◇それは暁の◇Capter03


 分かっていたこととは言え、一度逃げた場所に戻ってしまった時点で夜理の不運は決定した。あっという間に囲まれてしまい、隣にいるヤニスが機嫌よく方々に紹介し始める。夜理の、どこまでも地味にという願いは無駄になった。
「こんな喜ばしい席に招いてくれて嬉しいよ。ありがとう」
「君の兄君なら、さぞや良い領主となられるだろうね」
 口々に誉めそやしたかと思うと、皆が決まって言うのだ。
「そちらのお嬢さんを紹介してくれないだろうか」
 何かマニュアルでもあるのかと言いたくなるぐらい、繰り返される決まったやりとりに夜理がうんざりするのも分からなくはない。何せ自分で発する台詞ですら、お決まりな言葉ばかりなのだから。
「まあ、大変でしたのね。拾われたのが温情厚きイサク様でよろしかったこと」
― 本当に。嫌みったらしい貴女じゃなくて幸いでした。拾われたんじゃない、拾わせたんだ!
 ふふっと暗い笑みはベールに上手く隠されている。貴族ならもう少し陰湿で頭の捻った嫌味を言えないものだろうか。期待するのが間違いだと言われても期待してしまうのが人間の性というものだ。
「ヨリはいつまでこちらにいらっしゃるの? 私、明日にはウォルターに戻らなければいけないのだけど、学校が無い今ならこちらに遊びにこれてよ」
 落ち着いた柔和な笑みを浮かべている女性は、ウォルター領当主のご子女様だ。他の貴族様達と比べて格がイーガン家と近いらしい。今しがた聞きかじった知識からすると、イーガン家は大貴族のようである。
 夜理はお世話になっていながら、さっぱり貴族文化が分からない。後で貴族階級について調べる必要がありそうだ。
「ああ、セレネ。ヨリは明日、ここを離れてダートに行くんだ。グラハム様がお祖父様の頼みを聞いて下さってね。ヨリの後見人となって下さるんだよ」
 にこやかにヤニスが告げると、セレネと呼ばれた女性が目を輝かせた。ついで、紛れ込んだ汚い野良猫を見るような視線を飛ばしていた周囲も目の色を変えたようだった。
「まあ、素敵ですこと! グラハム様が後見人だなんて。まるでレーネの泉に舞い降りた片翼の天使様みたいね。レーネの天使。ああ、なんてヨリにぴったりなのでしょう!」
 セレネの不穏な台詞が夜理の胸にぐさりと突き刺さる。下げていた頭が更に重石を乗せたように下がるが、ヤニスもセレネも気にしていないようだった。ヤニスに至っては納得したような面持ちですらある。
「まさにその通りだ。それなら、み使いのクロークがベールに変化したと言われても、僕は驚いたりしないよ。なにせ、僕のような不信心でも、こうして天使のような君達に囲まれることが出来るんだから。寛容な神に感謝しなくては」
「まあ。ヤニス様ったら」
 うふふ、あははと響く軽やかな声にげんなりした気分を味わう。夜理を中心にしているにも関わらず、会話は夜理抜きで進められていくのだ。
― 誰でもいいから助けて。介抱して。違う。解放して。『天使』なんてうすら寒いネーミングはやめて。
「あの」
 口を閉じたままだと、一生この牢獄に閉じ込められそうな危機感を感じて、夜理は決死の覚悟で口を開いた。開いたのに、すぐ様邪魔が入る不運。
「ヤニス! ここにいたのか。宿舎を探して、も見当たらないと思ったら・・・ヤルノさんが探してたぜ?」
 息せき切って割り込んで来た男は、時折息で喉を詰まらせながらヤニスに言った。
「兄さんが? 僕が出来る事は全てしてあるはすだけれど・・・何かな」
「さあ? 俺はヨリさんを連れて来いとしか言われてないけど。なあ、ヨリさんって誰だ?」
 自分の名前が出てきたのに心臓が跳ね上がる。それ以上に居合わせた者達の好奇の視線が増した。
「ああ、この子だよ。兄さんも紹介したい人がいるのかな・・・ごめんね、君達。そういう事だから、また後で」
 セレネが不満そうに、いやその場にいた女性全てが不満げだったが、ヤニスは爽やかすぎる笑顔を残して夜理の手を引いた。それはもう、当たり前のように。
 いつもの夜理なら、手を出されたところで取るわけもなく、取ったとしてもするりと離している。しかし、今日ばかりはそうするのはいただけない。何せ視界が悪い。それに加えて着慣れない服装とピンヒールの堅い靴に悪戦苦闘していた。
 壇上から見ていたイサクに指摘されるくらいだ、ヤニスが知らないわけがなく、やぶへびにならぬためにもおとなしく従うよりない。
「ヨリはダートのどこに住むんだ? グラハム様と一緒のお屋敷かな? それとも別?」
「ヨリの部屋はまだ正式には決まってないよ。幾つか用意してあるみたいだけどね」
「ダートに行ったら遊ぼうぜ。きっとグラハム様の事だから王都の近くに住めるだろうしさ」
「すぐに仕事も始めるだろうから、慣れるまでは遊び歩かないほうがいいと思うよ。また巻き込まれては大変だからね」
― 熱血なのは家族だけと違ったのかヤニス。さっきから私が口を挟めない空気がびしばし流して、心なしかそちらさんの口元が引きつってるような気がする。
 夜理の脳裏に哀れな子羊が浮かんでしまう。羊を数えだすのも時間の問題だった。
 その哀れな子羊は、呆れ顔を必死に隠して引きつった顔のまま、ヤルノの元に夜理を差し出した。差し出された夜理はたまったものではない。なぜって、一番遭遇したくなかった面とのご対面となってしまったのだから。
「悪いな、ヤニス。ヨリのダート行きが明後日になったんだ。丁度、俺も明後日には戻るからダートまで送っていくとお祖父様に言ったら、お前も一緒にって言われてな」
 ベールを覗き込むように顔が接近して、思わず後ずさる。有難い申し出が有難くないのは夜理の自業自得だが、事情を知っているイサクの言とは思えなかった。
「僕は構わないよ・・・てっきり、ヨリはグラハム様がお迎えに来て下さると思っていたのだけど?」
「そうなんだが、予定していた従者の里帰りが延長になったらしい。それがテレスの出身だって言うからな。急な事だったから調整が遅れたんだ。もし嫌なら俺と二人でも」
「ヨリは馬には乗れなかったよね?」
 イーガン家の伝統は変なところで濃く受け継がれているらしい。
― 先生があれほど人の話は最後まで聞けと言った意味がようやく分かりました。分かったよー先生! 呼びかけても聞こえないけどー。
 ヤニスが心配げに見ているのにだんまりを通すわけにもいかず、その必要もなく。黙っていては一人で乗れと言われるかもなんて恐怖し、こっくりと頷いた。
 夜理の年齢からして、その仕草は不釣合いだったが、運よく素顔は見られていない。見ていないものに対する想像は無限に広がっていく。目の前に居る兄弟達の目元が和らいだのが証拠だ。
「それなら、馬車を用意しないとだな。二人乗りでも行けなくはないが、女性には辛い距離だろう。荷物は隊の連中に任せても良いが・・・・・・」
 自分の事ながら、こちらの交通事情が全く分からない夜理では口を挟めるはずもない。せいぜい馬車が揺れないように祈るぐらいだ。
「あの・・・・・・申し訳ありません。私のせいで、お二人に迷惑をおかけしてしまって」
― 乗合馬車で結構です。本当はベールなんて取っ払いたいんです。朝市も見てまわりたいんです。
 口は丁寧だが、面倒なのがありありと映し出された顔である。ヤニス達に見えない表情はぶすくれている。
 実は密かに楽しみにしていたのだ。
 先日、夜理に芋を分けてくれたおばちゃんは、ここでは手に入りにくい新鮮な肉が売られている朝市とか、降りてくる人々が和気藹々とした乗合馬車だとか、喋られるだけ喋って、散々に夜理を羨ましがらせた。おばちゃんにしてみれば世間話の一つに過ぎなくとも、夜理にとってはどれも物珍しいばかりだ。
 夜理の慎ましやかな心の内が聞こえた可能性は低いが、ヤニスがこんな提案をしてきた。
「ヨリが大丈夫なら、途中で大きな街によろうか。中央に近い都市だから、貿易も盛んでね。他国からの商人達が大勢いるから流行の服が買える。話に聞く限り、元々、ヨリはセレメントの方にいたようだし、あちらから移ってきた人たちも多くいるから、懐かしい話も出来ると思う」
 懐かしいというよりも危険な匂いがする。化けの皮がはがされそうな場所だ。
「経路だが、お前の提案を呑むとするなら、ここからオクニで一泊することになるな。その後フーアに寄ってからナスカに行く予定だ。ヨリの新居はコロンビになるだろうって話だが、まだどうなるか決まってないからな。手続きもあるし、ナスカでグラハム様の者と話し合う時間が必要だろう」
「ああ。けど、タイムには寄らなくて良いのか?」
 ヤニスが意外そうに言うと、ヤルノは苦虫を噛み潰した顔をする。
「あそこは今、盗賊が頻発しているらしくてな。噂を聞いた限りだと、かなり組織立っているからな。宿泊はしない方が良いだろう。しかも、義賊だのと言って持て囃す連中も出てきてるからな。グラハム様も頭が痛いと仰っていた」
 市井の人間にとっては良い連中なのかもしれない。悪の中に正義を見ると肩を持ちたがるのが人情だ。ちょっとの悪なら惹かれてしまっても無理はない。
― 義賊! なんて素敵な・・・いや。的にはなれないから駄目だ。信じられないぐらい可愛い標的とか無理だ。それは困る。
 夜理が往年のヒロインのごとくとは誰も期待していない。それでも、自分ぐらいは期待したいものだが、己を如実に知った後では無理だった。こういう時、後十年若ければ考え直したりしなかっただろう。
「ヨリには悪いが、フーアからナスカまでの距離ならなんとかなるだろう。フーアからは舗道しか通らないしね。兄さんに言えば、馬車も大きめな奴が借りられるから安心して」
 逆を言えば、フーアまでは舗道されていない道も通るのだ。元の世界で、公道とされていた砂利道ですら、かなり揺れが酷かった。馬車ならその非ではない。
― お金持ちの馬車だから大丈夫だよね? ね?
 馬車としての体裁が整っているものより、藁を敷き詰めた荷馬車の方が座り心地は良かったりするのだ。人用の物が悪いわけではないが、見た目と実用を兼ね備えた物が、ここでは極端に少ない。
「お心遣い頂きましてありがとうございます、ヤルノ様。ヤニスも大変なのに有難う」
 身分を考えれば、二人とも夜理の護送などして良い人材ではない。夜理らしくなく王都団の精鋭だろう二人が自分ごときにと思うと、恐縮する一方だ。
「さっきから思っていたんだが、ヤニスは呼び捨てで俺が様づけってのは居心地が悪いな。俺も普段どおりで良いぞ」
 様付けも悪くないけど、とヤルノがからかい口調で言う。ヤニスも頷いて言った。
「ステン兄さんなら別だけど、ヤルノ兄さんに畏まった言葉は使わなくて良いって」
「・・・・・・どういう意味だ」
「自問すればおのずと分かるかな」
 棘のある視線に心当たりがあるらしく、ヤルノはわざとらしい口笛を吹いた。ヤニスも更に追い討ちをかけようとしたのだが、タイミングよくササが夜理を見つけて駆け寄って来たのでヤルノは難を免れられた。
― どうでも良いけど、ここの兄妹関係って順番が逆な気がする。うん、まあ、どうでも良いか。
 式典の時とは衣装替えをしたササは、鮮やかな黄色のドレスに青のブローチを付けていた。カールのある髪をゆるく結っていて、先ほどより華やかさが増していた。奇抜な色も、ササが着こなしているのを見ると納得してしまう。元が良いせいもあるだろう。
「ここにいたのね、ヨリも兄様達も。もう皆さんが踊り始めているわ。ヤルノ兄様、お相手の方が探していらっしゃったわよ。ヤニス兄様も、セレネ様がお呼びよ」
 ササが腰に手を当てて言うと、二人は顔を見合わせて渋々といった風に会場に戻って行った。それを後ろから見ながらササが深い溜息をつく。
― というか、ササも戻らなきゃいけないよね? 憧れの人と踊るんじゃなかったっけか?
 疑問に思って問うと、ササがまだ見える背中に声を潜めた。
「まだ最後の曲は始まってないわ。最後の曲まで三曲分、時間があるから大丈夫なの。でも、二人ともお相手を放ったらかして、こんなとこにいるんだもの。ヨリはどうしてあの二人と一緒にいたの? 部屋に戻っているかと思って様子を見に行ったらいないから、私、すっごい慌てたんだから」
 夜理とて部屋から出たくは無かったとこだ。ササの抗議には眉を下げるしかない。
「ヤルノ兄様ね! 本当、人の都合を考えないんだから!」
「いや。ヤニスが・・・・・・」
 勘違いさせては可哀相だ。確かに、ヤルノの方がヤニスよりは確率が高い見た目だ。
「えっ!? ヤニス兄様が? 珍しいこともあるのね。そんなに、セレネ様と踊るのが嫌だったのかしら? あの二人、同族嫌悪なのよね」
 首を傾げるササに引きつった笑みしか出てこない。
― 日本人らしく矛盾した教育の中で生きてきたけど、それはさすがにどうかと。
 ササの赤裸々さに喉が詰まったが、すぐにヤニスとセレネの仲に興味を惹かれて聞いてみる。夜理からしたら、恋人になっていてもおかしくない二人だからだ。
「私の家と釣り合うとこなんて、ヴァルヴァラ家かラロック家しかないじゃない? だから、小さい時はどちらかの家の子じゃないと遊べなかったのよね。あっ、今は違うわよ?」
 貴族には貴族の苦労がある。根っからの庶民には分からない類の苦労だ。
「ヤニス兄様とセレネ様の婚約の話も出たのだけど」
「婚約!? いつ?」
 期待した展開に夜理がかぶりついたが、さらりと否定された。
「あの二人が結婚なんて出来るわけないわ。言ったでしょう? 同族なの。二人とも好きな子をからかって遊ぶタイプだもの、合うわけないじゃない」
「ヤニスの好みってどんな子?」
 安易に口を開いて後悔するのは何度目になるだろうか。きっと数えられても嫌な気しかしない。
「それは聞いても意味が無いな。いつ見ても連れ歩く女が違うから、誰にも分からないぞ」
 夜理の後ろから良く通る声が答えた。突発すぎて、美声とはこういう声を言うのだろう、と場違いな感想しか頭に浮かんでこない。頭よりも先に、夜理の体は正直に鳥肌を立たせていた。

2009/08/31