継承式前日までヤニスと顔を合わせたのは二回だけだった。イサク達が次々と帰って来た後はヤニスも仕事が忙しくなり、次に顔を見たのは式当日の今日だった。
いつもは開かずの間となっているという大広間は、今日のために飾りつけがなされ、中央最奥にある壇上は煌びやかだ。
エトから聞いた話ではそこかしこにある円テーブルを用いた立食スタイルらしい。イッロにベールの訳を話した時に微笑ましそうにしていたのが夜理の脳裏を過ぎる。きっと勘違いされてしまっているだろう。
ササが興奮気味なのは、広間中央にある踊り場で一緒に踊る相手が王都団の一人だからというのもあるだろう。それ以上に夜理が緊張気味なのは、大きすぎる嘘をつき続けているからだった。
― メイドさんの衣装が良かった。あの地味とは言えないけど、地味そうな格好が良かった。なんでドレス。なんでピンク・・・・・・
とはいえ、色はほとんどなくピンクを水で薄めたようなドレスは、白のベールと良く合っている。ヒールも高く、これでは歩くこともままならない。控え室までの道のりがやけに遠く感じるのは緊張のせいばかりでもないだろう。
「ヨリ! どうぞ中に」
部屋の扉を開けたのはヤニスに良く似た顔立ちの男だ。その後ろには誰よりも煌びやかな白のタキシードに、白に金縁され動物を象ったと思われる紋章の入ったローブを羽織った男がソファに佇んでいる。両脇にイッリとイッロ、ササといるが、イサクの姿が見当たらない。
「ありがとうございます」
扉を開けてくれた礼を言うと、男は僅かに驚いた顔をしてから相好を崩した。礼を言う文化が無いのかと失礼な考えをしても、頭の中だけに留めるなら誰も咎めはしまい。
「全員揃いましたね。ヨリ、こちらに」
イッリに手招きされ、イッロの側に寄る。注目されることに慣れていないからベールがあるのは有難いことだった。顔を赤くするような初心さからではなく、流れ出てくる冷や汗を隠すために。
「この子がヨリよ。ヨリ、紹介するわ。今日の式典後から当主となる長男のステン。次が次男のヤルノ、ヤニスにはもう会っているから省いても良いわね。後、もう一人女の子がいるのだけど今日は体調が悪くて来れなかったの」
イッロが残念そうに言うがササから事前に産後だと言われていた。どうしても参加したいと駄々をこねる娘に、大仕事の後の長旅は辛いからとイッロが留めたそうだ。
帰ってきたササを捕まえてあれこれと策を練り、ようやっと良い案が出たのは、今日へと日付も変わろうとしていた頃だ。
「さっきも言いましたが、私達の民からのお客様として今日は特別に式典に参加して頂くことになっているから、そのつもりで。ヨリは式典後の宴でダートの領主であるグラハム氏に紹介します」
イッリが式の説明を夜理にしてくれる。継承式は式典と宴とで構成されているらしく、式典で口上を述べた後に、現当主のイッロからステンへ紋章の入った旗の譲渡と調印が行われるとのことだった。宴は式典後に各領主達から祝いの言葉を受ける為に、催されるのが慣わしのようだ。
「ヨリの食事はお部屋で取れるようにしておくけど、グラハムへの紹介もあるから少しだけ付き合って頂戴ね」
イッロがすまなそうに言うのにヤルノが口を挟んだ。
「すぐに引っ込んではつまらないだろ。ヨリも踊るぐらいしていけば良いじゃないか」
― 踊るってなに!?
ベールで見えないと分かっていても目をひん剥いて怒鳴りそうになるのを耐えた。その昔、夜理が日本人に生まれ日本人である事に安堵したのは、高校を卒業すれば体育とは無関係でいられるからだ。今更になって人生の確定事項を覆されても困る。
「ヤルノ兄様ったら。ヨリを連れて歩きたいのは分かるけど、式典からずっとヨリは飲み物すら口に出来ないのだもの、それじゃあ可哀相だわ」
ササの言うとおり、式典そのものに時間がかからなくともパーティーになれば二時間、三時間は当たり前に過ぎるだろう。夕食を飲まず食わずでいられる淑女でも妖精でもない。
「なら、食事した後に戻ってくれば良いのでは? せっかくなんだからヨリ、僕と踊ろうか?」
気遣いに溢れた口調だがヤニスの方が夜理には恐怖だった。逃道を遮断するかのような提案に鼓動が早まる。
「私の客に無理を言うものではないな。ヨリさん気にせずにね。式が終わって貴女の心配事も消えたら、ゆっくり休むと良い」
苦笑しながら部屋へ入って来たイサクがヤルノ達を嗜めると、大広間へ移動するよう皆を促した。いよいよ継承式が始まるようだ。
身内でも高貴な身分でもないので、壇上ではなく隅の一角に設けられた席に座って式を見守る。
「これよりイーガン家コール領主の譲渡並びに領主契約における誓いの儀を執り行う」
式の進行を執るのはダート領当主のグラハムだ。がっしりとした体格が元軍人らしい。継承式では仲介人が必要で、それは他の領主でなければならないとササが何かの折に言っていた。
― ロマンスグレーな美丈夫って言うのかね。退役してから後を継いだって言うから、どんな爺さんかと思っていたのにイッロと変わらないぐらいの年齢っぽい。身長も高いなあ。他の人も、というか、男性は大柄な人が多いみたいだし、まるでガリバー。行くなら次は小人の国に・・・・・・
「誓います」
ステンの声がしっかりと響いた瞬間、割れるような拍手が起こる。契約条項を読み上げていたイッロの目が光ながら揺れていた。
成約の調印まで無事に終わり閉式されると、広間はすぐにパーティー会場となった。客人の座っていた席は取り除かれ、そこが踊り場になる様は早送り映像と同じぐらいにスピード感に溢れていた。
「ヨリ! こっちこっち」
ササに呼ばれて行くと、先ほどのロマンスグレーが親しげに手を差し出して来る。
「初めまして、ダートの当主をしてるグラハムだ。イサク殿から事情は聞いたが災難だったね」
「はい。この度はご迷惑をおかけして申し訳ありませんが、宜しくお願い致します」
殊勝にふるまったが、グラハムのおもちゃでも見つけたかのような目が気に掛かる。イサクの紹介だから変な人物ではないだろうが、早まった気がしてくるのが不思議だ。
「ああ。今、イサクから出来る限りの助力を申し受けたところだ。貴女の仕事や住まいに関しては、既にこちらで手筈してあるから心配しないで来なさい。何かあれば私を頼ると良い。これでも陛下に直言できるだけの力はあるからな」
― 頼れないです、そんな力。
「陛下は今も相変わらずのようだね」
笑っているイサクからも国王への親しみが感じられ、元領主というだけではない繋がりがあるのだろう。
「全く。あの方のやんちゃっぷりは変わりませんよ」
「はは。いいじゃないか、あの方らしい」
二人が昔話を始めたのを見計らい部屋へと下がる。呼ばれた客人達の間をすり抜けて好奇の視線が無くなると溜め息が零れる。
― 鬱陶しかった。これで部屋に・・・
一安心しかけた所で、階段から降りてくる人を見て咄嗟に柱の影に隠れた。ヤニスが着ていた近衛隊の制服に良く似た格好の男は夜理に気付かずにそのまま広間へと入っていった。
全ての緊張から介抱され、ベールを取り払ったのは自室に戻り内鍵をかけてからだ。テーブルに用意された夕食は冷めかけていたが、充分に美味しさを保ったままだった。
― グラハムはダート領当主。コール領とは、コール領から東に接した場所で王宮が南中央に位置して・・・
行儀が悪かろうと叱る人間がいなければ、幾らでも粗雑になっていくものだ。夜理は、用意された料理にフォーク一本でかぶりついていった。
料理に舌鼓を打ちながらも、地図から大雑把に形だけをメモ帳に移して、ダート領と当主の特徴を書き込んでいく。広げて眺めるだけよりも書いた方が覚えやすい。おかげで夜理の手帳は悪筆で一杯になってしまった。
手帳とは別に持ち歩くメモ帳に、夜理がこれまでついた嘘や言い訳が書かれている。辻褄を合わせる為には、どれほど細かろうとも覚えきらなくてはいけないが、生憎とそれほどの頭を持ち合わせていない悲しさ。
例えば、ベールについて顔を知られている者には、若い男性を見ると襲われた時のことを思い出すと言い訳している。一方でヤニスのように顔を知らない者には傷があると説明していた。こんがらがった設定ばかりを選んでいるのだから、これくらいの努力はしなければいけない。
― 後は・・・そういえば、あの人って誰なんだろう? 階段から下りて来たって事は参加者? 王都団の制服には間違いないんだろうけど、ササに聞けば分かるかな。
護衛として来ていても、パーティーからは友人として参列する者もいるらしい。ヤルノがしきりに紹介しようと勧めてきていたのを思い出す。問題は山積みでも解決は無策な現状だ。迂闊に会話を交わしてしまえば途端に自分の立場が悪くなる。そして何より、そんな事は夜理にはどうでも良かった。
― デザート、食べたかった。ケーキが美味しそうだったのに。シャンパンっぽいのも飲みたかった。あれは良い酒に違いない。匂いからして良かった。けど、戻りたくないしなあ。今戻ったら確実に強制ダンスタイムっぽいしな!
立食とあって飲み物はふんだんに用意され、テーブルにある一口サイズの料理はどれも美味しそうなものばかりだった。わき目も振らずに部屋へ戻ってきたのは、どうやら食べ物に未練を残さない為もあり、惜しくないと念仏になるぐらい唱えている。
「どうすっかな」
思わずもれた言葉に誰も見ていなくとも頭を掻く。グラハムから宛がわれる住処は王都近くの城下町にあるらしい。働き口もその近くの求人を幾つか紹介してもらえるとあって、かなりの高待遇だ。
― 明日になったら出て行く準備して・・・挨拶も。せっかく仲良くなったエトやビルマ、メイドさん達、領民のみんな、寂しがってくれるかな・・・そうだ! 最後に何か贈ろう。お礼だ、お礼。
開いてある手帳の中から、ここに来てから書き殴った字の羅列からそれぞれの好きな物を探し当てていく。がはたと、それらを用意する時間も経済力もないと気付いて項垂れた。
― うう・・・せちがらい。しょっぱい。せめて手紙ぐらい書いていこうか・・・や、危険だ。危険。
頭をブンブンと振って、何かしようなどという気を振り切った。地図を見ただけで言語が違うと分かってしまったのだ。下手に字の読み書きが出来ないと言えば、最初の疑惑が再浮上しそうだ。この世界がどれだけ整備されているかなど夜理には想像もつかない。
― パーティー、どれくらいで終わるんだろう。もう寝ても良いのかな。あっ、食器どうしよう・・・さすがに寝てる最中に入ってこられるのは嫌だ。先に湯浴みしたいけど、さすがに今は不味いっぽいしな。不憫な奴め。私か。
のろのろと机に散らばった私物をまとめてバッグに放り込む。眠気に襲われながらも主賓たちが戻ってくるか、メイドさんが顔を見せにきてくれるまでは起きていなければという思いだけが、今の夜理を現実のものにしてくれている。
いつもならとっくに眠気との攻防を諦めて、とっくに睡魔とデート中の時間帯に夜理が目を開けているのが奇跡と言えた。長く続かない奇跡に終止符を打とうとした、その瞬間に扉が叩かれた。メイドさんかと思いきや聞こえてくる声に慌ててベールを被りなおして、そっと扉を開く。どうでも良いが、この扉はやけに重い。
― 来て欲しくない人ってどうして空気も読まずに来るんだろう。もう少し考えればいいのに・・・・・・
考えて来て欲しいと思っていると結論付けた男は、夜理に甘ったるい笑みを見せて言った。
「やっぱり。もっと早く呼びに来れば良かったね。そうすれば、あなたがここで一人退屈な時間を過ごすこともなく済んだのに。配慮に欠けて、すまない」
詫びる彼には悪いが、この時の夜理はたった今配慮がなくなったと出そうになるのを喉元で抑えて飲み込んだ。
「お気になさらず。私の用事は済んだし、ササが一緒にと言ってくれたのだけど、私がいたら自由にお話も出来ないだろうからとお暇させて貰っただけです。私の我が侭をヤニスが気にしなくとも大丈夫ですよ」
夜理が丁重に言外に無用な申し出だと匂わせた。ヤニスが不満そうに首を振った。慇懃無礼過ぎて気を悪くしたという感じではない。
「我が侭などと思ってもみなかった。今日のような晴れやかな日に、愛らしい花を隠してしまうのは意地悪だと思わないか?」
― たらしだと思っていたけど、ここまでとは・・・イッロ、どこで育て方を間違えたんですか。それとも勝手に明後日にいっちゃったんですか。何が嫌って美しいと言わずに愛らしいって上手くかわしてるのが、もう、ね。実物見てから言えよ。見せて絶句されたら立ち上がれない自信はある。あるが。あるけども。
この際、夜理が人として不適切なのは目を瞑るにしても、ヤニスの声が夜理好みなのも多いに災いだ。ベールで美しい顔がはっきりしなくとも声だけは鮮明に聞こえた。
「どうかひと時だけでも僕の相手をしてくれないだろうか? 華やかな場所に男が一人でいても何の役にも立てない。それとも、まだ僕を許す気にはならないかい?」
断る理由は数あれど次の展開で苦しむのは夜理である。伸るか反るかの大賭けを本人が知らずのうちに差し出してきている。
「許すも許さないもありません。ですが、まだあの時の事が忘れがたいのです。ヤニスには慣れましたが、他の方はまだ」
ある意味でヤニス以上の脅威がゴロゴロいる場所に引き釣り出されるのだ。覚悟しろと言われれば、やぶさかではないぐらいにしか言えない。
2009/08/07