「あらし」


23) Take Pains

 3人とも、ジェットよりは背が低く---アルベルトよりも、ほんの少し低いくらい---、けれどぶ厚い体をしていた。
 車から抜き取ったキーで、ドアを開けたジェットの後ろから、突き飛ばされるように、中に連れ込まれる。
 「見えるところに、跡なんか残すなよ。」
 ジェットがそう言った途端、ヒスパニック系の方のひとり---首の、真正面の少し下に、暗い青で、大きな蜘蛛の刺青が見えた---が、アルベルトの上着の襟をつかんで、自分の方へ引き寄せた。
 傾けた体に向かって、蹴り上げた膝が入る。丸い、骨の硬い膝が、背中にめり込むかと思う勢いで、胃を押し潰した。
 息が止まった。ひしゃげた胃から、痛みと音のない叫びが這い上がって来て、アルベルトは、蹴られた腹をかばいながら、床に倒れる。
 折り曲げた体を、もう自分では動かすこともできず、男たちの手が、服にかかっても、痛みに耐えて、汗を流すばかりだった。
 「なんだ、これ。」
 アクセントのない、けれどジェットと同じ類いの英語が、もうひとりのヒスパニック系の男---頭に、真っ赤なバンダナを巻いている---の口からもれる。アルベルトのシャツを剥いで、少しだけ、驚きと嫌悪を含んだ声を上げた。
 「心配すんな、ただの義手だ。ちょっとばかし手触り悪いけど、害はねえよ。」
 ジェットの嗤う声が聞こえる。
 そちらに、やっとの思いで首を回すと、ぐいと、乱暴にあごをつかまれた。
 「気持ちわりい。こんな、わけわかんねえモンつけたオカマ野郎なんか、どこの誰が飼ってんだよ。」
 靴を脱がせ、下肢に手をかけながら、スキンヘッドの黒人が、吐き気をこらえる時の仕草をする。
 声は、どれも若い。ジェットと、そう年は変わらない、おそらく、同じように、路上にたむろっている連中だろうと、ぼんやりと思う。
 床から引きずり上げられ、まるで荷物のように、半裸の体を、ベッドに運ばれた。
 脱がせたシャツをロープ代わりにして、腕を背中で縛られる。
 引っ繰り返された体を引き上げられ、まず、黒人の男が、目の前に立った。
 「歯なんか立てやがったら、アゴ砕くぜ。」
 そう言えば、触れたことのない膚の色だと思いながら、アルベルトは、目を閉じた。
 喉の奥を突き始めるのに、大した時間はかからない。
 ベッドをきしませて、後ろに這い寄って来た、バンダナの男が、両脚の間を撫で回し始める。
 「アンタのために、仲間うちで、いちばんデカい連中選んで来たんだぜ。」
 ジェットが、下品な言い方をすると、男たちがいっせいに、下卑た笑い声を立てた。
 代わる代わる、男たちは、アルベルトを押さえつけ、口を使い、中に入り込んできた。
 胃の痛みが遠のくにつれ、ようやく声が出せるようになると、男たちが突き上げるたびに、アルベルトは、絞るように叫んだ。
 そんな様も、男たちの嗜虐心を誘いこそすれ、与える痛みを和らげてくれるはずもなく、彼らはいっそう乱暴に、アルベルトを侵した。
 快楽を与えるふりをした、暴力。
 与える側と、与えられる側に、信じられないほどの隔たりのある、暴力。
 暴力として認知すらせずに、彼らは、人の体を踏みにじる。
 アルベルトが、生身の右腕を持たないがゆえに、彼らが一体、アルベルトを同じ人間として、知覚しているかどうかすら、怪しかった。
 ジェットは、ベッドの傍の壁に寄りかかり、胸の前で腕を組んで、一部始終を凝視している。
 その視線を外すまいと、アルベルトは、必死でジェットの姿を追っていた。
 男たちは、もう遠慮もなく全裸になると、自分たちのせいで、血を流しているアルベルトの両脚の間に、まるで、競争のように、体液を吐き出し始めた。
 それが、背中や腹を汚し、唇も汚した。
 いつの間にか、腕の縛めは解かれ、気持ち悪いと言ったアルベルトの右手を、男たちは、もっと楽しむために使い始める。
 感覚を失くし、内側からすり切れた躯を、男たちは、さらに痛めつけ続ける。押し込まれる痛みを感じることさえ、もうなかった。
 人形のように、引かれる腕のままに、向きを変え、形を変え、可能なすべてで男たちを受け入れる。白と赤の体液が交じり、腿を伝って、シーツを汚した。
 子どもの頃には、日常だった暴力が、今、大人になっているアルベルトを侵している。
 思考は剥ぎ取られ、こんなふうに踏みつけにされることの理由を、探すことだけに必死になる。
 自分が悪いのだと、そう思わなくて、どうしてこんなことに耐えられるだろう。理由もなく、人間は、こんなふうに人を踏みにじることができるのだと、そう思うのはつらすぎる。
 自分が悪いのだと、アルベルトは、白く濁った頭の中で、ずっとつぶやき続けていた。
 ジェットも、同じことをされたのだと、そう思うだけで、もう、感覚のないはずの体の奥が、ひどく疼いた。
 屈伏させ、限界まで粉々にして、自尊心を砕く。終わった後に残るのは、人間の形の、空っぽの残骸だった。
 それを、アルベルトは知っている。それだけが日常だったアルベルトは、それがどんなに苦しいことか、知っている。
 同じ目に遭ったのだと、そう思った。
 だから。
 慰め合えばいい。抱き合って、互いの傷を、舐め合えばいい。傷を、互いに癒し合えばいい。
 グレートが、自分を癒してくれたように、アルベルトは、ジェットを癒せると思った。
 こんなことをされて、こんな姿を見られて、それでも、殺されかけて、腕を失った自分に比べれば、ジェットの受けた傷は、まだ浅いように思えた。
 もっと深く傷つけられたことのある自分だからこそ、ジェットを癒せる、救える、守れると、アルベルトは思った。
 ねじ曲げられ、男たちに蹂躙されながら、閉じた心の中で、アルベルトは必死に正気を保とうとした。
 ジェットを救いたいと、守りたいと、そう繰り返し願うことだけで、壊れそうになる自分の心を、死に物狂いで繋ぎ止めようとする。
 痛めつけられる自分を、目を細めて眺めているジェットの暗い瞳を、アルベルトは、何度も、真っ直ぐに見つめ返した。見つめながら、右腕を、空しく伸ばす。


 壊れた人形のように、とうに反応を返さなくなったアルベルトに体に、ようやく飽きたのか、男たちは、汗と体液と血にまみれた体を、やっとアルベルトから離した。
 汚れたシーツの上に、もう、指一本動かせずに横たわり、夕べ、グレートと、同じシーツの上で、優しく膚を重ねたことを、ぼんやりと思い出す。
 男たちの気配が、しばらく周囲をうろつき回った後、短く低く言葉が交わされ、まだ壁際にいるジェットを残して、ようやく静けさが戻って来る。
 静けさは、けれど重く暗く、右腕と同じほど冷えた体の上に、さらに踏みにじるように、落ちかかってくる。
 ジェットが組んでいた腕を解き、ようやく、壁から背中を離した。
 長い足を持て余すように、けれどいつもより静かに、足音を消して、傍へやって来る。
 首を曲げ、やっと視線だけジェットに向けた。
 「満足したか、アンタ。」
 吐き捨てるように、必死に、蔑みを声に込めようとして、そうしながら、語尾が震えている。軽蔑しようとして、唾を吐きかけてやりたいと思いながら、そうできず、揺れているジェットの心中が、はっきりとその声音に現れている。
 怒りに任せて、自分のしてしまったことを、視線を反らさずに直視しながら、その結果に怯えている。
 そしてまだ、アルベルトに触れたいと思う自分に驚きながら、その想いの強さに、うろたえてもいる。
 それが、手に取るように、アルベルトにはわかる。
 怒りはどこにもないと、伝えたかった。ジェットの、激しい怒りはよくわかる。だから、こんなことをした。こんな目に遭わせた。わかっているから、心配しなくてもいいと、伝えなければと、思った。
 右手を伸ばす。ちょうど、指半分の長さで、届かない位置に、ジェットがいる。空回る鉛色の手を見下ろして、けれどジェットは動かない。
 今は、こんな姿の自分に、触れたくもなければ、触れられたくもないのだろうかと、アルベルトは思った。仕方のないことだと思いながら、軽い失望に、思わず伸ばした手を握りしめる。
 「・・・そっちこそ、気がすんだのか。」
 挑発する気ではなく、強がる気でもなく、細くかすれた声を返す。声を出すだけで、叫び続けた喉がざりざりと痛み、腹と腰に、鈍く響いた。
 ジェットが、すっと目を細め、また、あの怒りに満ちた瞳で、アルベルトを見下ろす。
 ふと見ると、体の両脇にだらりと垂れた拳が、きつく握りしめられ、ぶるぶると震えていた。
 「信じらんねえな、アンタ、あんだけやられて、まだそんな口叩けるのか。」
 青冷めた頬に、うっすらと血が上がる。その頬に触れたいと、アルベルトは強烈に思った。
 口元だけで笑って見せ、目を細めた。
 「・・・言ったろう、チェーンソーで腕を切り落とされて、殺されるはずだったって。今さら、こんなことくらい-----」
 言葉の途中で、ジェットが、アルベルトの髪をつかみ、むりやり首をねじった。
 ひねった体に痛みが走り、アルベルトは、喉の奥でうめいた。
 「アンタ、ほんとうに救いようがねえな。」
 そのまま突き飛ばされ、シーツの上に、また不様に転がる。
 背骨を裂くような痛みに、思わず体をかばって、膝を胸に引き寄せる。
 痛みをやり過ごしながら、それでも首を回し、ベッドの傍に立ったままのジェットを、またアルベルトは見上げた。
 瞳の中にあるのが、いとしさだけなのだと、伝えたくて、怒りも絶望もないのだと、ジェットにそう伝えたくて、アルベルトはすがるようにジェットを見つめた。
 「いっそ、殺されちまった方がましなことだって、世の中にはあるんだぜ。」
 言いながら、ジェットが、ベッドの上に、片膝を乗せた。
 きしんで揺れたベッドの上で、ジェットが、ジーンズの前に手をかけた。
 アルベルトの目の前で、ゆっくりと、ジッパーが引き下ろされた。


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 アルベルトを置いて外へ出た途端、アパートメントの駐車場で、いきなり車の中に引きずり込まれた。
 見たこともない男たちでいっぱいの車の中で、頬や腹を殴られ、どこか大きな建物の地下へ、そのまま連れて行かれた。
 5、6人の、人相の悪い男たちに、代わる代わる散々殴られた後、いいかげん声も出なくなったジェットの傍に、あの男が立った。
 髪のない頭の、しょぼくれた風体の中年男。アルベルトの店に、ふらりと入って来て、素早く立ち去った、あの男。
 ボス。頭上で、男のひとりが、彼をそう呼ぶのが聞こえた。
 冷たい床の上で、顔をねじって彼を見上げ、それからジェットは、背筋を凍らせた。
 床よりも、痛めつけられた自分の体よりも、冷たく、凍りつくような、視線。
 瞳の色はよく見えなかったけれど、きらりと走る銀の光は、ジェットの皮膚に、容赦なく突き刺さった。
 世の中の、汚なく、惨めなところばかりを、くぐり抜けて、生き延びてきた男の瞳だと、瞬時に悟る。
 そうか、アンタか。
 怯えながら、同時に、ジェットは、かすかな親近感を覚えていた。
 同じ人間に、魅かれているのだと、魅かれてしまったのだと、そう思う、親近感。
 アンタも、アイツに、惚れてるのか。
 アルベルトを通して、ふたりは繋がっている。まるで、生き別れの双子のように。
 思わず、腕を伸ばして、すぐ傍にある、男のズボンの裾を握った。
 ざわりと、男たちがいきり立とうとするのを、彼は、あごを振って止めた。
 見上げたジェットと、見下ろす彼と、宙で視線が絡む。
 どこか、憐れむような、そんな視線を痛々しく男は投げ、その視線を受け止めて、ジェットは思わずふっと微笑んだ。
 まるで、久しぶりに会った、古い友人に向けるような、小さな笑みを、男に送った。
 男は、その笑みを受け取ってから、足を振って、ジェットの手を外し、1歩後ろへ下がった。
 それから、静かに取り出した煙草に火をつけ、煙を吐き出しながら、やれ、と一言短く言った。
 利き腕はどちらだと、男たちのひとりに尋かれ、素直に、左だと答えた途端、右腕をへし折られた。
 その後は、殴られ続けて痛む体を、押さえつけられ、引き裂くように犯された。
 男にされる強姦に、経験はなく、男たちは、何の容赦もなく、ただ言われた通りに、ジェットの体を引き裂き続けた。
 ボスと呼ばれた男は、身じろぎもせず、目も反らさず、静かな冷たい目で、目の前の光景を眺めていた。
 のしかかられて、押し潰されているジェットの、細い体からもれる悲鳴など、聞こえもしない表情で、一言も発さずに、煙草をくゆらしていた。
 一体、何度そうやって犯されたのか、どれほど長く、踏みにじられていたのか、もがいて床を引っかいた、左手の指先は、爪が割れ、血が流れ始めていた。
 その指先に、力がなくなり、そこから流れる血も乾き、折られた右腕にすら、痛みを感じなくなった頃、ようやく体から、他の人間の重みと形が離れ、ジェットは思わず、床の上で体を伸ばして息を吐いた。
 殺されるのかもしれないと、初めて思った。思って、もう、恐怖すらないほど、体中が、外側も内側も痛めつけられていた。
 顔を動かし、まるで、つくりもののように、そこから半歩すら動いていないように見える、男をまた見上げる。
 弱々しく視線を送ると、今度は男は、不様にそれを受け止め損ねて、初めて動揺を、口元に刷いた。
 煙草を持つ指が、かすかに震えたのが見えた。
 どうしたのだろうかと、そう思った瞬間には、男はまた静かな無表情を取り戻して、煙草を床に落とし、よく磨かれた、光る革靴の先で、執拗に踏み潰した。
 踏み潰しながら、あごをしゃくった。
 くたりと脱力した体を、数人の手で引き起こされ、また同じことが始まるのかと、縮めようとした手足を、がっしりとつかまれる。
 ひとりずつに、腕をつかまれ、別のひとりずつが、足を開いて、押さえつけた。
 床に、手足を開いた形で坐らされ、首に、誰かの太い腕が回った。
 引き裂かれて、血まみれになった脚の間が、少し体を動かすだけで、頭まで響くほど痛む。
 抵抗もできず、男たちの腕にいましめられて、何が起こるのだろうかと、ジェットはぼんやりと思った。
 このまま、今度は首でも折られるのだろうかと思った時、背後からやって来た別の男が、ジェットの前にしゃがみ込んだ。
 男たちの腕に、いっそう力がこもる。
 ぼやけた視線が、その男の手に握られたナイフを認め、それから、男が、空いた手でジェットの、大きく開かされた脚の間に触れた時、ジェットは、瞬時に、何が起こるのか、悟った。
 悟っても、暴れる力もなく、散々悲鳴と一緒に流し尽くしたはずの涙が、また、知らずに流れ始めた。
 男の手の中に握られたそれに、ナイフがあてがわれ、続く焼けつくような痛みに、視界が真っ赤に染まった。
 耳を裂くような悲鳴を、上げたと思ったけれど、それから先のことは、憶えていない。


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 そこには、何もなかった。まるで隠しているように、あるのはただ、醜く引きつれた皮膚の、奇妙に光る表面だけで、明らかに酷く奪い去られた跡を、無残に晒すだけだった。
 アルベルトは、声と色を失い、一瞬、呼吸を忘れた。
 ジェットは、それを、充分に見せつけた後で、またゆっくりと、ジーンズの前を閉めた。
 「腕失くした方が、マシだったかもしれないぜ。」
 ジェットの動きが、ひとコマひとコマ、まるで、スローモーションの映画のように、ぎくしゃくと流れる。
 それを、一瞬遅れて追いながら、アルベルトは、まだ、諦めきれずに、ジェットに向かって、腕を伸ばそうとした。
 ジェットの動きが、ほんの一時、止まる。止まって、アルベルトと、その伸ばされた右腕を交互に見て、それから、ゆっくりと目を伏せた。
 そのまま、それきり何も言わず、ジェットは静かに部屋を横切って、二度と振り返らないまま、アパートメントのドアの向こうに姿を消した。
 伸ばした腕を、ようやく胸に引き寄せ、汚れたシーツの上に、汚れた体を縮めて、アルベルトは泣いた。声を放って、泣き続けた。