◇それは暁の◇Capter06


― そろそろ出たいかもしれない。むしろもう出たいんですけど。
 なまじお金があるというのは罪だ。持っている人間がそう思っていなくとも、方々に迷惑になることが時としてある。この場合、迷惑をかけている人間よりも、かかっている人間がより恐縮しなければいけない状況になりがちだった。
「ほら、ヨリ! こっちも似合うよ。あっ、でもこっちも捨てがたいな。どっちが好み?」
「ヨリ、これなんかどうだ? うん? 豪華すぎる? じゃあ、こっちは・・・・・・うーん、ちょっと違うな」
 買い物慣れしていると見えて、二人が選んでくるのはどれもセンスが良いものばかりだ。夜理のベールと釣り合いが取れそうなピアス、首から下げればちらりと見えて納まりの良いペンダント、足元を彩る繊細な細工が綺麗なアンクレット。
― 贅沢な悩みとはいえ、こういうのはちょっと。冠婚葬祭レベルの物をもらってもなあ。どこに付けていけと? プレゼント下手ってわけでも無さそうだし。
「これなんかどうかな?」
 ヤニスがそれとなくピアスを差しだしてきた。小ぶりな石が連なった長めのピアスで、石は青が濃く光を受けてキラキラと輝いている。すっかり見入ってしまった夜理に、しばらくしてから頭上からクスクスと忍び笑いが聞こえてきた。
「気に入ったみたいだね。じゃあ、これを貰おうかな。他に欲しいものはない?」
 聞かれて、あれもこれもと言う女はいないだろう。いや、広い世界のどこかにはいるのかもしれないが、あいにく夜理は違った。だからといって夜理が慎ましい性格というわけではなく、単に見返りが怖いのだ。
「私はこれだけで十分です。働いたらお返しするね」
 夜理がそういうと、やっぱりヤニスは渋い顔をした。
「僕が贈りたいからそうしてるだけ。ヨリはそんなこと考えなくて良いよ。それとも、僕なんかに贈られるのはやっぱり嫌かな?」
 最後はまだ物色しているヤルノに視線を向けながらだったので、夜理は全く気付かなかった。気づいていたらヤニスの持つコンプレックスに笑っていただろう。
「嫌だなんて! 嬉しいよ。お返ししたいって思うのは、私の癖みたいなものだし。それに、ほら、私もヤニスに喜んで欲しいって思うしね。あっ! 働いてもヤニス程の物は手が出せないかも・・・・・・」
― 宝石類が安いとは言っても、やっぱランクはあるだろうし。ヤニスって何気に良い物たくさん持ってそう。それに、ヤニスが欲しい物って私が買えるレベルにあんのかな。無さそうだよねぇ。
 ぶつぶつと考えてる事を口にしてしまってる夜理に、ヤニスから小さな笑みがこぼれた。素直さは美徳とはいえ、これでは年相応に見られなくても仕方がない。
「おっ! これなんかどうだ? って、ヤニスはもう決めたのか。ヨリ、左の腕を出してくれるか?」
 ヤルノが選んだのは細いシルバーのブレスレットだった。例にもれず留め具の脇に石が付いており、シンプルながらも華やかな印象を受ける。留め具はマンテルで使いやすそうだ。
「やっぱり似あうな。店主、これも包んでくれるか?」
― これも?
 夜理がなんとなしにヤルノを見上げると、嬉しそうに他にもプレゼントする物があると言われてびっくりする。慌てて遠慮しようとする夜理にヤニスが言った。
「そっちはステン兄さんから。短い期間とはいえ、ササや母さん達の相手してもらったお礼らしい。ヨリが嫌じゃないなら、遠慮せずに受け取って欲しいな」
 嫌かどうかと聞かれたら、夜理は喜んで受け取るタイプの人間だ。遠慮せずにというヤニスの声に反論などあろうはずがない。ないが、居候だった身を考えるとお礼される謂われはないのが事実だ。夜理も事実を偽るほど厚顔でもない。
「良くしてもらったのは私なのに・・・・・・」
 夜理が腑に落ちない顔で言えば、ヤルノが笑いながら顔を近づけてくる。どうでもいいが、至近距離に顔を持ってくるのがヤルノの癖なのだろうか。
「受け取れる物は貰っておけ。好意なんてのは自分勝手なもんだ。そうだろ?」
 ぱちりと閉じた片目に茶目っけたっぷりな口元、わずかに上がった凛々しい眉のどれもがヤルノだった。夜理が多少感じた罪悪感も、ヤルノの前では形無しだ。分かりやすいヤルノに夜理も笑って頷いた。
「そうです、そうだね。ありがとう、ヤルノ、ヤニス。ステンさんにもありがとうって伝えて。大事に使うから」
― 一生大事にするから。どこ行っても失くさないようにするから、ありがとう。
 年のせいか、夜理のゆるみがちな涙腺は悲鳴を上げている。泣きたいのを堪えるには、少しばかりヤルノ達との距離が近すぎた。ぱたぱたと床に落ちた滴に、二人は顔を見合わせて苦笑した。
 その日から三人からのプレゼントは、どれも夜理のお気に入りとなった。余談だが、道すがら夜理が冗談めかして使うのがもったいないと言ったものだから、すぐにでも箱から出されそうになり、自分の迂闊さに閉口することとなった。
― こんなに現金だった覚えはないんだけどな。二人とも趣味がいいんだよなあ。戻らなくても良いかってぐらいには親切な人ばっかなのも・・・・・・
 普段付けているのが、男性用と見間違いそうなほどのデザインのせいか、女性らしいブレスレットがこそばゆいような気がするのだ。しかも、ヤニスからのピアスと違い、赤と薄紫の石が滴型にカットされ手首で揺れていた。
 夜理が普段使いを戸惑うには訳がある。これから仕事をする際に邪魔になったり、落としたり、傷つけたりと考えると、箱に仕舞っておくのが良いような気がするのだ。
「いつも付けられるように選んだんだ。仕舞ってしまうなら、今ここで付けしまおうか?」
 手を引こうとするヤルノにぎょっとなった夜理に笑いながら、そっとヤニスが引き離す。困った兄を見る目は厳しい。
「ヨリが自主的に付けなかったら意味がないだろ。後で良いから、付けて見せてくれるかな?」
 それは自主的と言えるのだろうか。いや、違う。などと、反語らしい反語でふざけられる状況ではなかった。
― 顔とか顔とか顔が重要な気がするんだけど、そりゃ半分は不本意ながらも出てしまってるけどもさ。
「冗談はさておき、俺達も用事を済ませておくか」
「何かあるのでしょ・・・あるの?」
 普段通りの言葉使いを必死に話そうと違和感を覚えたまま、夜理が言い直す。普段はもっと乱暴な口調も当たり前にしている夜理だが、言い直すと極端に女らしい言葉へと変わるせいか、性別を偽っている感じが拭いきれない。難儀なものだ。
「王都に入ってしまうと、なかなか手に入れにくい防具があってね。消耗品の類はこういった所で買う方が安上がりなんだ。それと隊の子達へのお土産かな。継承式に仕事できた連中は、こういう所へ足を延ばせないからね」
 にこやかにヤニスは告げるが、それは二人も同じはずだった。夜理の護衛と言う大義名分があるからこその見物で、そうでなければさっさと帰られなければいけなかったのが分かり、夜理にしてみればダシにされたわけだ。
― 役得!? 役得と言っていいの? 相手が私じゃ、何割引だ。でも、なんか満足そうだ。
 納得できないが、真実と事実は違うというのが道理だ。あまたの名探偵もそう説いている。この際、フィクションだからこそ面白いのはそっちのけにしておこう。
「とはいえ、女性をそんな所に行かせるわけにもいかないからな。仕方ない。ヤニス、ここからは別行動だ。頼んだぞ」
 頼まれた方も承知していたようだ。ヤルノはあっさりと夜理の元を離れて、お目当ての店めがけて足早に去って行く。先ほどまでの様子と打って変わったヤルノにぽかんとしつつも、ヤニスを仰げば当然のように手を差し出してきた。
― 取るか取らまいか。なんて、選択権はないな。この場合。
 そっと、心持ち控え目に重ねる。そんな夜理の気遣いは無用だった。すぐに力強く握り返され、思わず手を引っ込めそうになるのを寸でで思い留まった。
― 猛獣は引くから襲われると、あの方もおっしゃってたじゃないか。
 ここは一つ、と訳の分からない気合を入れてみる。世界的に有名なのかは知らないが、野生の世界の定説は万国共通なはず。
「ここから少し行くとお菓子の美味しいお店があるから、そこで少し休もうか」
 ヤニスが差した方向に複雑そうな小道がある。ヤニスによると枝葉状になっているおかげで、ちょっとした迷路状態らしい。
「はぐれないようにね」
 ヤニスに注意され、じっと繋ぎ手を見てしまう。地理に乏しいとはいえ、幼児扱いは気持ちの良い物ではない。ないが、ないけども、夜理はあえて何も言わなかった。手を離せば自信ゼロなのだから、懸命な判断だった。
 ヤニスに手を引かれながらも、物珍しい店の前では歩きが遅くなる。ヤニスも心得ているとばかりに立ち止まって説明してくれた。歩幅が違うのに、ヤニスと歩いても急く感じはしない。夜理が歩きやすいように合わせてくれているのだ。
― 訓練されてるせいかな。貴族教育? の割には、ヤルノは意外と速いんだよね。確かに女性の細足でも付いていける速さなんだけど、ちょっと違う。三男だから?
 生まれた順序に気遣いが比例するなら、己を鑑みれば分かりそうなものだ。ヤニスの性格もあるだろうが、先日の妹への頭の上がらなさを思えば想像に難くない。要はそういうことだ。
「ここだよ。ヨリの好きなスコーンもあるし、他のケーキも種類が豊富で、どれも手が込んでいて美味しいんだ」
 こちらに来て、食材の豊富さもさることながら、菓子類が元の世界と変わらないのに狂喜乱舞したものだ。出来上がったものから逆に想像していけば、食材への不安もひとまず拭われる。
 食べることには並々ならなぬ興味を持っている夜理だ。作ることへ向かわなかったのは、今までに機会と道具が揃わなかったせいで作るのが面倒だったわけではない。ということにしておこう。
「いらっしゃいませ。今日のお薦めは、こちらのサモワのミルフィーユと当店オリジナルスコーン、カカジャム添えです」
 夜理には厨房で仕入れた知識から、サモワがベリーに近い甘酸っぱい味の果物であるのを思い出したものの、カカというのが分からない。迷っていると、ヤニスが二つとも頼んでしまった。
「両方ともお薦めらしいから、たまには良いんじゃないかな。特にスコーンは絶品だからね」
― これは・・・・・・これはもてる! やるに違いない。
 ヤニスの女性人気はかなりのものと先日で十分に証明されていたが、その一旦を垣間見た気分になった。だが、それだけで終わらないのが夜理でこそだ。
― 顔だけじゃないんだな。
 と、続くあたりが本当に信じがたい。
 運ばれてきた『カカジャム』添えのスコーンをヤニスから少しもらい食べてみると、独特の甘みが口に広がった。色は綺麗な薄桃色をしているが、味はココナッツのような重い甘さに、ほんのりとした苦みが加わっている。
「美味しい」
 知らずに夜理がうっとりと呟いたのをヤニスは聞き逃さない。出来る男である。
「お気に召したようで幸いでした」
 まるで夜理に仕えているかのような口ぶりに、夜理は口に含んだ茶を飲み下すのに精いっぱいだ。
「とっても美味しいです。ヤニスも食べる?」
 ミルフィーユにさっくりと入れたフォークを近づけながら言う。先ほどのお返しのつもりだったが、小さく笑われ、軽くあしらわれた感じが居た堪れない。
「いや、ヨリが先にどうぞ。僕よりもヨリが口にしている方が、すごく美味しそうだ」
 食べづらい状況を自ら生み出してしまった失態に、夜理は半泣きな顔を隠して食べた。思った通り、甘酸っぱいサモワと薄い生地がサクサクとして美味しさに申し分ない。先ほどまでの落ち込みもどこかへすっ飛ばして、一口ずつ味わいながら、ヤニスに聞く。
「ヤニスは良く来るの? こういうとこ」
「あまり。たまに、ここのスコーンが食べたくなって来るくらいかな。甘い物を好んでいるとうるさくてね」
― 男のくせにってやつか。
「女性に恥をかかせられないから受け取るのだけど、みんなに分けてしまうから僕はほとんど口に出来ないんだ」
― そっちか!
 豪勢な話を聞きつつ、ヤニスが嬉しそうにスコーンを食べている姿を見る。イサクとイッロが同じく甘党だったのを見ると、確実に受け継がれていくものらしい。イッリやササは辛党のようで、ヤルノがどちらなのか気になるところだ。夜理の推測では、イーガン家の男性陣は全員甘党ということになっている。
 皿の上が綺麗になった頃、日が落ち始めた。時間を気にする習慣が薄らいでいるせいか、一日がとても早く感じられる。
「そろそろ宿に戻ろうか。兄さんももう戻ってくる頃だろうから、僕らは先に戻っていた方が良い」
「うん、そうだね」
 名残惜しげに店内を見回す。次にこの店に来られるのは、きっと随分と後になってしまうだろう。そもそも、夜理一人でまた来られるか不明である。
「でも、その前に」
 すくっと立った夜理をいぶかしげに見ていたヤニスだったが、夜理が店員にスコーンのレシピを尋ねると破顔一笑した。
 それから間もなく、夜理の手には数枚のレシピとヤニスの手があった。ヤニスが左にいるのを不思議に眺める通行人もいたが、夜理が大事そうに抱えている右手を見ると皆が一様に頷き合う。レシピの表紙には店名が誇らしげに書かれていたせいだ。
 余談だが、店名がこちらの言葉で『貴方の虜』となっていたのは、ヤニスにとっても不可抗力である。

2009/12/31