イッロ達が旅立ってすぐに夜理はふらふらと厨房に向かった。さっき遅い朝食とも昼食ともつかないものを食べたばかりだというのに、もう腹が空いたのかと思えば様子がおかしい。料理人達は後片付けを終えて、各々一段落している所にひょっこりと現れた主の客人を不審に見ている。
「ヨリ様、どうかなさいましたか?」
料理長が慇懃無礼に尋ねると、夜理はぐるりと見回し思案してから厨房の隅を差して言った。
「悪いんですけど、あそこを貸してもらえませんか?」
「はあ。何かなさるんで?」
訝しげに聞く料理長に、なるべく怪しまれない様な笑顔を作る。既にその笑顔からして怪しいのを誰も口にはしなかったが。
「うん、ちょっとね。火を貸してもらいたいんだ。近所のおばちゃんから美味しそうな芋をもらったから。ふかして食べると良いって」
ごそりと不自然に膨らんだ袂から出てきたのは紫の芋。その場にいる全員が凍りついたかのように、一瞬だけ固まったかと思うと怒号のような笑い声が響いた。
「こりゃいい!! まさか芋っひっ」
真っ黒な髪と料理人にあるまじき無精ひげの男が腹を抱えると、近くにいた若い男もまた同じように顔を盛大に歪めていた。
― 分かってたけど傷つくわ。もらったもんは有難く頂きますけどね! こちとら花も恥らう年齢はとっくに過ぎて、蛇とマングースのごとき戦いを繰り広げてきた年増だ。
「ぅおっらっ! うるせいぞ。静かにしやがれ」
恰幅の悪い料理長、もとい夜理が出会いがしらにやせこけたヤギと評した厨房のボスは片眉を上げながら夜理をみやる。視線を逸らしたら負けなのは、何も野生だけではない。むしろ野生よりも生っぽいこの世界の方が危険かもしれない。
「嬢さんが料理するってんですか?」
「いえ、その、料理って程のもんじゃなくてですね」
― 芋をふかすだけでして。ええ。別に他に何もしないし。だって芋だし。しかも里芋系なのか薩摩系なのか、はたまたじゃがなのか気になるんだってば。今後の為にも!
グッと目に力を入れる。料理長の目がふと和らいで仕方ねえとでも言うように顎を調理台に向ける。
「包丁は使わせられねえですよ。側で見てるなら構いませんが」
さっくりと夜理の手から芋を奪い取ると、素早い手つきでドロまみれの皮をむいて一口サイズにしたら、そのままオーブンに入れてしまった。夜理がぽかんと口を開けていると、後ろから肩を叩かれて振り返った。口に爽やかな甘みが広がっていく。さっきまで笑っていた無精ひげの男だ。
「・・・グッ・・・ありがとうございます」
にやりと笑ったまま夜理の耳に口を寄せると、ふっと息を吹きつけられてびくりとする。見た目ほど良い男ではなさそうだ。
「ビルマ、何やってる」
「いいえ、何も」
「何もじゃねえだろ! お前はっ」
― 料理長、その意気です。もっと言ってやれ。
「まあいい」
― ええっっっ!! もう終り? 終りですか? りょうりちょー・・・
「ぷっ・・・」
「えっ?」
夜理が声のした方を振り向くと、今だに立ち上がらずに膝を抱えているような体制でうずくまっている若者の肩が震えていた。あの位置なら、夜理も料理長も髭面男も良く見えるだろう。
むっとした顔をする夜理とは対照的に、料理人達はにやにやと声にならない笑いを浮かべながら料理長と夜理を交互に見ている。その最中も手早く鶉卵ほどの大きさの緑色した卵を片手で次々と割って溶いていく長の姿は、正にプロフェッショナルだ。
― すごっ・・・あんな小さいのに。私も真似してみよう。うん。
ちょこちょこと長の後ろから首を伸ばしたり縮めたりしている夜理の姿は、料理人達にとって親しみ安すぎた。遠巻きにしていた連中もわらわらと夜理の側によってきて、卵を取る時はやれ大変だの、芋は煮ても旨いだのと始まり、郷土料理の話から名産の話、昔話に至ってはビルマと呼ばれた男が旅行に来れば良いと誘っている。
― 嬉しいけど嬉しくない。ここでもこんな扱いってないじゃないか。うら若き乙女だぞ! や、若くはないか・・・まてまて、乙女だ! 乙女であることに年齢は多少しか関係ない!って婆ちゃんもきっぱり言ってたじゃないか!
その婆ちゃんが嫁に来てくれたおばちゃんを呼びつけて持たせた芋のせいで、そういう扱いになっている。
「ほら、出来ましたよ」
ざっとオーブンから取り出した芋は表面が黄金色に焼けており、艶やかだ。すぐさま料理長の手で綺麗に皿に盛り付けられ、軽く緑の葉を刻んだものを上にまぶして差し出された。緑色したものが何かは分からなかったが、パセリのようなものだろうと口にする。
「ッ・・・うまい!おいしっ、美味しいです」
食べ物の前ですっかり“らしく”振舞うのを忘れ素面で叫んだものの、すぐに平静を装って気取った。が、その姿すらおかしいというように料理人達は相好を崩した。
― なんつーか、なんていいますか・・・や、あの・・・
「大変うまいです。満足です。ありがとうございます」
頭をかいて笑いながら礼を言うとヤギのようなひげを撫でつけながら料理長はにぃっと口を上げる。本当に照れくさくてかなわない。イサクやイッリに見つめられるのと同じぐらいにここの厨房は温かいのだ。
「気に入ったなら良ろしいこってす。そういや、旦那様もお好きだったな。今度また機会があったら出してみます。そん時はもうちょっと手の込んだものを作りますから」
「あ、ありがとうございます」
― 目を細めるとヤギそっくりだ。可愛い。怒るだろうけど、言っちゃいけないだろうけども、こっそりイッリに言ってみよう。
「他にもあったら今度は俺が作りましょう。老いぼれが引退したら俺が後を引き受けるんで、期待してイテッ」
どかっと小気味いい音が響いたかと思うとビルマは頭を抱えてしゃがみこんだ。料理長の節が目立つグーパンチはさぞ痛かろう。
「あの、大丈夫ですか?」
「平気っすよ。ビルマさんの頭は人より固いから」
「お前もそうなりてえか!?」
茶々を入れた若造がヤギ、いや料理長の叱責に首を竦める。とはいえ、厨房は微妙に和やかな雰囲気のままだ。これが彼らの日常だからだろう。
― いいな。こういうの。こういうのですよ、私が求めてるのは。
家の客人としているから、使用人達全てが夜理には気を使い、神経を張り巡らせてるような錯覚を感じては身を縮こまらせる。そんな日々は夜理自身にも負担になっていたのだ。かといって、簡単に軽口を叩いてはイサク達の威厳が無くなりはしないかと常に言葉は丁寧に、態度は相応にとイッロを手本にしていた。そのせいで、ますます悪循環になっていた気もしなくはない。
ここに来て、ようやく夜理という人間を分かってもらえそうな雰囲気になっているのだからチャンスだ。
「料理長、あのですね」
声をかけたものの、どこから話せばいいのか、どう話そうかと逡巡する。
― いっそ気楽な身分ですと告げたところで間抜けだろう。そんな話、きっとずっと前にイサクがしてるだろうし、じゃあ、じゃあ・・・
「お名前を教えてもらえますか?」
「へっ? 俺のですかい?」
素朴と言えなくもない質問に料理長の目が今度こそ点となる。他の料理人達も一緒で、しげしげと夜理を見るものの、先ほどのように笑い転げる奴はいなかった。
「ええっと・・・だめですか?」
「いや、構いやしませんがね」
「長! 使用人の名前ぐらい嬢さんに教えたって罰あたりませんですよ。嬢さん、俺はビルマってんです。以後、お見知りおきを」
― ちょっと垂れ目で黒髪無精ひげが
「ビルマさん、宜しくお願いしますね」
にぱっと笑った夜理を注視すると、ビルマの目がほんの少し赤くなる。
「いやいや、こちらこそ。さん付けなんて柄じゃねえんで、ビルで。旦那様のお客人に丁寧な言い方されちゃあ、俺が怒られちまいます」
「はい、ビル」
心の中でガッツポーズを出しつつ、即座に言い返すとビルの頬が薄っすら染まる。見かけと違って純朴なのかもしれなかった。
ビルを皮切りに次々と名乗りを上げて自己紹介していく料理人達に呆れ顔をしていたボスはエトと名乗った。
― みんな呼びやすい名前ばっかだな。覚えやすくていいや。イサク達なんてやけに長ったらしかったし、覚えてないし。平民は名前だけって事なのかな。まあ、家督なんて商売やってるか偉い人以外は関係ないか。
夜理も苗字を言わずにヨリとだけ名乗っている。苗字を言えば最後、異界から来たと認定されてもおかしくない。かなり拙い。それでなくとも、ヨリの見た目は他から見たらかなり変だ。アジア人らしい切れ長な目に小さな口、ぺちゃんこではなくとも低い鼻ときたら珍しい。
― 親しみがあって、なんてのは所詮同類だからって事だな。ここじゃあ、親しみどころか違和感ありまくりで失心しそう。
ハーフじゃなくても、もうちょっと彫りのある顔立ちなら目立たなかっただろう。とはいえ、この状況であっても夜理は一向にコンプレックスを抱かずにいた。珍しい、面白いと言われても気にならない夜理の性格はこういう時にこそ強いのかもしれない。
「さあ、ヨリ様はそろそろ室に戻ってゆっくりなさって下さい。私らは夕餉の準備をしなきゃならねえですから」
料理長が一声かけると、談笑していた連中もこぞって持ち場へと戻っていった。仕事の邪魔だけはすまいと夜理もおとなしく部屋へ戻っていく。結局、夜理の望みどおりに呼び捨ても同じ言葉遣いも適わなかったが、それでも厨房で働いている者達の名前を知れたのは成果だった。
― 前進、前進!
調子に乗っている時ほど鼻っ柱を折られるもので、意気揚々と長すぎる廊下を歩いていると、いつものメイドさんが慌てて駆け寄ってくる。
「まあ! よろしかった!! 探しておりましたのに、どちらにもいらしゃらなかったから皆が心配しておりましたわ」
「ごめんなさい。ちょっと用事があって料理長さんに頼みごとをしていたんです」
「頼みごと、ですか?」
「はい。食事が遅かったので夕餉に何が出るのかなあ、なんて」
メイドは曖昧に笑って見せた夜理に深く頷いて見せたが、口元を隠すように早口にまくしたてた。
「そういうことでしたら、私どもがお聞きしますから。わざわざ顔を出さずとも・・・」
「ああ、そうですね。なにぶん、慣れてないもんだから」
夜理の言い訳に何かを思い出したようにメイドが畏まった様子で謝罪する。町に出た時も思ったが、イサクは哀れな客人の為に不審さを上手く隠して、実に不幸さだけは伝えられているようだった。
「先ほどヤルノ様から御使者の方がいらっしゃって、ご到着が予定より二日ほど遅れるご様子です。旦那様方がご到着なさるのとほぼ同時刻になるでしょうか。皆様より先にヤニス様はご到着なさるようですので、顔合わせはいかがいたしましょうか?」
「顔合わせ・・・イッロからは何も言われてませんか?」
「特に必要ないと申し付かっております」
「ええ。私もそう思います」
極めて卑怯な手段で意志を伝える。しかし、メイドの顔は晴れずに曇るばかりだ。
「どうかしました?」
「私が口を挟むことではないのは承知しております。ただヤニス様はご家族を大切にお思いになる方。ヨリ様は・・・その・・・」
居候が一匹まぎれこんでいるのだ。いくら当主が良いと言っても、家族思いの三男が黙って見過ごすとは思えず、押しかけてくるのではないかと言うのがメイドさんの言い分のようだった。イッロやササが思っているよりも三男坊は熱い性格なのだと言う。
― 心証を悪くするのは得策じゃないけど、状況は五分五分なんだよね。あの時の人らじゃなくてもお城にいる人ってだけで危ない。ササは侍女だっていうから会ったけど、王都団じゃなあ。触らぬ神に祟り無しどころか、触らずとも祟られそうだ。
「ここらへんでは私のような顔立ちは珍しいでしょう? それに私のように低い出自も」
「それは・・・まあ」
突然の話題転換に眉を寄せたメイドに、わざわざ深刻そうな顔をしてみせて言う。
「馬鹿なと思うかもしれませんが、若い男性を見ると襲われた時の事を思い出してしまって・・・・・・私のような面立ちの人間は珍しがられこそすれ、その、あまりいい思いはしないから」
「ヨリ様!」
話の途中で遮るのはこの家の伝統なのか。伏し目がちにしていた目をそろそろと上げると感極まったメイドさんが涙目になっていた。
「確かにここにはヨリ様のような方は他にいらっしゃいません。ですが、それはここがコールだからです。他の者達に聞くところによりますと、ヨークにはそのような目や髪の色をした者もいると聞きます。ヨリ様はご存じないかもしれませんが、私どもの仲間にもヨークから来た立派な者達がおります。ヨリ様が恥じることなど、どこにございましょう!」
高らかに言って、うるうると目を潤わせているメイドさんにうっかりのまれてしまう。
「あ、ありがとう。でも、そんなだから男性と話した経験って少なくて。イサクのように年が離れていれば別なんですけど、ヤニスさんのように若い男性に見られているとすごく怖くて」
ヨリが視線一つで怖がるなんて事は無い。ないが、緊張するのは事実だった。含まれた事実がメイドに伝わったらしく、微笑ましそうに目を細められてしまう。
「そうですわ! ヨリ様! でしたらベールを被られてはいかがでしょう? 遠方の地では嫁ぐ前の女性は皆そうしていると聞いたことがあります。きっとヤニス様も咎めませんでしょう。真っ白いレースで出来たものでしたらヨリ様の魅力を壊すことも・・・ああっ! そうしましょう! それがよろしいですね!」
かくして、メイドに圧倒されたヨリは、その日の夜半に真っ白なウェディングレベルのベールを手に入れた。
2009/07/10