「あらし」


10) 行動

 週の初めには、張の息のかかった店やレストランを回り、売上金を回収する。必ずグレートが足を運ぶわけではなかったけれど、大きな店や、規模は小さくても売り上げの多い店は、いつもグレートが直接顔を出すように、張に言われていた。
 それにも関わらず、グレートが、ジョーの店---おそらく、街で知らない者はない、大きなストリップジョイント---を訪れることは滅多になく、ことに、女や子どもがそこへ連れて行かれたばかりだと知っている時には、グレートは、あからさまにジョーを避けた。
 ジョーに対する反発を、けれどそうとはっきり面には出さず、ただ、女や子どもが輪姦されているところに行き合いたくないと、尋かれれば、そんなふうに答えていた。
 張の秘蔵っ子と、張の客分として、表立って対立する気などさらさらなく、ただ接触を避ければ、衝突も避けられると、そう簡単に思っているだけだった。
 虫が好かないというのだろう。肌が合わないと言えばいいのだろうか。ああいう、自分の野心のために、冷たく夢中になれる人間とは、そりが合わないとくだけの話だった。
 それでも、こんな非合法なことばかりしている組織には、冷静で、それでいて度胸の坐った、犯罪などへとも思わない、頭のいい人間が必要なのだとわかっているから、張がジョーを大事にする理由もよくわかっている。
 自分はああはなれないと思う、それだけのことだ。そして、あんなふうには、なりたくもない。
 女子どもを使って金を稼ぐというのは、どうしてもグレートの性には合わない。大事な資金源であり、人材が、ほぼ無尽蔵にそこらに転がっているからこそ、有象無象のその中から黄金を見つけ出し、組織のために金の卵を生む鶏に仕立てるというのは、意外とやりがいのあることのなのかもしれなかった。
 それでも、人にはそれぞれ、身分相応というものがある。
 おれには、ケチな用心棒がお似合いなのさ。
 野心と言えば、もう少し張の役に立ってから、葬式を出せる程度の金を残して、きれいな死体で死ぬ---誰かの手を、死んだ後まで煩わせるのはまっぴらだ---、という程度のことだった。
 自分を殺すことを、不思議と考えたことはなかった。人を殺しながら、そんな自分に嫌気が差しているにも関わらず、死んでしまおうかと、考えたことはなかった。
 どうしてだろうな。ひとりごちて、グレートは、頭髪のない頭のてっぺんを、つるりと撫でた。


 午前中なら、裏口から入って、階下にある事務所へ行く。バーを仕切っている男がいるだけだろうと思っていたのに、よりによって、ジョーがいた。
 おはようございますと、にっこりと営業用の笑顔を向けられ、グレートも、朝から硬張る頬をゆるめて、おはようとにっこり返した。
 「夕べ、大人と話をしたばかりですよ。」
 支配人の机にしては、やや小振りな、けれどどっしりと部屋の中にたたずむ机の上に軽く腰を乗せ、ジョーは、極めてくだけた、それでもグレートに対する敬意は払っている態度で、またにっこりと笑う。
 ひくりと眉が上がるのを隠せず、それでも口元の笑みは消さずに、グレートは、ジョーの言葉の続きを待った。
 「やっと、お許しが出たんですよ。例の映画の件、ご存じでしょう?」
 問いの形を取りながら、それは問いではなく、すでに取引の話を始めてしまっている口調だった。
 「例の・・・・・・人殺しの映画の話かな。」
 ドアの向こうに気配がないのを確認してから、グレートは少し声を低めた。
 「そうはっきり言われると・・・・・・」
 ジョーは、まるで誉められでもしたように、照れた表情を浮かべる。
 「これで、他の連中に、大きく水を開けられます。まあ、夢見は悪いでしょうがね、しばらくは。」
 くつくつと、喉の奥を鳴らして、ジョーが笑った。
 その喉を、片手で締め上げてやりたいと思いながら、グレートは、さり気なくコートのポケットに両手を差し入れ、その中で、掌に爪が食い込むほど強く、拳を握りしめた。
 「誰を、使うんだ?」
 殺す、という単語は使わずに、訊いた。
 ジョーが、じっとグレートを見た後、自分の手元に視線を落として、3秒ほど間を置いた。
 「この間、来たばかりの内のひとりが、あまり使い物にならなさそうなので、思い切って、それを、と思ってます。」
 「病気でも、持ってたのか?」
 じわりと、嫌な予感が、喉元に這い上がって来る。それを飲み下しながら、グレートは、ジョーの答えを待った。
 淡々と、まるで果物でも売るような口調で、ジョーは先を続けた。
 「病気じゃないんですが・・・新鮮味のない体も、つまりませんから。子どもだと特に、真っ白な方が、客に受けもいいもので。」
 言っている意味はわかるだろうと、その下品につり上げた唇と、細めた目の光が言っていた。
 嫌な予感は吐き気に変わり、胃の辺りに、軽い痛みを感じる。
 そこに掌を乗せたくて、けれどポケットから出した手は、そのまま拳になって、目の前の若い男を殴ってしまいそうだったので、グレートは、ようやく歯を食い縛って、その痛みをやり過ごした。
 「グレート、あなたは、このまま、大人の用心棒を続ける気でいるんですか?」
 どこか、甘い響きのRの発音で名を呼ばれ、グレートは思わず耳の後ろを震わせた。
 「おれは、張大人のお情けで用心棒をやってるだけの、能無しでね。」
 くっと、ジョーが唇の端を大きく上げた。
 「能ある鷹は、爪を隠すらしいですよ。」
 核心には一向に触れず、それがちらりと顔をのぞかせたかと思えば、また隠れてしまう。ぐるりぐるりと同じところを回って、始めた地点よりは、少しばかりずれたところへ話が落ち着く。
 いやな会話だ。腹を探り合うことだけが目的で、言葉の意味することなど、なんら重要ではない。
 「その、今度の仕事を、手伝っていただけませんか。」
 グレートは、はっきりと見えるように唇を引き結んで、うかうかと話には乗らないと、そう無言で告げる。
 ジョーが、ひどく魅力的な苦笑いをこぼした。
 「いえ、大したことじゃありません。あまり人のやらないことをやれば、しかもそれで利益を上げれば、やっかむ連中が必ず出て来る。商売敵は、少ないに越したことはない。」
 邪魔者を消せと、そう言っている。張があまり好まないやり方だ。それを言ってやろうかと思ってから、それをもちろん承知の上で言っているのだと思い直して、グレートは開きかけた唇を、また硬く閉じた。
 「ボクと手を組んだ方が、有利だと思いませんか。」
 絡みつくような声だった。こんな声で女を落とすのかと、初めて思う。男だって、こんな声で誘われれば、ふとその気になるかもしれない。
 優しげな外見の裏にあるのは、獲物の生き血を吸う毒蜘蛛の本性だと、グレートはとっくに見抜いている。近づけば、太るまでは飼われても、じきに食い殺されるのは目に見えている。
 そういう無駄死の仕方は、あまり好みではないなと、グレートは思った。
 何も言わないグレートに、焦れる様子さえなく、また甘やかに微笑んで、ジョーは、ゆっくりと机から降りる。
 「まあ、考えておいて下さい。今日や明日の話じゃありませんから。」
 「そんな話なら、張大人にした方がいい。こんな朴念仁に、何を言ったって無駄さ。」
 「ボクが欲しいのは、その朴念仁ですよ。」
 素早く、けれど声に砂糖の甘さをまぶすのを忘れずに、ジョーが切り返してくる。
 こんな手合いには、沈黙がいちばんよく効く。下手にしゃべれば、必ず足元をすくわれる。
 グレートは、首をわずかに動かすことさえせず、無表情を保ったまま、部屋を出て行く素振りを見せた。
 ドアに手を掛け、体を半分部屋から出してから、グレートはさり気なく、横顔だけで振り返って、いちばん訊きたかったことを、最後に口にする。
 「どの子だ、映画を撮るのに使うのは?」
 ジョーが、怪訝な色を眉の間に浮かべて、それでも笑顔を崩さずに、下品な好奇心とともに、それに答えた。
 「銀髪の子ですよ。子どもというには、少々とうが立ち過ぎてますがね。」
 じわりと、シャツの下に汗が浮いた。
 静かにドアを閉め、やはりそうかと思いながら、グレートは薄暗い廊下を、自分の靴音を聞きながら歩いて行った。


 「張大人、おれがお前さんに、頼み事をしたことがあるか?」
 張のために、裏と表の両方の帳簿の管理をしている男が、グレートの回収してきた売上金をすべて受け取って、張に慇懃な挨拶を残して去ってしまってから、グレートは、今までしたこともないような真剣な表情で、張にそう話しかけた。
 「・・・・・・思い出せないアル。」
 「思い出さなくてもいい。それより、頼みがある。」
 いつもの寡黙なグレートからは想像もつかないような、たたみかけるような言い方で、張の肩をつかまんばかりにしながら、グレートはやや高い声を出した。
 「ジョーが、映画を撮るそうだな。」
 張が、視線を反らして黙り込む。
 「・・・・・・ジョーに、押し切られたアルよ。」
 「責めてるんじゃないんだ。お前さんは、組織にいちばんいいと思える判断を下しただけだ。」
 張が顔を上げ、頬に血を上げているグレートに気づいて、珍しいものでも見るように、すっと目を細めた。
 「こんな頼み事は、これっきりだ。ジョーが映画に使うつもりでいる、あの銀髪の子を、おれにくれないか。」
 「ナンの話アルか?」
 張が、首を振って、必死に話の筋道を追おうとする。
 「お前さんが、あの子にいくら払ったかは知らんさ。その分くらいは、おれが稼いで返す。だから、おれにくれないか。」
 「映画撮るな、言ってるアルか? それとも、その子使うな、言ってるアルか?」
 「・・・・・・見殺しに、したくないんだ。」
 張が、中国服の筒袖に、両手を互い違いに差し入れて、首を傾げる。
 グレートは、懇願する仕草で張の前に立ち、まっすぐに、張のどんな表情の変化も見逃すまいと、じっと見ていた。
 「おれの頼みを聞いてくれたら、少々の無理は、聞く気でいる。おれはお前さんに借りのある身だ。またもうひとつ借りを作ろうなんて、図々しいのはわかってるさ。それでも、張大人、おれは、あの子を、また殺すわけにはいかないんだ。」
 支離滅裂なグレートの物言いに、張は説明を求めようとしたけれど、今まで、こんなに声を荒げたことのない男を目の前にして、今説明させたところで、わかるようには何も言えないだろうと、静かに判断する。
 第一、たかが子どもひとりくれてやれば、何でもすると言っているのなら、悪い取引ではないかもしれない。
 けれど、問題は、どうやって、すでにすっかり計画を立てているだろうジョーをなだめて、とりあえず映画撮影の件を延期---あるいはすっかり中止になってしまうかもしれない---を納得させるかだった。
 ジョーを今怒らせるのは、絶対にまずい。
 昨日是と言ったものを、今日否と言えば、これから先の、互いの間の信用の問題に関わってくる。
 自分の大事な部下と、自分の大事な友人との、相入れない申し入れを天秤にかけながら、張は迷った。
 組織を束ねる者として、部下を大切にしなければならないのは当然のことだった。けれど、こんな世界では、気の置けない友人は、何よりも得難い。
 ジョーを怒らせる分は、グレートに、何かの形で補ってもらおうと思いながら、張は、机の上の電話にちらりと視線を流した。
 「ブリテンはん、高くつくアルよ。」
 わかっていると、グレートが、ふっと瞳の色をやわらげてうなずいた。
 電話を取り上げ、ジョーにつながるはずの番号を回し、流れてきた声は、けれどジョーのものではなかった。
 「ジョー出すヨロシ。どこいるアル?」
 早口に言葉が交わされ、グレートは、のぞき込むように、その会話に耳を傾けた。
 今夜。機材。部下。支配人。そんな単語が切れ切れに聞こえ、グレートはそれから導き出した結論に、青冷めながら、かっと頭に血を昇らせた。
 電話を切った張が、気の毒そうな目の色で、グレートを見上げる。
 「ジョー、もう出掛けてるアルよ。もう映画、撮影始まってるらしいアル。」
 「どこでだ。」
 「・・・・・・工場跡の、倉庫アル。」
 張が以前使っていた、ニセ札を作るための工場のことだった。印刷しても、ニセ札自体がはけなくなり、機材をきれいに運び出した後、建物だけがそのまま残っている。
 グレートは、上着に袖を通しながら、張の胸元をつかんだ。
 「一緒に来てもらうぜ、張大人。」


 張の使っている運転手を押しのけ、張を車に引きずり込むと、グレートは、鋭い音を立てて車を発進させた。
 いくつか信号無視をして、うるさく鳴らされるクラクションを無視し、グレートは、ひたすら車を飛ばした。
 グレートの剣幕に、張は助手席の背中を抱え込んで、一言もない。
 話しかければ、車はすぐにでも、方向を反れて路肩に乗り上げてしまいそうに思えた。
 街の南側の外れにあるその工場跡には、明かりもない駐車場に、車が何台か駐まっていた。
 最後までスピードを緩めず、止まっている一台に、ほとんどぶつかりそうになりながら、ようやく車を止め、乗り込んだ時と同じように、襟首をつかんだ張を、車から引きずり下ろす。
 「おれを殺したいなら、後で好きに殺してくれ。今だけは、おれの好きにさせてもらう。」
 よろけながら、自分の傍をついて来る張の方を、見もせずにグレートは、吐き捨てるように言った。
 工場の後ろにある倉庫へ、足早に向かいながら、その時ふたりは、明らかに少年---少女のようにも聞こえた---の、骨の凍るような悲鳴を聞いた。
 張を置いて走り出し、グレートは、鍵のかかっている倉庫の扉を、取り出した拳銃で、はじき飛ばした。
 倉庫の中にいた、すべての人間が、一斉にグレートに振り返った。その中には、もちろんジョーも見えた。
 男たちの体の間から、黒いカーテンで覆われた壁の、その空間の中で、真っ白な照明が真ん中の、大きなベッドの上を照らしているのが見える。そこには、すでに夥しい血が流れていた。
 その血が、グレートの、怒りの導火線に火をつけた。
 思うより先に体が動き、グレートは、ぴきりと、何かが切れる音をどこかで聞いた。
 並んだ男たちに向かって銃を撃ち、5発の弾丸は、正確に、ひとりひとりの息の根を止めた。
 6人目の男---それが、最後だった---が、壁際で頭を抱え、体を丸めて、弾をよけようとしている。
 それに目を止めた時に、ようやく張が、よたよたと倉庫の中に入って来た。
 「ブリテンはん!」
 叫ぶように名を呼ばれ、けれどグレートは、振り返りさえしなかった。
 銃にまた、新たに取り出した弾を装填しながら、グレートは、自分の中が透明になっているのを感じていた。
 死体の間を、死体を踏み越えて、最後に残った男の方へ近寄りながら、グレートは、ベッドの上に横たわった、銀色の髪よりも白く見える、あの少年を認めた。
 右肩の、えぐれた肉と血が見える。傍に倒れた男の手には、スイッチが入ったままのチェーンソーが震えながら、まだ握られたままでいた。
 生き残っている男の、頭を抱えた腕の間から、薄茶色の髪が見える。失禁したのか、ぴかぴかに光る革靴の足元に、水たまりが出来ていた。
 その柔らかな髪をつかみ、怯えに満ちた表情を眺めて、グレートは、いっそう無表情に、はしばみ色の瞳に、凍てつく銀色の光をたたえて、ゆっくりと、イギリス訛りの深い声で言った。
 「ジョー、地獄で会おう。」
 真っ白い、ぴんとアイロンのかかった、上等なシャツの襟首をつかみ、眉間に銃を突きつけ、視界の端に、硬張った体を動かせずにいる張を見ながら、グレートは、ゆっくりと引き金を引いた。
 弾を打ち込まれた反動で、体が跳ねてのけ反る。砕かれ潰れた脳髄が、後ろの壁にぴしゃりとかかった。はねて顔にかかった血に、眉一つ動かさず、おかしな角度に首を傾けた死体を、グレートは、ぽんと床に放り出した。
 ようやく張が、死体の間を走り抜けて、グレートの傍へやって来る。
 「ブリテンはん、アンタ、キチガイあるネ。エライことしてくれたアル。」
 「殺すなら、好きにしてくれ。」
 たった今、張の部下たちを撃ち殺したばかりの銃を張に差し出し、グレートは、もやのかかったような瞳を、張に向ける。
 困惑の色を浮かべてグレートを見つめる張を、グレートが、ひどく悲しげに見下ろした時、ふたりは、細く小さくうめく声を後ろに聞いた。
 同時にその方へ振り返ると、恐怖と絶望に満ちた、淡い水色の瞳が、ゆっくりとまたたいているのが見えた。
 「その子、まだ生きてるアル。」
 張の声と同時に、グレートは銃を手から滑り落とし、ベッドの方へ駆け寄った。