃるゼノン様よ。ヤニス様とも親交お厚くて、休暇の時には必ずこちらにお寄り下さるのよ。お二人が並んだらそれはもう」
「そうそう、ヤニス様はちょっと軽い感じがするもの」
「そお? 私はゼノン様よりもヤニス様の方が優しくて好きだわ」
 集まった女性達が口々に勝手な事を言う。先ほどの男性はゼノン様も格好はいいが愛想がないんだと夜理に言った。
「王都団ってすごいですね」
 何が凄いのか等とは分からないなりに、近衛隊の単語からして想像つける。気の良い人達ばかりだからか、夜理も綱渡りな会話に慣れてきた。
「そのヤニス様は、今回はお戻りになるのかな・・・」
 準備期間は無理でも、当日ぐらいは顔を出しに来るんじゃないかと聞いてみるが、みんなも確かな話は聞いてなさそうだ。
「さあねえ。王都団と言えば、休暇が少ない事で有名だから」
「当たり前だろ。王宮の方々を御守りするお役目なんだから。けど、さすがに今回は戻ってくるだろうな。ご自分の兄様がご継承なさるんだからよ」
「でも、最近は何だか忙しいらしいわよ? ほら御巫長様が遠見をなさったとかで」
 夜理は聞き覚えのある言葉にギクリとなる。ここでまさか出てくるとは思わなかったが、王宮との繋がりを全く考えなかったわけでもない。ヤニスが王都団の一員であるなら、接触を避けなければいけない可能性がある。
「御巫長様のトオミとはどのようなものだか、ご存知ですか?」
「なんでも変な人が遠くから来るっていうんで、大騒ぎだったらしいぞ。あんた王都の近くにいたなら、俺達よりも詳しく知ってるんじゃないのか?」
「王都の近くといっても、それほどこことは変わりない距離ですから・・・それに私は皆さんと変わりない立場の人間ですよ。イサクさんと知り合っていなければ、王宮の方々なんて全く関係ないですし、噂にも疎いんです」
 こちらでの初期設定が初めていかされた瞬間だ。変に貴族とか言わなくて良かったと夜理は心からの笑みを見えぬよう顔に浮かべた。しおらしくしながらも、胸の内では思いっきりガッツポーズになっているのが分かる。夜理が続きを待つ子供そっくりに期待を覗かせていると、噂話に長けてる近所の奥様方が口々に話しだした。
「御巫長さまも、こんな忙しい時にねえ」
「全くさ。王妹様が婚約なさるって時にね。まあ、吉兆だという話だから良いじゃないの。遠見されるなんて数年ぶりのことなんだし」
「けど、おかしな話だぜ? 小さき天上人、野に降りたちて清かなる静けさを持つ・・・なんて、さっぱり意味がわからねえって評判だ」
「そりゃあんたの頭じゃ分からないだろうよ」
― ごめん、おばちゃん。私にもさっぱりだよ。
「じゃあ、お前は分かるってのか?」
「分かるわけないじゃないのさ! 私らには分からない、ふかーい言葉だってことだよ」
 俄かに始まった痴話喧嘩によって、楽しい井戸端会議もお開きだ。日も暮れかかったのでイサク達が待つ、暖かい家へと足を速めた。

2009/02/20