ここからふたりではじめよう


17) 聖夜

 「ジョー兄さあ、クリスマスとか、プレゼント、何が欲しい? たとえば、ねーちゃんからもらえるならさ。」
 居間のソファで、珍しくふたり並んで、テレビを見ている時だった。
 フランソワーズは、イワンに湯を使わせていて、声の聞こえる辺りにはいなかった。
 ふと思いついて、ジェットはジョーに、そんなことを訊いてみた。
 「フランソワーズから? どうかなあ。クリスマスなんてあんまりガラでもないし、結婚する前は、まあ色々お互いご機嫌も取ったけどね。」
 「去年は?」
 去年のクリスマスを思い出しながら、ジェットは重ねて尋いた。
 「イワンが生まれたのが、いちばんのプレゼントだったなあ。それ以外、別に何も特別なことはなかったと思うよ。」
 周囲が騒ぐほど、ジェット自身もクリスマスには興味もなく、特に家でクリスマスを祝った記憶もない。プレゼントは、もしあるなら、いつももらう側だったし、それも、別にないからと言って、不満に思ったこともなかった。
 テレビは、退屈なドラマを流し続けている。
 ふたりとも、別にそれを見たくて見ているわけではなく、テレビでもなければ、ふたりきりで間が持たないというだけの話だった。
 ジョーが、テレビから視線を外さず、少しばかり苦笑を混ぜて、言葉を継いだ。
 「うちは、オフクロがいつも働いてたから、別にクリスマスがどうこうって、したこともなかったし、フランだって、別に興味もないみたいだしね。」
 「でもさあ、恋人いればさ、それなりに、クリスマスってイベントだしさ。ジョー兄、ねーちゃんとなんか特別なこととか、した?」
 自分がしている質問のきわどさに、まるで気づかずに、ジェットは無邪気な笑顔をジョーに向ける。
 ジョーは、ジェットの質問の意図をはかりかねて、少しばかり頬を赤らめた。
 「特別って・・・別に。」
 語尾の素っ気なさが、別に、という返事を裏切っていたけれど、もちろんジェットが、そんなことに気づくわけもない。
 「なんだあ、何にもナシかあ。」
 「一体、クリスマスがどうかしたの?」
 面白くなさそうに、頭の後ろの両腕を組んだジェットの横顔に、ジョーが視線を当てた。
 ちらりとそれに一瞥をくれて、ジェットは、少しだけ唇をとがらせて見せる。
 「べっつにィ。ちょっと気になっただけだよ。」
 「気になったって、何が?」
 また、別に、と返事を返そうとしてから、ジェットはふと考え込んだ。
 こんな質問をしているのも、もちろんアルベルトのためで、年も近く、社会人のジョーなら、今年のクリスマスのために、何かヒントでもくれるのではないかと思ったのだけれど、どうもまるきり参考になりそうにはない。
 「友達がさ、彼女にプレゼントするとか何とか騒いでるからさ、ちょっと気になっただけだよ。」
 「なんだ、好きな女の子でもできたとか?」
 「誰が?」
 「いや、キミが。」
 ジェットは、この、年の離れた義理の兄を、時々ひどく子どもだと思うことがある。
 ジョー自身にそれを言えば、キミに言われる筋合いはないと、きっと怒るのだろうけれど、微妙にずれた反応や、間の抜け方が、思わずこちらに肩すかしを食わせる。
 気の強い、どちらかと言えば、テンポの速い姉のフランソワーズが、どうしてこんな、リズムの合わない相手と結婚したのだろうと、真剣に悩んだ時期も、ジェットにはあった。
 誰かを好きになる、ということが想像すら出来なかったあの頃と違って、今はそれでも、フランソワーズが、この、穏やかさ---つまりは気が弱い、とも言える---だけが取り柄の男を選んだ理由が、わかるような気がする。
 好きって、そういうことだよな。
 理屈を並べて誰かを好きになるわけではなく、それは突然、何の前触れもなく、起こってしまう。
 それが、どんな風に、フランソワーズとジョーに起こったのか、ジェットは知らない。ふたりが出逢って、結婚を決め、そして子どもが生まれた。それを、傍で眺めていただけだ。
 それでも今は、アルベルトに出逢って、さまざまなことを経験して、ようやくふたりの気持ちの機微が、少しだけならわかる、と思う。
 ジェットの返事を、まだ待っているらしいジョーに気がついて、ジェットは不意に、にっこりと笑った。
 「好きな子できたら、ジョー兄に、真っ先に知らせるよ。」
 好きな人は、秘密だけどさ。そう、心の中で言いながら、ジェットは言った。
 「ああ、そいつは光栄だなあ。」
 まるきり、ジェットの言うことなど信じてない口調で、ジョーもにっこり笑顔を返した。


 2学期が始まってから、好むと好まざるに関わらず、受験と言う言葉が、肩に重くのしかかって来るようになっていた。
 たとえ推薦で、すでに大学入学が内定していても、周囲の騒めきをもちろん無視できず、就職する生徒のほとんどいないジェットの学年では、校舎中に、少しばかり重い空気が満ちていた。
 3年生を受け持っているアルベルトも、以前よりも補習の時間が増え、放課後、一緒に帰ることが、次第に減って行った。 バスケットからは解放された---それでも時々、練習に顔を出すこともあるけれど---けれど、補習授業が増え、宿題ももちろん増え、教師たちも、以前以上に容赦なく、成績のことを口にする。
 ジェットには、何となく肩身の狭い2学期だった。
 冬休みが近づくにつれ、もちろん受験、という言葉はさらに重みと暗さを増したけれど、2週間、少なくともそんな雰囲気に、直接触れる必要がなくなるのは、心の底からありがたかった。
 アルベルトに、思うように会えるかどうかは、保証がなかったけれど、今は学校で会うよりも、アルベルトの家にいる方が、少なくとも気分は軽くなる。
 それに、と、ジェットは思った。
 クリスマス。
 今まで、それはただの12月25日という日についた、名前に過ぎなかったけれど、今年は、少しだけ、違う。
 アルベルトがいる。
 みんなが騒ぐように、騒ぐつもりはないけれど、それでも、普通の恋人同士が考えることは、頭の隅をよぎる。
 どこかにふたりで出掛ける、ということは、どう考えても、アルベルトがしたがらないように思えた。だから、クリスマス、と言われてその次に思い浮かぶのは、プレゼント、だった。
 何かを、贈りたい。
 何を贈る?
 そこではたと、思考が止まる。
 ジェット自身、あまり物欲があるタイプではない。流行に興味もないし、買い物に時間をつぶす---アルベルトと出掛けるのは別として---くらいなら、バスケットの練習をしている方がましだと思う。
 フランソワーズが、ジェットを買い物に連れ出そうとするたびに、行かない言い訳を探すのに、いつも必死になる。
 欲しいものが何かあるかと訊かれれば、いくつか答えは用意できるけれど、プレゼントだと言われれば、別に何もいらない、というのが正直な答えだった。
 アルベルトも、特に何を欲しがるタイプでなく、本には目の色を変えるけれど、それも、自分が欲しいものが欲しいのであって、誰かが選んだものを気に入るとは、とても思えなかった。
 物欲はないくせに、手元に置くものにはうるさい、何かを贈るのに、これほど困る種類の人間もない。
 オレがほしいのは、そりゃ・・・と、思いかけて、ジェットは少しだけ頬を赤らめた。
 アルベルトと、最初の夜を過ごしてから、あれきりそのことには、ふたりとも触れずにいる。
 また今度、とは言ったけれど、アルベルトの方から誘うことはなかったし、ジェットの方も、あれきり次の機会を言い出せずにいた。
 つまりは、ふたりともまだ心の準備が出来ていない、ということなのだろうけれど、経験のないジェットの方が、分は悪い。フランソワーズに、外泊の許可をもらうのも難しそうだったし、またジェットを残して出掛けてしまう、ということも、起こりそうにはなかった。
 別に、プレゼントで、アルベルトのご機嫌を取ろうと思っているわけではないけれど、少なくとも、クリスマスという特別な日に、そんなことを言い出すのは、他の時ほど不自然ではないような気がする。
 アルベルトは知らないのだろうけれど、授業中に板書をするために、彼が右腕を伸ばすたび、ジェットはあの夜のことを思い出す。
 あの右腕に、直接触れたのだと、思う。
 肩と、背中と、腰と、脚と、腕と、首筋と、唇と。それから、もう少し、奥深い、どこか。
 切ない、というのはあまりにも上品過ぎる気持ちが、止める間もなく、こみ上げる。
 無理に説得する気はなかったし、どうやらほんとうに、人を避けて長い間過ごしてきたらしいアルベルトに、急いで事を運ばせるのは酷だと言うのは、言われなくてもジェットにはわかる。
 ジェットが押せば、アルベルトは引いた。待てば、そのうち、向こうから腕を伸ばしてきてくれる。ただ、それを待つのが、時折つらい。
 未成年、と言われれば、そこで黙るしかなく、卒業すれば、もう少し自由になれると思えばこそ、ジェットはじっと、我慢もしている。
 それでも、もし許されるなら、また今度、という確約を、アルベルトと取りつけたかった。もし、可能なら。
 今まで、同級生たちがひそひそと囁く、その類いのことに、真剣に耳を傾けたことはなかったけれど、今は、どんな下らない知識でもありがたかった。
 もっとも、バスケットと違って、知識を仕入れたから、実地で練習しようと言うわけにはいかない。何をどうすればいいのか、経験がないのは今も同じことで、それでも、何も知らないよりはましだと、思いたかった。
 不意に、思い出した。
 ジェロニモが作ってくれた、それ。
 2年生の時、地区大会の前に、ジェットとピュンマにくれた、それ。
 全国大会優勝が、果たせるようにと、3人で一生懸命、願いを込めた、それ。
 あの時の結果は、少しばかり無残だったけれど---だから、今年はそんなものはいらない、とジェロニモは言った---、お守りのようなそれは、確かに3人を、結束させてくれた。
 あれにしよう。
 ジェットは、どこかにまだあるはずの、バスケットのチームのメンバーの電話番号のリストを、慌てて探し始めた。


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 12月25日、午後8時。
 いつもと変わらない夕食が終わって、ジェットは、出掛けてくる、と言って家を出た。
 外は奇妙に明るく、浮かれていて、散々聞き飽きたクリスマス・ソングが、まだ街中に流れ続けている。
 頬に空気が冷たい。
 冬休みは始まったばかりで、まだこれから、新年という、もっと大きな大切な日がやって来る。どうせジェットの周囲は、いつもと変わらず静かに過ぎてしまうのだろうけれど、少なくともまた、卒業には、日一日と近づくことになる。
 年末から新年の3日までは、家族と過ごさなければならないとしても、4日にはまた、アルベルトと会えるといいなと、ジェットは思った。
 いつも通り、駐車場のアルベルトの車の有無を確認した後、早足で階段を上がる。
 スタジャンのポケットの中の左手を握りしめて、それから、ジェットは玄関のドアをノックした。
 終業式の日に、ここに来て以来の、アルベルトの笑顔が、ドアのすき間からのぞいた。
 「メリークリスマス、せんせェ。」
 息が白く、口元に舞った。
 早く入れと促すアルベルトに続いて、ドアの間に長身を滑り込ませて、ジェットは中に入った。
 空気が暖かい。
 「すっげー人込みだよ、そと。」
 「だろうな、クリスマスだし。」
 キッチンで、もう紅茶をいれる準備をしているアルベルトが、背中を向けたまま、ジェットに答えた。
 出掛ける時に、フランソワーズが巻いてくれたマフラーを外して、ジェットは上着を脱いだ。
 「頬が、真っ赤じゃないか。」
 「仕方ないよ、冬だもん。」
 笑って答えるジェットに、アルベルトが苦笑を返す。
 ジェットは、暖かいマグを両手に抱えて、そこからぬくもりを、全身にめぐらせようとした。
 「2学期の成績、どうだった?」
 テーブルに坐りながら、アルベルトが訊く。 
 「知ってるくせに、せんせェ。」
 「国語は知ってる。でも他のは見てない。」
 紅茶を一口すすってから、ジェットは、上目に天井を見るふりをする。
 「赤点ナシ。ねーちゃんはキゲンよかったよ。補習授業も、受験用のだけだし。」
 「なら良かった。」
 マグの影に、アルベルトが笑顔を隠した。
 「3学期始まったら、オレたち、あっという間に、卒業だね。」
 卒業、という部分に、少しだけアクセントを置いて、ジェットは言った。
 アルベルトは、それを聞き取ったのかどうか、何も言わず、少しだけ唇の端を上げて見せた。
 あのさ、と言ってから、ジェットは体をねじって、坐っている椅子に掛けた上着のポケットに手を入れた。
 「せんせェ、手、だして。」
 怪訝そうな表情で、アルベルトが、右手をテーブルの上に出す。ジェットがそこに、左手を握って差し出した。
 「メリークリスマス。」
 言葉と同時に、握っていた拳を開くと、大きな掌の上に、細い紐か糸で編んだらしい、色鮮やかな、小さなベルトのようなものが現れた。
 比較的複雑な模様は、2本並んだ両方とも、同じパターンだったけれど、ひとつは濃い青と薄い青、それから白、もうひとつは、明るい赤とオレンジ、そして白で編まれていた。
 目を細め、観察するように眺めてから、壊れものに触れるように、アルベルトがそれに指を伸ばした。
 「フレンドシップブレスレットとか、プロミスリングとかっていうんだってさ。本当の名前は、ミサンガっていうらしいけど。」
 「ミサンガ?」
 素朴な響きのその言葉を、アルベルトは、舌の上で、文字を転がすように発音する。
 「ジェロニモがさ、2年の時に、全国大会で優勝できるようにって、オレとピュンマにくれたんだ。あん時は、優勝はできなかったけどさ、残念ながら。」
 ジェットよりも、さらに体の大きなジェロニモを思い出しながら、あの大きな手で、こんな繊細なものを作るのかと、アルベルトは素直に感心した。
 「で、ジェロニモに教わって、これはオレが、せんせェとオレ用に、作ったの。」
 「君が?」
 驚きを、思わず隠せない。
 どちらかと言えば、物事すべてに大雑把なジェットが、こんな細かい細工を仕上げたのが、正直信じられなかった。
 「手首に、願いごと考えながら着けて、切れるまで外しちゃいけないんだってさ。切れたときに願いがかなうって、なんか、そういうことだって、ジェロニモはいってたけど。」
 幅は1cmほどで、長さは20cmほどに見えるそれを、ジェットは、掌からテーブルの上に移した。
 青い方を取り上げ、
 「どっちにする? 右? 左?」
と、アルベルトに訊いた。
 突然言われて、両方の手首を交互に見ながら、アルベルトが戸惑った表情を見せる。
 「左の方が、いいんだろう、な。」
 「そうだね、せんせェ、右利きだし。」
 生身の腕の方だと言うことには頓着せず---アルベルトが気にしているのは、明らかにそのことだったけれど---、ジェットは、ゆるく、アルベルトの左の手首にそれを巻いた。
 「願いごと、せんせェ。」
 端と端を結び合わせながら、ジェットは、目顔で、アルベルトを促した。
 唇を軽く引き結んで、アルベルトが、何か考え込むような表情になる。ジェットの手元を見ながら、少しだけ、唇が動いた。
 「ちゃんと願いごと、かなうといいね、せんせェ。」
 子どものような表情で、結び終わってジェットは言った。
 さあ、どうかな、と手首に巻かれたばかりの、青いひも細工のブレスレットを眺めて、アルベルトが小さく笑う。
 「じゃあ、今度、オレの番。」
 そう言って、右手首と、自分の分のブレスレットを、アルベルトに差し出した。
 少しばかりぎこちない動きで、アルベルトの指先が、結び目を作る。
 その手元と、アルベルトの、少しばかり必死な顔を眺めながら、ジェットは、せんせェと、ずっと一緒にいられますように、と心の中で、静かに祈った。
 ずっと、一緒に。
 ふたりで何となく、手首を並べ、較べ合って、それから、同時に笑う。
 メリークリスマス、とアルベルトが言った。
 その、柔らかな声につられたように、ジェットは少しだけはにかみながら、口を開いた。
 「あのさ、せんせェ、オレまた、近いうちに泊まりに来てもいい?」
 テーブル越しに少し身を乗り出すようにして、ジェットは自然に声を低めた。
 アルベルトが、唇に機械の方の指先を当てる。考え込む時の、彼のくせだった。
 「・・・いつ?」
 ジェットの、泊まりに来る、という言葉の意味を、きちんと読み取って、アルベルトが訊いた。
 「オレは、別に、いつでもいいけど・・・ねーちゃんさえいいっていえば、オレはいつでも時間あるし。」
 また、アルベルトが黙り込んだ。
 居心地の悪い数瞬の後、アルベルトが、また尋いた。
 「誕生日は、2月だったっけ?」
 「・・・うん、2月2日。」
 「何曜日だか、わかるかな。」
 ジェットが考えるより先に、アルベルトは椅子から立ち上がって、自分の寝室の方へ歩いて行った。
 開け放したドアの向こうが明るくなって、厚い紙をめくる音が、部屋の中から聞こえる。
 カレンダーで曜日を調べているのだと気づいて、ジェットは立ち上がって、部屋の方へ行った。
 「何曜日?」
 ドアから首を伸ばして中をのぞき込むと、アルベルトが、こちらに背中を見せたまま、
 「なんと、日曜だ。計ったみたいなタイミングだな。」
 肩越しにジェットに振り返って、苦笑ともあきらめとも見える表情を向けた。
 「1日の土曜の夜、お姉さんにちゃんと、許可もらって来てくれよ。」
 ジェットの顔が、いきなり輝く。
 ここがマンションでなくて、夜でなかったなら、大声で、喝采を叫んだかもしれない。
 アルベルトの傍に走り寄ると、隣りに並んで、ベッドの傍の壁にかかったカレンダーを眺めて、ジェットは思わず口笛を吹いた。
 「せんせェ、なんか、書くものある?」
 「書くもの?」
 ベッドの傍の引き出しから、アルベルトがペンを取り出して渡してくれた。
 2月のページの、2日のスペースに、ペンの先を当てながら、
 「忘れないように、書いとくからさ。」
 そう言って、ジェットの、と書き込んでから、ペンが止まる。
 アルベルトが不審そうに、ジェットの、考え込む横顔を見やった。
 「せんせェ・・・たんじょうびって、漢字、どう書いたっけ?」
 ジェットの情けない声に、アルベルトが頭を抱え込む。
 そのまま、何も言わずに部屋から去ろうとするアルベルトの背中に、慌ててジェットが声を掛けた。
 「怒んないでよ、せんせェ、残りの冬休み、オレ、ちゃんと勉強するからさぁ。」
 必死にそう言うジェットに、アルベルトが、軽く頭を振りながら、立ち止まった。
 「怒ってなんかない。君に、もっとましな辞書を買っとけば良かったって、後悔してるだけだ。」
 「ちゃんと勉強するよォ・・・。」
 「頼むから、大学に行って、教授相手に、漢字のことなんか質問しないでくれよ。」
 「・・・はぁい。」
 アルベルトの背中を見送って、ジェットはまたカレンダーに振り返ると、また2月2日のスペースを開いた。
 漢字はやはり思い出せず、もう悪あがきはせずに、ひらがなでたんじょうび、と残りを書いた。
 自分の書いた字を、観察するように眺めてから、2月2日、とジェットは呟いた。
 どうか、今度こそ、うまく行きますように。
 右手のブレスレットに、そっと触れて、アルベルトは何を願ったのだろうかと、ふと思った。