てのひらをかさねて


6) 9月

 新しい腕は、まるでアルベルトの髪の色に合わせたような、白っぽい銀色だった。
 以前の、暗い鉛色に比べれば、アルベルトの膚の色にも瞳の色にも似合っていたけれど、そんな色の機械が増えている最近では、皮肉なことに、以前の腕よりも、いっそう機械めいて見えた。
 それでも、新しい腕は、そろそろ違和感もなく、アルベルトの生活に馴染みつつあった。
 「すげー、きれー。なんか、前のより軽いよ、この腕。」
 ギルモア博士の前で、包帯を取った時には、さすがに神妙に部屋の隅に控えていたのだけれど、アルベルトが家に戻り、仕事に戻り、ようやくジェットとふたりきりになった9月も終わりの頃、ジェットは、もう遠慮もなく、はしゃいだ声を上げた。
 まだ傷もなく、表面もつるつるとした、アルベルトの新しい腕に、くまなく指を滑らせながら、まるで新しいおもちゃをもらったばかりのように、ジェットは目を輝かせている。
 「そうだな、軽いのは、確かだ。新しい素材とかで、前のより軽くて、強度も------」
 説明するアルベルトの言葉など右から左で、ジェットは抱え込むようにその腕を抱き、左の頬に当てた。
 「前のより、冷たくない気が、する。」
 「そんなはずはないだろう。」
 アルベルトが怪訝な顔をする。それでもジェットは、自分の言うことが正しいと、また掌を当てて、冷たくないよ、と繰り返した。
 「もう、痛くないの?」
 散々触った後で、ようやくアルベルトを解放してから、ジェットが訊いた。
 「いや、まだ、腕を上げると痛い。」
 右腕を肩の線まで上げて見せながら、アルベルトは少し顔をしかめた。
 「まだしばらくは、あんまり使うなと言われてる。」
 「ふーん。」
 ジェットの唇が、首筋に触れてくる。
 明かりを消してくれと、アルベルトは小さな声で言った。
 今さら見られて困る腕ではなかったけれど、まだ少し違和感の残る、新しい腕の接いた体を、ジェットの目の前に晒すには、もう少し時間が必要な気がしたので。
 素直に部屋を暗くして、ジェットがベッドに戻って来る。
 さっきまで、子どものようにはしゃいでいたのがまるでうそのように、ひどく静かな、大人びた表情が、薄闇に浮かんで見えた。
 「久しぶりだね、せんせェ。」
 耳を噛まれて、アルベルトは、体を倒しながら、目を閉じた。
 ジェットの言った通り、新しい腕はほんとうに、冷たくないのだろうかと思いながら---そう、心の中で願いながら---、ジェットの広い背中に、腕を回す。
 骨の形が、腕に触れる。久しぶりだと、アルベルトもそう思った。
 互いに、互いの体に腕を回し、抱き合って、唇を重ねる。
 舌を差し出すと、いとおしむように、ジェットが舌先を軽く噛んだ。歯が、鳴る。それに誘われたように、上体を少し起こして、ジェットの唇を追った。
 舌が触れ、歯列が重なる。唇の輪郭を、互いに舌先でなぞり合う。
 ジェットの指先が伸びてきて、指の腹が睫毛に触れた。喉を反らしてそれを避けると、掌が、頬を撫でて、鼻先に触れ、それから唇に滑る。
 喉と鎖骨にさわってから、ジェットが、右肩の、機械の接ぎ目に顔を埋めた。
 いとしげに、いつもように、機械の部分に舌を滑らせる。かちんと、まれに歯を当てて、硬い音を立てては、くすくすと笑う。
 生身と金属の接ぎ目に、ジェットの舌先が滑ると、背骨がいつも、溶けてゆくような気がした。
 アルベルトは喉と胸を伸ばし、ジェットの肩を軽く押した。
 「せんせェ・・・・・・」
 ジェットの体が、アルベルトの上で少し下にずれて、そろそろ頭をもたげて来始めた、胸の赤い突起にたどり着く。
 唇が触れ、少しきつく歯を立てられて、アルベルトは思わず声を上げた。
 歯を立てたまま、舌先が、なぶるように、動く。そうしながら、ジェットの大きな手が、腿の内側を滑った。
 「オレ、ずっと待ってたんだ・・・・・・」
 息が、かかった。
 暖かく湿った呼吸が、敏感な薄赤い皮膚を、ゆっくりとなぜてゆく。
 思ったより早くリハビリは始まったけれど、指先を使う動作はともかく、腕全体を動かして、使えるようになるのに、少しばかり時間がかかった。シャツのボタンをとめたり、靴の紐を結んだりするのには支障がないのに、上着を着るために腕を上げたり、少し重いものを胸の前に持ち上げたりすることは、しばらくの間、禁じられていた。
 痛みもあった。
 機械と繋がった神経や筋組織がまだ定着しておらず、あまり無理をすると、一種の肉離れのようなことになるからと、ギルモア博士から散々脅かされた。
 板書をするのに、腕を上げないわけには行かず、その代わりに、他の無理は、一切すっぱりと避けた。
 その中には、残念ながら---ジェットにとっては---、こうして抱き合うことも含まれていて、夢中になれば何が起こるかわからないからと、今日まで一度も、ジェットには、腕に触れされることさえさせなかった。
 時間をかけて、まるでひとつびとつを確かめるように、ジェットの唇が、アルベルトのすみずみを滑ってゆく。自分のものだとしるしをつけるように、時折立ち止まっては、柔らかな皮膚に歯を立てる。
 開いた膝の間に顔を埋めて、ジェットは、もう何の痕も残っていない腿の内側に、また赤い痕を残すために、歯を食い込ませた。
 ジェットの赤い髪に、機械の指を通す。肩や額に触れて、今は少し汗を含んだその感触を、アルベルトはひどく懐かしく感じていた。
 春以来、こんなに長く触れ合わなかったのは初めてだったから、ジェット出逢う前は、長い間ひとりきりだったアルベルトはともかく、時間さえあれば、アルベルトに触れたがるジェットには、酷な苦行だったのだと、容易に想像がつく。
 それでも、文句らしい一言も言わず、ジェットは今日まで、一度もアルベルトの言いつけに背くようなことはしなかった。
 大きなジェットの体に、まるで全身を包まれるように、アルベルトはもう、力を脱いて、ジェットが動くままに体をたわませる。右腕をかばうことだけは忘れずに、ジェットの腕が導くままに、アルベルトは体の向きを変え、姿勢を変えた。
 ジェットの、体の重み。重なる膚が、自分のものではない熱を求めて、ゆっくりと開いてゆく。
 浅く息を吐きながら、どくどくと首筋を流れる、大きな血の音を聞いていた。
 「腕、痛い? せんせェ。」
 体を持ち上げて、ジェットが尋いた。
 焦点の合わない視線を投げて、それでも質問の意味は聞き取って、アルベルトは、かすかに首を振った。
 ジェットが、左腕を引く。何かと薄目を開けると、また強く左腕を引かれた。
 体を起こせと言われているのだと気づいて、アルベルトは、ゆっくりと肩を起こした。
 アルベルトの体を支えて、今度は逆にジェットが下になる。
 ジェットの上に乗る形で、アルベルトは、どうする気かと、ジェットを見下ろした。
 ほら、とジェットが躯を少しだけ揺する。
 さっきまで、ジェットの唇が触れていた腿の内側に、今は、ジェットの熱が触れている。
 ようやくジェットの意図を悟って、アルベルトは、おずおずと、左手を伸ばした。
 手を添えて、慣れない仕草で、躯を落とす。
 ジェットが腰に手を伸ばして、アルベルトの体を支えた。
 「・・・・・・ムリ?」
 少しばかりからかうような口調で、ジェットが訊く。
 思い切りにらみつけてやると、こもった笑い声を立てた。
 「じゃあね、オレがやるから・・・」
 上体を起こし、坐って向き合う形で、ジェットはアルベルトの腰を抱き寄せた。
 いつもとは違う角度でジェットが入り込んできて、アルベルトは思わず、とがった声を上げた。
 「オレに、しがみついていいからさ、せんせェ。」
 言われるまでもなく、軽く下から揺さぶられて、アルベルトは倒れそうになりながら、ジェットの首に、必死でしがみつく。
 脚の位置を変えられ、完全にジェットに体の重みを預けて、アルベルトは、躯の奥を満たすジェットの形に、思わず息を止める。
 ジェットが、ゆっくりと動き出した。
 いつもよりも繋がりが深く、下目に見えるジェットの表情が珍しい。
 ジェットの動きに合わせて、浅くなる呼吸で必死に酸素を追いながら、アルベルトは思わずジェットの、眉間の辺りに噛みついた。
 途端に、強く突き上げられて、喉を反らす。
 そのまま、ジェットが前に体を倒して来て、大きく開いたアルベルトの両脚の間で、いつもの形に、アルベルトと繋がってくる。
 右腕を取られ、指先を、ジェットが軽く噛んだ。
 ジェットが、呼吸を止める。いっそう動きを速め、それから、ゆっくりと、波が引いて行った。
 夢から覚めたばかりのような表情で、アルベルトの右手を胸に引き寄せ、ジェットは強く指を絡めた。
 久しぶりの、弛緩し切ったジェットの体の重みを、アルベルトは痛いほどいとしいと思った。
 重ねる熱よりも、こすり合わせる膚よりも、何よりも、まるで死んだように、自分の上で体を伸ばすジェットが恋しかったのだと、今さら気づく。
 ジェットの髪を軽く引っ張って、アルベルトは、感謝を込めて、その唇に接吻した。
 肩の痛みにもかまわず、ジェットの首に、強く腕を回す。汗に濡れたジェットの赤い髪の下で、新しい、まだ少しよそよそしい右腕が、きらりと鈍く、銀色に光った。