the way i feel
(16)
腕の届く範囲にいると、必ずどこかが触れ合っていた。腕の届く範囲にいないことが滅多となかったから、ふたりは始終触れ合ったままだった。
紅茶をいれるジェロニモのそばに立って、湯が沸く間も、それをポットに注ぐ間も、ハインリヒはジェロニモの腰に腕を回して、それをじっと見ていた。
ハインリヒが紅茶をいれる時は、ジェロニモが、焼いたケーキを小さく切って、ナイフについたアイシングを指先に取り、それをハインリヒの方へ差し出す。脳が溶けるほど甘いそれを、ハインリヒはそこから舐め取る。
紅茶をいれた後は言わずもながだ。足を絡めるようにして、ソファの端と端にそれぞれ坐り、時折言葉を交わしながら本を読む。そうやっていられるのは紅茶がなくなってしまうまでで、マグが空になると、ハインリヒはジェロニモの膝の間に這い寄るように位置を変え、ごく普通サイズのソファの上で、少しばかり苦労してジェロニモの胸にもたれ掛かる姿勢になる。
窮屈なその姿勢は、思ったよりも長くは保たずに、ふたりで一緒に床にずり落ちて、そこで改めて抱き合うことになるけれど、じき抱き合っているだけでは物足りなくなる。
ジェロニモの寝室は、ずっと薄暗いままだ。
カーテンは引きっ放しで、上掛けと毛布が床に、ずり落ちたのではなく敷き伸ばされ、わざとそうした証拠に、その上にはシーツが掛かっていて、ふたりがそこを離れるたびに、ジェロニモは律儀にしわだらけでくしゃくしゃになったそれを、また丁寧に敷き直す。
ふたりで入れば手足のはみ出すベッドの上よりは、床の方が心配がなかった。
そうして床の上で抱き合うと、ドアから入れば丸見えにせよ、ふたりの視界は周りの家具や影に覆われて、多少は隠れているのだという気分になる。隠したいのではなく、ただ何にも──昼間の明るさにも──邪魔されたくないだけだった。
長い長い間、誰かに触れたいという気持ちを表すことを、自分に許しては来なかったふたりだったから、こうして、世界の辺境のような場所に閉じこもって、外の音も気配も意識の外へ置いて、濡れた躯をこすり合わせて繋げることに夢中になっている。
生身の人間なら避けられない、物理的な限界がないサイボーグのふたりは、空腹や喉の渇きを、にせものとは言えありがたく思った。でなければ、ほんとうに、皮膚や装甲や部品がすり切れて壊れてしまうまで、止められないかもしれないからだ。
紅茶は何度かいれた。食事も、4度目だったろうか。最初は、きちんと服を脱ぎ着していたのだけれど、キッチンでマグを洗っている時に、ジェロニモがハインリヒのタートルネックの襟に人差し指を差し入れて引き下ろし、そこに唇を押し当てた時に、もう服を着ているのが面倒くさくなった。面倒くさいと思ったのは、正確には、キッチンの床にジェロニモを押し倒した後だったのだけれど。
離れていることに耐えられない。触れていないことに耐えられない。膚と膚をこすり合わせて、汗を交じり合せなければ物足りない。
今も、床に背中を反らせ、ジェロニモの下で揺れている。ジェロニモも肩を揺らして、入り込んだハインリヒの内側で、他の何も届かない湿った内臓の奥を、親密で淫靡なやり方でこすり上げている。
そうするたびに、もうこれ以上先はないと思うのに、もっと深くへひたり込みたくなるし、ハインリヒは際限もなくそれを受け入れて、もっともっと奥へと誘い込むように自然に躯が動いている。
ハインリヒは平たく躯を開き、今では隠すことも忘れたように、体の脇に曲げた膝が、ジェロニモが動くと一緒にふらふらと揺れる。
腿の大部分に剥き出しになった装甲と、上体からきちんと人工皮膚に覆われた部分と、自分が繋がるハインリヒのそこは生々しく再現されていて、青白く汗に光る薄い皮膚と粘膜の湿りの影が、今は惜しげもなく晒されている。呼吸と一緒に浮き上がるハインリヒの腹筋に大きな掌を当てて、ジェロニモは、躯が繋がったそこへ、じっと目を凝らした。
組成のわからない、怪我をした時に流れる循環液とは違う質感の体液が、そこで交ざり合っているのがかすかに見える。少し激しく動けば、そこで濡れた音を立てて、ハインリヒが声をこぼせば、まるで呼応したように躯の内側も揺れ動く。濡れた音がいっそう大きくなって、ジェロニモは、もっと近く躯を寄せたくなった。
繋がったまま、ハインリヒの肩をすくい上げる。驚いてから、落ちないように首に両腕を回し、ハインリヒはジェロニモに自分の胸を密着させた。
ハインリヒを軽々と抱き上げ、壁に向かって膝を滑らせると、ジェロニモは壁と自分の間にハインリヒを挟み込む形に落ち着いて、そこでまた、ゆっくりと動き始めた。
汗に濡れた背中が、壁に滑る。装甲の部分はごつごつと当たって音を立て、その無骨な音に逆に煽られて、ハインリヒはジェロニモの胸の中に、さらに手足を縮めてはまり込んでしまおうとした。
優しい触れ方ではなく、唇が重なる。歯と歯がぶつかり合うように、ひどく不様に顔の半分がそれでこすれ合った。
下から揺すぶられるたびに、体重で、重なった躯がもっと深くこすれ合う。
どこがどうなったのか、まるでスイッチでも入ったように躯が全部慄え、体温よりも高く、躯の内側で温度が上がった。
ハインリヒの背中が壁で滑るよりも一瞬早く、ジェロニモの方が、ハインリヒの胸をずるりと先に滑り落ちた。
しわだらけのシーツの上に体をやや丸め気味に、ハインリヒのみぞおちの辺りにしばらく顔を埋め、大きく息をしているのは抱いている肩から伝わるけれど、声も出ないほど疲れ切った様子で、それでも心づけのように、ハインリヒの腕や首筋を撫でる手を伸ばして来る。
ハインリヒも、呼吸を治めながら、岩のようなジェロニモの背中を撫でていた。
伸びた指先に触れる傷跡に、初めてゆっくりと神経を集中させた。
大小も深さもさまざまな、周囲の皮膚をわずかに引きつれさせた傷跡は、形のままえぐれたものもあれば、かすかに盛り上がっているものもある。
右脇腹の、腰の骨のすぐ上の、ひときわ深い傷に触れて、まるでそこに人差し指全部を埋めるように、指の腹全部で撫でた。
子どもの頃に、突き飛ばされて倒れた時に、ささくれだらけの杭をかすめた跡だそうだ。もう少し倒れる位置がずれいたら、きっと体に突き刺さっていただろうと、何の感情も交えずに言ったジェロニモの表情を思い出す。
誰に突き飛ばされたのか、ジェロニモは説明しなかった。ハインリヒも訊かなかった。
まだ汗に濡れているジェロニモの、きれいに剃り上げた頭を撫でる。刺青の始まる辺りを掌で覆い、膚の色の違いに、今やっと気づいたという風に、ハインリヒはそこに視線を当てた。
ここは、ジェロニモのいる世界だ。ここに、ハインリヒはジェロニモに会いにやって来た。
躯の熱はまだ治まらない。だから、ここに、ジェロニモとふたりきりでいたいと思った。
外で起こっていることに背を向けて、耳を塞いで、ふたりの膚の色の違いに気づかない振りをして、ただサイボーグであるというそれだけで、ここで一緒にいたいのだと思った。
散々揺れた後で、自分の気持ちが落ち着いてしまった先に、ハインリヒはかすかな不安を抱(いだ)く。これが溺れるということなのだと、生まれて初めて思い知って、けれどそこから引き上げられたいと思わない。
正義の味方なんてことはすっかり忘れて、このままでいればいいじゃないか。
改造されたのはきっと、体だけではない。熱いのは、躯だけではなかった。
本気で惚れたのかもしれないとふっと思いついて、それをごまかすように、明日はコズミに連絡を入れようと思った。思いながら、ジェロニモの首を撫でる手つきがひどく優しいことに、ハインリヒは自分で気づいていなかった。
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