◇マンホールに落ち◇Capter04


 イサクとイッリが王宮に呼ばれ、出て行ったのは昨日の正午を少し過ぎたぐらいだ。この世界にも時計はあるがネジ式のものがほとんどで、どれだけ正確なのかは夜理には分からない。だが、夜理が持つ太陽電池で動く腕時計とそう変わらない時刻を告げるから信頼性は高い。電気がない生活が不便だと感じるのは、それを使わなければいけない機材があるからで無ければどうにかなる。実体験で実感する日々だ。順応力が高いのが夜理の良い所で、すっかりこちらの生活に慣れ始めている。
 イサク達が良くしてくれているのはもちろんだが、何よりササと相性が良かったおかげだ。イッロの二女のササは夜理が思っていた以上に活発で明るくて、そして素直な子だ。性格はイッロよりもイッリ似なのだろう。
「月のものとかは今まではどうしていたの?」
 女の性である以上、避けられない話題が男女関係と美容だろう。夜理が数世紀前の日本人の知識で答えるとササは信じられないという顔をする。夜理も信じられないのだから無理もない。
「ここではこういうのを・・・それからお化粧は? いつもはしてるの?」
 こちらのものは使ったことがないので首を振る。デコラティブなドレッサーに初日はウキウキしたものだが、今では髪をとかす時しか使っていない始末だ。
― 化粧してる人、あんまり見ないんだけどな。しなきゃだめか、やっぱ。
 初日に揃えてもらったものがあるが、紅以外は使い方が分からなかったのでそのままになっている。スキンケア用品は例のバッグにたまたま入っていたから今日まで必要なかった。あくまで今日まで。
「乾燥して痛くなってきちゃったから、どうしてるのかな〜なんて・・・」
 夜理があはっと嘘くさい笑い付きでササに聞くと、栗色の艶やかな巻き髪が揺れ、大きくて丸い瞳を更に丸くさせた。年頃の女の子にテンション低めな問いかけはご法度だ。
「ヨリはいつもどうしてたの!? ほんっと、信じられない!! いい、これとこれをこうして・・・」
 いつぞやのメイドさんAとBを思わせる怒涛の美容教育となってしまった。夜理が持ちうる知識に脳内変換しながらのご教授が終わると、ササは次に夜理の服が気になっている様子だ。
「派手かな? 若作りに見える?」
 自信なさげに聞くと、とんでもないとばかりにササが地味過ぎと叫んだ。イッロに言われた通り、ササ以上の年代になるとドレスとまではいかなくともワンピースやロングスカートが主流なのだという。
― あっ、やっぱり・・・ミニとかってのはないんだ。そっか・・・残念。女の子の生足は現金・・・や、厳禁か。それにしても私、社交しないからワンピとかっていらないんだけどな。
 夜理がそれとなく言うとササは笑いながら首を振って言った。
「ヨリが嫌がるのも分からないわけじゃないけど、ここでは必要よ。昨日、お爺様とお婆様が出かけて行ったでしょう? 私もそうだけど、ステン兄様の継承式には必ず一同が揃ってないといけないもの」
「でも私はこの家に居候している、その・・・身分なわけだし、おいそれと出て行っては家の格が下がるんじゃないかな。良くわからないけど、そういうのって、イーガン家と繋がりある方々がお出になるものと思うから」
 身分制度を持たない夜理には分からない事が多く、ステンの継承式というのもその一つだ。この数日、イサクが日に日に慌しくしていったり、イッロが忙しそうに使用人達に指示を出している姿は何度と無く見ていたが、うっかりとそれがどんな意味を持つのか知らないでいた。
「やだ! ヨリったら、そんな事を気にしていたの? ステン兄様のご拝命式は王宮で行われるから現領地主と家族だけって決まりになってるけど、継承式なんて現当主のお母様とお兄様がちょっと挨拶したら、すぐに普通のパーティーと一緒よ」
「ぱーてぃー・・・」
 嫌な予感がする。とっても嫌な予感である。外れることのない予感でもあるし、むしろ決定事項と言っても過言ではない。
「そのですね。一つだけお伺いしますが」
「なあに?」
「どのような方々が来るんでしょう?」
 夜理が恐る恐る訊ねると、ササは顎に手をあてて指折り数えていく。
「まず御領地をお持ちの現当主様方と奥様やおつきあいしてらっしゃる方、それからもちろんご子息やご令嬢方でしょ。他にも領地こそお持ちではないけれど貴族の方々とそのご子息方はご招待したし、私の友達やお兄様方の御友人もいらっしゃるわよ」
― 全然普通じゃないよ、そのパーティー。どこの世界に庶民が貴族と仲良く出来るっての。
「やっぱり私」
「すっごく楽しみよね!」
 夜理の慎ましやかな訴えは、パーティーなら何でも好きそうなササの前にあっさりと無視された。夜理が渋る意味が彼女には分からないらしい。当然と言えば当然で、彼女が根っからの特権階級であるなら、夜理は心の底から庶民でしかない。かといって夜理が特権階級を羨ましがることもなかった。ササの今の発言だけで充分にげんなりとしている。
「それにね、ヤルノ兄様とヤニス兄様の御友人ときたら、それはもう格好良いんだから!!」
「ええっと・・・」
「どうしたの? ああ、ヤルノ兄様とヤニス兄様は近衛隊で働いてるのよ。私も一応は王宮で働いているから仕事でたまに顔を合わせるの」
 最後の一言をちょっとはみかみながら頬を染める姿が可憐だ。これくらいの可愛さがあれば夜理も会社で憂き目に合うことは無かっただろう。
「そういえば王宮ってどんなとこ? やっぱり大変?」
「ヨリも一緒に働く!?」
― それは無理!!
 イッロの時と同じように、夜理が丁重にお断りするとあからさまにがっかりしている。
「仕事は探してるけど、王宮で働くのはすごく難しいって聞いた。そりゃ、紹介してもらえたら他の仕事を探すよりは楽だろうけど、紹介ってする方もされる方も神経使うよ。一度、紹介で入った所で働いた事があるけど、相手に迷惑かけたし私も慣れるまで時間かかったから、自分で見つけるのが一番だと思うんだよ。それに全く経験した事のない仕事よりは、ちょっとでもやったことがあると覚えるのも楽だから」
 ササがどれだけつまらなそうな顔をしても、夜理は変化を望まない性分だ。環境への順応力はずば抜けて高くとも、それを好むかは別問題で、夜理は低空安定飛行好みの小心者だった。
「仕事を探すってどうするの? ここにずっといるんじゃないの?」
「これ以上厄介になるわけにいかないよ。いくらイサクやみんなが良いって言っても気になっちゃう。元いた所には戻れないだろうけど、それならそれで王都の側で仕事と住む所を確保出来れば良いかなって」
 夜理は既に、イサクから保証人になってもらえるよう約束をしている。イッロの話を断った時点で、すぐさまイサクとイッリ、イッロの三人を交えて今後についての展望を話していた。
「そっか。それでお婆様が色々とお手紙を書いてらしたのね」
「うん。仕事は向こうに着いてからじゃないと探せないけど、住む場所は領地主様が貸してくれるんだってね」
 身元不明な人間に寛容な国である。イッリにわけを聞くと、ほんの少しだけ顔を曇らせた後、『豊かで健康な者だけではないから』と返ってきた。最初に豪奢なイサク達を見ている夜理も顔が曇ったが、すぐに自分がその一人だと気付き眉が下がる。これがどういう扱いになるか想像はついても、決して二人とも口にはしなかった。
「部屋もほぼ決まっているんだけど、ステンさんの継承式があるから、それを待ってからダートの領地主様と面会して正式な契約になるだろうって。仕事も紹介してくれる場所があるから、そこにお世話になるつもり」
 何から何まで人任せだ。不安も行き過ぎれば麻痺するものらしい。当初は、夜理の話を残念そうに聞いていたササだったが、夜理がダートに住むと分かると今度は大きな瞳をキラキラとさせた。
「それならダートの御領主一家も、ステン兄様の継承式にお出でになるからご紹介するわ! それにダート家の子息でらっしゃるお二方とも、とても素晴らしいのよ。ヤニス兄様とダートのご長男」
 ササが眩いばかりの声色で話し出そうとした時、控えめだか強くドアが叩かれた。瞬時にササの固く結ばれた口が下がったのを機に、苦笑いしつつもドアを開ける。目前にいたのは夜理の予想通り、イッロだ。
「ちょっといいかしら?」
 夜理がいるのを確認するようにイッロが笑う。イッロの歩き方はとてもおっとりしていて、他の足音と聞き分けられる。ササは話に夢中になっていたが、夜理はドア越しの足音にすぐ気がついた。
「ヨリ、それからササ、貴女方に継承式について話があります。応接間にいらっしゃい」
「はい、お母様」
 ほらやっぱりとササが目配せしてイッロの後をついていく。この様子では到底断ることは出来ないだろうなと夜理は嘆息した。
 応接間へ来るとメイドから暖かいお茶が出された。真っ青な茶葉で入れられたお茶は体を温める効果があるらしく、僅かに生姜のような匂いがする。茶葉は青くともお茶そのものは焙じ茶の色なので夜理も抵抗なく口にする事が出来た。
「ササは知っていると思うけれど、ステンの拝命式が明後日、継承式がその二日後に正式に決まったの。それで、私とササはこれから王都に向かうけれど、私達が戻ってくるまでの間はヨリだけになってしまうでしょう? 問題はないと思うのだけど、ササはどうかしら?」
 イッロはおっとりした人だが、責任ある立場にいるだけあって抜け目なかった。夜理ではなくササに聞いたのは、おそらくササならこの家に残す事が出来る立場にあるからだろう。
 目をキョロキョロとさせ首を傾げるササの手に、夜理は軽く重ねてアイコンタクトした。
― 十代じゃあるまいし留守番ぐらい出来なきゃ、一人暮らしも絶望的でしょ。大丈夫大丈夫。
 にっと笑ってみせて、ササが間違った判断をしないように誘導する。
「大丈夫よ、お母様。使用人達もいるし、ヨリ一人じゃないもの」
 正しい解答を導き出してくれたが、言い方に夜理の不満が残る。それが分かったのか、イッロが軽く笑い声を上げて目尻を下げた。
「あなたはどうかしら、ヨリ?」
「構いません。丸っきりの一人じゃないですし、みんなと過ごしていたら一日もあっという間でしょうから」
 まだ見ていない所も残っている。ここを離れる前に出来るだけ目にしておきたい場所だってある。記録する手段がないのだから。
「じゃあ、決まりね。それと継承式典の事なのだけど、ヨリは当日どうするつもりなの?」
「出来れば部屋で」
「ああ、そうじゃないのよ」
 ササ同様にあっさりと夜理を遮り続けようとする所は親子だ。
「ヨリも出てもらって構わないの。父や母も望んでいるから。ただ当日は私達も忙しいから、誰かエスコートを付けた方が良いのかしらと思って」
「とんでもないです。大丈夫ですよ、一人でも充分楽しめますから。ええ、一人で平気です」
 かくかくと頷く。ここで安心してイッロ達に放置してもらえなければ衆目を集める事になるかもしれない。ただでさえ、夜理にとっては不穏な情報が入ってきているのだ。
「お母様、私ならそれほど忙しくはないでしょうし、手が空いた時にヨリを皆さんに紹介するわ。せっかくですもの、ヨリをダートの方々へご紹介しておくと良いと思うの。始まって少ししたらヨリと一緒に私もご挨拶しようと思ってるの」
 ササの言葉にイッロがゆっくり頷き、夜理へ伺うような視線を投げかける。夜理は肩を落としながらも譲歩案として受け入れた。華々しい場所で女性が一人だけで壁に寄りかかっているのは不自然だ。それでなくとも、夜理は明らかに異素材の容姿で、この家の使用人達とは立場も違う。引っ込みすぎては逆に衆目を集めてしまうだろう。
「それじゃあ、ササにヨリのことはお願いするわね」
 イッロは肩を下ろして溜息をついた。イッロの顔には疲労の色が濃く、夜理の眉が自然と寄る。夜理の母親よりはだいぶ若く見えるイッロだが、それでも疲れが抜けにくい年齢に差し掛かっていてもおかしくはない。
― 式が終わるまではイッロに優しくしよう。うん。
「イッロ、手伝えることがあったら何でも言って下さい。大したことは出来ないですけど、本当に」
「ありがとう」
 おっとりとした微笑みに夜理も知らずに頬が緩んだ。そんな夜理を即座に強張らせたのはササだった。
「ヤルノ兄様やヤニス兄様は一緒に戻って来るのかしら。それとも別々に戻って来るの?」
「たぶん、あの子達のほうが先に家に着くでしょうね。警備の下調べをする必要があると言っていたから」
「まあ! じゃあ、ヨリは私達よりも早く兄様達にお会い出来るのね」
 羨ましそうな上目遣いでササに見られるが、夜理は気にするどころか上の空だ。
― 私が先に会う・・・・・・会うのはまずい。非常に芳しくない感じでまずい。まずいもんはまずい。会わない方法ってあるのか。や、あるよ、あるある。無いわけがない。不可能は可能にする為にあるとどっかの誰かが偉そうに言ってたじゃないか。
 どっかの誰かは夜理が働く会社の部長である。かの人の理不尽さにかけては右に出るものはいないと言うか、いてはいけない。どの重役達よりも、時には社長よりも偉そうな見た目が災いして、たまに理に適った発言をしても正反対に聞こえる部長が朝礼で言った台詞だ。
― しっかり聞き流したはずの言葉がリフレイン。じゃなくて。
「ご紹介される前にお会いするのは・・・控えたいです。 お兄様方がいらっしゃるなら、その日だけでもどこか別の所で宿泊した方が良いでしょうか? すぐには思いつきませんけど、誰かに頼めるかもしれませんから」
 夜理に残された手段は向こうから来るならひたすら逃げるだけであろう。なんと言ってもこの地域から、イサク達の手前まだ離れるわけにはいかない。多少、口喧しいかもしれないが町の人たちなら助けてくれそうだ。
「ヨリ、お兄様方はお仕事で来るからきちんと宿舎にお泊りになるわ」
 杞憂とはこの事である。

2009/05/29