路地裏の少年


11) 安堵

 夜明け間近に、ジェットが手を伸ばしてきた。
 指先の動きに目を覚まし、背中に、ぴったりと胸を添わせているジェットに、まだ半分しか開かない目のまま、振り返る。
 「何、してるんだ。」
 ジェットが、肩をすくめる。手の動きは、止めずに。
 「・・・・・・触っててもいいか? アンタが、いやじゃなかったら。」
 眠っていたはずの体は、ジェットに触れられて、すっかり目を覚ましている。
 毛布を持ち上げて、またゆっくりと硬さを増してゆく自分のペニスを、アルベルトはおかしげに眺めた。
 ジェットの手をそっと外し、アルベルトは、寝返りを打って、ジェットと向き合った。
 額に唇を当て、それから、するりと下へ滑らせる。
 頬から唇に触れ、その間に、ジェットの腰に腕を回した。
 「キミも、勃ってる。」
 「・・・・・・だって、オレ、アンタに触ってると、気持ちいいもん。」
 囁くように、唇の間でつぶやく。
 ペニスが触れ合うように、ジェットが、体の位置をずらした。
 「そうだな、俺も、気持ちいい。」
 素直に、そう、言葉が滑り出た。
 まだ、頭のどこかが眠っているのかもしれないと、思う。こんなことを、こんなふうに言えるなんて。
 ジェットの頬を引き寄せて、また唇を重ねた。
 ジェットが足を絡めてくるのを、好きにさせながら、アルベルトは、ジェットの柔らかな舌を探る。
 呼吸が行き交い、また、湿りを帯びる。
 少しずつ明るくなる部屋の中で、そんなふうに触れ合いながら、まだどこかに眠りの漂う感覚を、ふたりは楽しんでいる。
 「オレのに、入れたい?」
 いや、と目を閉じたまま、アルベルトは答えた。
 「このままでいい。」
 「口でやってほしい?」
 くすりと笑って、アルベルトがまた首を振る。
 ジェットが、手の動きをゆるめ、アルベルトの背中を抱いた。
 「アンタ、あんまりオレの体、好きじゃないのか・・・?」
 「どうしてそう思う?」
 「アンタ、オレとやってても、あんまり入れたがらないし、口でやるのも好きじゃないだろ? オレ、あんまりよくないか?」
 ジェットの頭を胸に引き寄せて、少し強く抱きしめた。
 「キミは、俺が入れて、気持ちがいいのか?」
 ジェットが、困ったように額を胸にすりつけてきた。
 「そりゃ、イクほど気持ちいいわけじゃないけど、まだ、でも、アンタが中に入ってる感じは、好きだ。」
 「痛いだろう?」
 「でも、アンタならいい。アンタ別に、ひどくもしないし。」
 「俺は、キミが痛いのが、いやなんだ。」
 「じゃあ、フェラは?」
 「・・・・・・キミだけに、してもらうのに、悪い気がする。」
 ジェットが顔を上げ、小さな声で言った。
 「じゃあ、アンタが、オレにしてみる?」
 アルベルトが、今度は黙る番だった。
 ジェットが、おとなしく---そしておかしそうに---、アルベルトの答えを待った。
 「・・・・・・もっともな、意見だな。」
 くすくすと、ジェットが笑い出す。
 「ムリすんなって。アンタがそんなことしたがるなんて、思ってないからさ。」
 アルベルトは、それ以上何も言えずに、赤くなって黙り込んだ。
 「いいよ、別に、アンタがオレにしたいこと、すればいい。」
 「じゃあ、キミがしてほしいことは?」
 切り返すように、アルベルトは尋いた。今度は、ジェットが考え込む。
 過去に起こったことを、思い出しているのだと、目の辺りの動きでわかる。
 震えるまつ毛が、胸の皮膚をくすぐった。
 「オレは・・・・・・アンタがキスしてくれて、アンタのコック入れてくれたら、それでいい。アンタがそれで、オレのことイカせてくれたら、もっといい。」
 「イカせる?」
 ジェットの使った言葉がわからなくて、アルベルトは口移しに繰り返した。
 「イカせるって、出すんだよ、わかるだろ?」
 言いながらペニスに触れられて、ああ、とアルベルトは合点が行った。
 「大学じゃ、誰も使わない言い方だな。」
 「どうせ誰も、fuckなんて言わないんだろ、あんなとこ。」
 「カフェテリアで、聞いたことは、ある。」
 「じゃあ、オレが、アンタに、fuckしてほしいって言ったら、意味わかるか?」
 アルベルトは、黙った。
 ジェットが、肩口に、苦笑をこぼした。
 「・・・わかんなくていいよ。アンタとするのは、fuckじゃない方が、オレもいい。」
 ジェットが腰をかすかによじって、腰骨の辺りで、アルベルトのペニスにまた触れる。
 「じゃあ、キミと俺がしてるのは、何だ?」
 ジェットがいきなり、照れたように笑った。笑いながら、体をアルベルトにすりつけ、そして、頬に掌を重ねて、ゆっくりと唇に触れる。
 「笑うなよ・・・・・・オレとアンタがしてるのは、fuckじゃなくて・・・・・・make loveだろ?」
 「・・・・・・違いは、何となく、わかる。」
 真面目な顔でそう言うと、ジェットが弾けるように笑った。
 「アンタがオレをfuckしたいなら、それはそれでいいよ。でもオレは、アンタとmake loveしたい。」
 「fuckの定義が、よくわからない。」
 ドイツ語の、硬いFの発音でそう言うと、その汚いはずの言葉は、何となく別の意味の言葉に聞こえる。
 ジェットは、唇を軽く触れ合わせながら、息を吹きかけるように、細い声で言った。
 「知らなくていいよ。今は、知らなくてもいい。」
 目を細めたジェットの表情を間近に見て、アルベルトは、ふと胸を騒めかせる。
 ジェットに、触れたいと思って、そんな自分に戸惑った。
 右手を伸ばして、冷たさでジェットを驚かさないように気をつけながら、ジェットの、まだ少し硬さを残したペニスに触れる。
 一瞬だけ、腰を引くような仕草をしてから、ジェットが、深いため息をこぼして、もっと強く体を押しつけてくる。
 「痛くなかったら、アンタ、オレに入れるの、好きか? オレに入れて、気持ちいいか?」
 囁くように、ジェットが訊いた。
 うっすらと、もやのかかったようなジェットの表情を目の前に、アルベルトは、ゆっくりと自分のペニスが勃ち上がるのを感じた。
 ジェットに触れてほしいと思ってから、ゆるゆるとジェットの問いに答える。
 「・・・・・・ああ、気持ちいい。」
 開いた唇に、ジェットの舌が触れる。
 make loveと、その舌の動きを楽しみながら思った。


 シリアルを食べ終わって、食器をシンクに置いてから、ジェットは、紅茶を飲みながら、今日の授業のためのノートを読み返しているアルベルトに向かって、ひどく思い詰めた表情で言った。
 「オレ、ずっと考えてたんだけど。」
 ノートから顔を上げ、シンクにもたれてこちらを見ているジェットに、視線を移す。
 「オレ、検査、受けようかと、思って。」
 「検査? 体の調子でも悪いのか?」
 怪訝そうに目を細めると、ジェットが、眉の間にしわを寄せて、口ごもってから、続きを口にした。
 「エイズと、性病の検査。受けといた方が、いいだろう。もう、オレだけのことじゃないし。」
 何度か瞬きをして、アルベルトは表情を変えずに、そうだな、と何事でもないように、言った。
 「アンタとやった後で、検査受けても遅いんだろうけど、それでも、アンタに対する礼儀だと、思うし。」
 相手に対する礼儀だと言う言い方は、正しい。けれどそれが、14歳の少年の口から出る言葉だということは、どうしても腑に落ちない。
 ジェットが、彼自身とアルベルトに対して、正直に真摯になろうとする時に、その背後に見える現実の救いようのなさが、アルベルトを憤らせる。
 大学に通うだけでは見えない現実が、目の前にある。
 ジェットの現実を、いつか変えることができるのだろうかと、アルベルトはふと思った。
 「俺も、検査を受けた方が良さそうだな。」
 思わず、ぽつりと言葉がこぼれた。
 一瞬の間を置いて、ジェットが口を開く。
 「今受けたって、感染してるかどうか、わかんないぜ、まだ。」
 自嘲に、頬の辺りが歪んで見えた。
 それを見て、アルベルトは、真面目な口調でジェットに言葉を返す。
 「いや、キミからじゃなくて、俺からキミに、だ。言ったろう、俺も、何を体の中に抱え込んでるかわからないんだ。だから、検査して調べてもらうのは、キミに対する礼儀だろう。」
 ジェットが使ったと同じ言葉でそう言って、アルベルトは、うっすらと微笑んで見せる。
 それに、ふと安堵したような笑みを返して、ジェットは、テーブルの傍からかばんを取り上げた。
 「学校の帰りに、クリニックに寄って来るから、今日は遅くなる。」
 そう言ったジェットに、ああ、とうなずいてから、ドアへ向かうジェットの後を、アルベルトも追った。
 ドアを開けたジェットに追いついて、肩越しに振り返ったジェットに、自分からキスをする。
 「今夜は、下で、チャイニーズにするか?」
 「・・・今夜は、パスタの気分だなあ。」
 おどけて言ったジェットに、アルベルトは大きな笑みを返した。
 「考えとこう。」
 ジェットの唇がもう一度触れ、それから、階段に向かって、もう振り返らずに走り出す。


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 アルベルトは、いくつかの検査を、時間をかけて受ける羽目になった。
 かかりつけの医者のいないアルベルトは、気億劫に感じながらも、大学の保健室へ検査の相談を持ちかけるしかなく、その日担当だった医者が、アルベルトの話を聞きながら、おそらく必要と思われる検査のリストを作ってくれた。
 何種類かの血液検査、内臓の機能検査、脳のスキャン、全身のスキャン、脳波のチェック、レントゲン・・・見ただけでうんざりするような文字の羅列に、隠しもせずに顔をしかめ、そのアルベルトに向かって、医者が苦笑する。
 ダウンタウンの総合病院に行けば、そこで全部やってくれると言われ、授業の時間を避けて予約を入れると、全部終えるのに、2週間かかる計算になった。
 アルベルトの検査が半分が終わった頃に、ジェットは、性病検査の結果がすべてクリーンだったと連絡を受け、ふたりでその夜、街の東側にある、イタリアンレストランに行った。
 祝うべきことではなかったのかもしれないけれど、少なくとも、肩の荷が少し下りたという表情のジェットに、良かったなと伝えるのに、そんな方法しか思い浮かばず、自分のために、気の進まない検査を受ける気になったのだと思えば、どうしても、感謝の気持ちだけは示しておきたかった。
 砕いたベーコンと、大粒の胡椒が入ったクリームソースのパスタを頬ばって、うれしそうに食事をするジェットを見ていると、少しずつジェットが、年相応の少年らしさを取り戻しているようで、微力ながらもそれに手を貸したのだと思って、アルベルトはこっそりと、自分に対して胸を張りたい気分になる。
 山羊のチーズの入った、くせの強いオイルのソースをパスタに絡めながら、残りの検査の数を、頭の中で数えた。
 それからさらに一週間経って、アルベルトがいくつかの検査の結果---今のところ、すべてに、異常らしい異常はない---を受け取った頃、ジェットの、エイズ検査の結果が出た。
 クリニックには行かずに、指定された電話番号に、検査の時に与えられた暗証番号を打ち込めば、匿名のままで結果を知らせてくれると言われ、ひどく固い表情で電話の傍に立ったジェットのすぐ後ろで、アルベルトは、その電話番号をゆっくりと押すジェットの指先を、少しばかり緊張したまま、眺めていた。
 ほんの数分のことだったけれど、ジェットは無言のまま、電話の向こうの声を聞き、うつむいた首筋が、いつもより青白く見える。
 その肩に、手を置こうかどうか迷っているうちに、電話は終わった。
 ジェットが振り向いて、上目にアルベルトを見てから、電話番号と暗証番号の書いてある紙を、手の中でくしゃっと丸め、それを、宙に放り投げる。
 「シロだった。オレ、大丈夫だった!」
 言うなり、アルベルトに、飛びついてくる。
 弾みでよろけ、ふたり一緒に床に倒れながら、アルベルトは、慌ててジェットの腰に腕を回した。
 上半身だけでジェットを支えるアルベルトに、ジェットは心底うれしそうに、はしゃぎながらキスを浴びせる。
 「これでオレ、心配せずにアンタとやれる。」
 床に押し倒された形で、自分の上に乗ったジェットに、アルベルトは思わず苦笑をこぼした。
 「とりあえず、キミの方の心配は、終わったわけだ。」
 「アンタの心配なんか、オレしてねえもん。アンタがどんな病気持ってても、オレは気にしない。オレが、アンタ以外の誰とも寝なきゃいいだけの話だろ? オレだけに伝染るんなら、オレは別にいい。」
 そう、一気に言ったジェットを、思わず驚きとともに見つめて、それからアルベルトは、床に頭の後ろをこつんとぶつけ、目の上に、右腕をかぶせた。
 稚なさゆえの、怖いもの知らずではあったけれど、恐ろしいほどの、ジェットの真摯さだった。
 同じことを考えたのだと、ジェットに言おうかと、ふと思った。
 もし、ジェットの検査の結果が陽性でも、他の誰とも接触しなければ、感染はふたりの間だけのことになる。自分が感染する恐れがあるだけなら、それは別にかまわないと、ジェットに言うつもりだった。もし、検査の結果が陽性だったなら。
 自分の、残りの検査の結果も、おそらく異常なしと出るだろうと、根拠もなく、アルベルトは思った。
 ジェットが、右腕に触れて、ゆっくりとそこから取り上げる。
 そこにあるかもしれない涙を見られるのがいやで、アルベルトは目を閉じたまま、顔を横に向ける。
 ジェットの指が頬に触れ、それから、唇が触れた。
 「アンタとやりたい。」
 「ここで?」
 思わず肩を浮かせて、そう聞き返す。
 「どこでもいいよ。」
 ジェットが、にいっと笑う。
 「アンタの、舐めたい。アンタがいやじゃなかったら、アンタのこと、口でイカせて、ついでに飲んじまいたい。」
 ジェットの言っていることは、よくわからなかったけれど、今日は、何でもジェットの好きにさせようと思いながら、ジェットの頭を引き寄せた。make loveと、アルベルトは思った。
 小さな笑いが、互いの重なった唇から、くつくつとこぼれる。
 部屋には、明るさが満ちていた。暖かな、午後だった。