◇それは暁の◇Capter05


 さて、夜理が衆目ダンスに恐怖した日から二日が経った。夜理はヤルノ達と新天地ダートへと出発することとなった。ちなみに、昨日の夜理は使用人としか、ほぼ接触していない。それも今日のためである。
 元から荷物の少ない夜理は、準備らしい準備を昼過ぎまでしていなかった。おかげで、メイドさん達が阿鼻叫喚したのは言うまでもない。着の身着のままで良いと思う夜理に、使用人一同は口を開きっぱなしだった。
「ヨリ様、もうここは良いですから! 後は私共で整えます!」
 挙句にはそう言われ、部屋の隅に追い払われる始末。自分で手にした物ではないだけに、取捨選択が上手く出来ないせいだ。百か零かなどとやっていては、終わるものも終わらないのは目に見えている。
― これでお別れかあ・・・・・・
 既に、当主のステンとイッロへの挨拶は済ませてある。イサクとイッリは所用でおらず、ヤルノとヤニスは門前で待ち構えているだろう。ササも同行したがったのだが、今しばらくはイッロを手伝う必要がありそうだ。
― ステンさんだけは普通な感じだったからなあ。見た目はイッリ似で綺麗だけど、言動が普通って良いな。不良息子やってたせいか? けど、ヤルノの方が不良っぽいしなあ。
 ササ以外はベール越しでしか見ていないが、ヤルノとヤニスは見た目が父親に似て、ステンは性格を受け継いだらしい。
「ヨリ様、そろそろお支度は整いましたでしょうか?」
 扉の外から、執事のイヴァンが声をかけてきた。執事という者を初めて目にした時の衝撃が、もはや懐かしい。夜理はあちらから持ってきたバッグのみを手にし、他は馬車に積んである。後は夜理が馬車に乗り込むだけなのだが、短い思い出に浸っていたせいでヤルノが痺れを切らしたようだ。
「ありがとうございます。今日までお世話になりました。また、こちらに寄ることがありましたら」
 夜理は、そこまで言って言葉がつっかえた。なんとか声にしようと、唇を震わせる夜理にイヴァンが優しく頭に触れる。
「こちらこそ、とても楽しい毎日を送らせて頂きました。ダートへ行かれてましても、私共はヨリ様の身を案じております。何かありましたら、いつでもお立ち寄り下さい」
 立場を超えた言葉に、夜理の頬を涙が伝った。脳がしびれてまともに考えるのも難しい。伝わっているかは不明だが、夜理は何度も頭を下げて腰を折る。最大の罪は感謝を表さないことだ。
「さあ、参りましょう。きっとお二方とも、まだかと傾げすぎた首を痛める頃合いでしょうから」
― どこまでもカッコいいな。
 イヴァンに促され、夜理はベールに気を取られながら玄関へと向かった。馬車にはヤニス、ヤルノは馬でついて来ることになっている。二人とも、王都団の制服に身を包んでいた。
「よし、出発するか!」
 ヤルノが威勢よく言うと、馬車がゆっくりと走りだす。夜理が馬車の端に座ると、ヤルノに手を引かれて体を真ん中へずらされた。いきなり引かれたものだから、危うくヤルノの方へと倒れるところだった。顔に似合わず手が早い。
「そんな端に座ったら酔ってしまうよ。その代わり、景色の良い所へ出たら声をかけてあげる」
 熱心に夜理を見つめる瞳が怖い。
― 気を抜いたら噛まれそうだ。旨くないですよ。不味いわけでもないが。それはいいか。にしても、情緒溢れる別れにしたかったんだけども。余韻は無しか。別に良いけど。良いんだ、別に。
「それと、これからのことを話そうか」
「これから?」
 夜理だけが悪いわけではないが、自分の事なのに関心が無ければ頓着しないのは問題だ。ダートまで一日で着ける距離ではなく、着くまでに中継地点として立ち寄らなければいけない場所がある。馬も人も休まなければもたない。
「ダートまで距離があるから、一旦、コールとダートの狭間にオクニという町で宿をとる予定だよ。時間があれば、オクニの名所を案内しよう。貿易町だから、色々な文化が混ざっていて面白い所も多いから」
「どれくらいで着く予定なの?」
「どうかな。道が空いているから、予定よりも早く着くかもしれない。そうだ! ヨリに似合いそうな物を見て回ろう」
 ヤニスが目をきらめかせた。はっきり言わないが、夜理の格好が不満なのだ。


 朝出発した馬車は、お昼過ぎに目的地に到着した。幸い、夜理は揺れに強かったせいか、馬車酔いせずに来ることが出来た。それでも、時折ガタガタと激しい揺れには閉口したものだ。
― ヤルノもヤニスも、隣の部屋か。てっきり、一緒の部屋かと思ってたのに、すっげえ勢いで否定されましたね、私。そんなに嫌か。あっちなら、普通にありなんだけどな。この状況、スリリング過ぎて胃に穴が開きそう。
 夜理は最小限の荷解きをする。手が軽やかなのにはわけがある。部屋に来る前に、共用トイレと浴場を確認して感動したばかりだ。水洗でも個別でもないが、許容範囲に十分入る綺麗さだった。
― 紙が硬くてもへっちゃらさ。なんていっても、持ち込んだ物があるからねー。
 流行りに乗っておいて良かった、と一人笑みを浮かべる。ついでにお尻に優しい国で良かったとも。浴場も銭湯や温泉だと思えば、対して嫌な気もしない。
 貴族の豪邸から離れる不安が消され、調子外れの下手な鼻歌を歌っていたら、ヤルノが声をかけてきた。
「食事に行こうと思うんだが、出られるか?」
「はっ! はい! 大丈夫です」
「下で待っているから、慌てずにゆっくり仕度してくれ」
― その気遣いが痛い・・・・・・ヤニスより慣れてやいませんか?
 遠のく足音にほっとしてベールを脱ぐ。簡単に埃を払ったものの、薄汚れた感じが否めない。代えは自分で用意するしかなさそうだ。
― 生きていくのに必要なものって、意外とあるもんだ。
 ベールを被り直して部屋を出る。あの頃は、なんて意地悪いと思った家庭科の先生に謝りたい気持ちで一杯だ。夜理のさぼり癖に根気強い人はそうそういない。
 夜理が階下でヤルノ達と合流すると、第三部隊のみなさんが良く行くという食事処に連れて行かれた。体育会系の人達御用達なお店を思い描いていたら裏切られた。オリエンタルな色調の模様が美しい絨毯が一面に敷かれ、給仕係はてきぱきとしながらも落ち着いた空間を保っている。
「何にするか決まった? あれ? 夜理は肉より魚が好きだったよね? それも悪くないけど、僕はこっちがお薦めかな」
 そう言ってヤニスが夜理の世話を焼くと、今度はヤルノが夜理に気を利かせる。
「食前酒はこれで。夜理も飲めるなら・・・そうだな、一本で頼むか。それとデザートは良いのか? ああ、だったら、これがお薦めだ。甘さが抑えられているから食べやすい」
 あれこれと世話を焼かれるのは良いが、食事用にと気を使ってくれたメイドさんを恨めしく思う。口元だけが出たベールはなんというか、すごい。
― 個室なのは良いさ。あっ! ウェイターが一瞬止まった、絶対止まった。隠しようのない怪しさがにじみ出てるせい? それとも、口元が見えないせいでお化け並み? このソース旨いんだけど、手元が良く見えないから、いまいち、美味しく食べられないしな。
 それまで被っていたベールは上半身をすっぽりと覆うようなタイプだったが、夜理の今後を考えて目が隠れるぐらいの長さになっている。怪しい風体が少し和らいでいた。おかげでウェイター達にいらぬ笑いを誘っている気がしなくも無い。
「この後、耳飾りでも見に行かないか?」
「耳飾り、ですか?」
「ああ。俺にも何か一つ贈らせてくれ」
 まじまじとヤルノを見やる。ふざけているのかと思っていたが、至って普通だ。
― 何でピアスしているのを知ってるんだろう?
 疑問をヤルノにぶつけてみると、あっさりとイッロから聞き出したと白状した。
「耳飾りが好きだと聞いてる。着けられるんだろう?」
「そうなんだ? 気が付かなかったな。普段はしていないのかな?」
 好きも何も、店が開けるほどに持っていた。以前、イッロに連れられた先で熱心に見入っていたのを見られていたのだろう。物欲しそうな様子は見せなかったと思っていただけに、これは恥ずかしい。
「前に頂いた物を落として失くしてしまってから、あまり外では着けないことにしているんです。手持ちの物は頂き物がほとんどなので、また失くすかもと思うと使えなくて」
「そう。それなら、普段も使えそうなデザインが良いかな」
― あー、増える増える。ピアスなんて腐るほどあるって言っても、向こうにほとんど置いてきてるしなあ。って、帰られなかったら、あれもこれも全部おしゃかか! それは嫌だ! けど、こっちにいる間、物が増えても必然だよね? 必要な時があるかもしれない。
 具体的な場面は思い浮かばないが、きっとその時がくるだろうと浪費家にありがちな発想が頭を占める。
― アクセサリー類って、贅沢品かと思っていたんだけどな。そういや、おばちゃん達も普通に着けてたもんね。デザインも好みのものが多い気がする。イッロからもらったピアスも使いやすいし、アレルギーも出ないし、品質が良いみたい。
 こちらに来た当初は、必要最低限の物で我慢しようなどと考えていたのに、すっかり頭の片隅に追いやっている。働かなければいけないなら、ある程度の楽しみが持てる生活がしたいのは誰でも一緒だが、夜理は少し気が多いようだ。
「そろそろ行くか。ああ、すまない! 勘定してもらえるか?」
 そう言って、ヤルノが店の子に現金を手渡し、胸元からチェーンに繋がれたプレートを取りだし見せてた。聞くところによると、身分証明らしい。企業戦士たちが首からぶら下げているあれと一緒のようだ。もちろん、こちらの方が何倍もマシなカッコよさだ。
「皇族と貴族は金で、俺たちのような者は銀か鉄だ」
「いつもこうやって見せてるの?」
「まさか。公務の時だけだ」
「公務?」
 ぽかんと聞き返してしまった夜理に罪はない。どこの世界のどこの公務に『楽しくランチ』なんてものが含まれるのか、首を掴んでゆすっても罰は当たらないだろう。
 しかし、ヤルノもヤニスも至極当然のように頷いた。
「民間人の護衛は多くはないが、要人からの依頼は年に数回あるんだ。今回の依頼主はグラハム様ということになっているから、特に問題なくすんなり要望が通ったんだろうがな」
「正式な手続きが済むまでは、ヨリはグラハム様の所有物という扱いなんだ」
 さらりとした言い方だったが、その割にヤニスがだいぶ気にしているのが分かる。肝心の夜理はそんなものかと薄い感想しかなかった。
― ずいぶんと待遇の良い奴隷? でも、隷属してる実感がない。全然ない。そっちの気はないから良いんだけど、なんとなく盛り上がりに欠ける気がしませんか。盛り上がっても困るんだけどさ。
 人とは勝手なものである。苦境に晒されるのは嫌だが、ほんのちょっとならヒロイン気分、なんて馬鹿な妄想をするのだ。
 店から出て、少し歩くとそこには夜理が見たことのない人種ばかりだった。いや、正直にいえば人と呼んでいいのか、はばかられる者が多数いる。顔の横に耳があるのに頭に長くとんがった耳があったり、もふもふとした毛に覆われていたり、ちょっと顔が伸びていたり、なんとも多彩だ。
「あ・・・あの・・・・・・」
 子供ではないので、人の袖をつかむなんてことはしない。こんな声だけで振り向いてくれるヤルノは本当にフェミニストだ。
「どうした?」
「ここは貿易が盛んなのですね」
 夜理が聞きたい事はそんな事ではなかったが、つい当たり障りないことを口にして肩を落とした。ついでに声も妙なものになってしまい、二重にがっかりだ。そんな夜理にヤルノが僅かな苦笑を浮かべながら、本当に聞きたかった答えを返してくれる。
「そうだ。オクニは大戦で流浪の民が停留して出来た地域だからな。他と比べても、よそから来る者に好意的だから、他国の商人達に人気があるんだろう」
 そこで言葉をきると、夜理の耳元に口を持ってきた。
「怖いか?」
 夜理はついヤルノを凝視してしまったが、おもむろに首を振った。見た目が違うだけで恐怖心が出てくるわけがない。大抵は、否定的材料を与えられてからだ。さすがにおどろおどろしいものや、不衛生であれば別だが、行き交う者達は好ましく見えた。
「見たことがなかったから、びっくりしただけ。それに仲良くなったら楽しそうだと思って」
 こちらに来てから夜理の持病はなりを潜めている。これなら親しくなっても問題はなさそうだ。夜理は、うずうずとした衝動を抑えて笑顔をヤルノに向けた。
「そうか」
 一瞬の沈黙の後、ヤルノは神妙な面持ちで頷いた。常から外れたヤルノの様子に、夜理は何かへましたかと気が気じゃないが大人しく口をつぐむ。夜理とて無闇に自分を追い込みたいわけではない。
 そうこうしているうちに、三人は一件の装飾店で足を止めた。どうやら夜理のプレゼントはここで決めることになるようだ。
― 店構えからして普通。良かった、普通で。普通って素敵。
 夜理の頭の中にあったサンプルはイッロと出かけた店ばかりで、入口からして違っていた。宝石店と雑貨屋ぐらいに。
 だが、夜理はすっかり失念していた。店構えが大人しくとも中まで一緒とは限らない。入って数分、夜理はイッロと一緒だった方が何倍も気楽でいられたことを思い知った。

2009/11/22