路地裏の少年
3) 帰る
まるで、出来心で拾った野良猫に、つい居つかれてしまったように、ジェットは出て行く様子も見せず、アルベルトも出て行けとも言わず、そのまま時間が過ぎてしまっていた。
ベッドルーム以外は、少しばかり大きめのリビングとキッチンがあるだけの、ひとり暮らし用のアパートメントに、ジェットはいつも薄い肩をすぼめるようにして、アルベルトの邪魔になるのを、恐れるように、静かにいた。
アルベルトの服を着て---大きな長袖のシャツを、いつも引きずるようにして---、一日ソファに坐り、アルベルトが帰るのを待っている。
ドアを開ければ、おかえりと、はにかんだような表情で、いつも迎えてくれた。
余計なことは一切言わず、余計なことは一切訊かず、求められた会話だけを、最少限口にする。
それでも、淡い緑の瞳は、いつも物言いたげに、アルベルトに向けられていた。
まるであちらが透けて見えそうに、ジェットは、ひどく儚く見える。
真っ赤な髪は、持ち主のそんな気配にも関わらず、アルベルトの殺風景な部屋を、奇妙に明るくしてくれていたけれど。
ジェットの、そんな細い肩を見続けて、2週間経ってから、アルベルトは、ようやくジェットと話をする決心をした。
張大人の店からもらって来た、あまり甘くない中国菓子をテーブルに並べ、紅茶をいれる。
卵の、甘い匂いのするその中国菓子は、アルベルトのお気に入りで、ジェットには甘みが足りないらしかったけれど、はっきりと文句も言わず---美味とは、甘みではないと、知る練習になる---、育ち盛りの子どもらしく、出されたものには、遠慮しながらも、手を伸ばす。
テーブルにつく前に、アルベルトに言われた通り、手を洗って、ジェットは早速、その丸く平たい形の菓子を頬ばった。
何かを食べている時だけは、子どもの顔に戻る。瞳の暗さが、最初に較べれば薄くなっているのに、アルベルトは気づいていた。
肩先も、もう警戒が消えて、すっかりやわらいでいる。
アルベルトが、ろくでもない目的でジェットと拾ったのではないと、今はわかっているらしいと、アルベルトは口には出さずに思っていた。
さて、どこから話を切り出そうか。
もう、菓子を盛った皿の半分を空にして、抱えたマグ越しに、ジェットがアルベルトを上目に見た。
どうしたんだと、その瞳が言っていた。
黒の革手袋をした右手を、テーブルの下の自分の膝に上に置き、真っ直ぐにジェットを見て、アルベルトはうっすらと微笑んで見せる。
「ここに、ずっといたいか?」
空気が、さっと硬張った。
「・・・オレ、行かなきゃいけないのか?」
「そんなことは言ってない。」
微笑みを崩さず、アルベルトは穏やかに言い返した。
「キミが、ここにいたいのかどうか、訊いてるんだ。」
ジェットはマグを置くと、両手をテーブルの下に下げ、肩に首を埋めるように顔を伏せた。
「・・・アンタは、オレがいると、迷惑なのか?」
迷惑に決まっているけれど、迷惑だとはっきり言われれば傷つく、と言葉の終わりに、そんな意味合いが読み取れる口調だった。
アルベルトは思わず苦笑して、軽く首を振った。
「俺のことはどうでもいい。俺は、キミが、ここにいたいのかどうか、訊いてるんだ。」
ようやくジェットが、少しだけ顔を上げ、上目に盗むようにアルベルトを見て、オレは、と小さな声で言った。
「・・・ここに、いたい。」
わかった、と真面目な表情をつくって、アルベルトはしっかりとうなずいて見せる。
「じゃあ、ちゃんと話をしよう。」
「・・・・・・・はなし?」
声がもっと小さくなる。
「キミ、いくつだ?」
ジェットが、軽く唇を突き出して、一瞬思案する顔つきになった。
3つ数えた頃、
「じゅう、よん。」
ラテン語の、見知らぬ単語でも発音するように、すねた声でジェットが答えた。
今まで、ジェットの身元を探るような質問は、したことがなかった。身元調査をされるのは苦手な分、するのも苦手だった。なるべく、尋問口調にならないように気をつけながら、アルベルトは次の質問をした。
「キミの、両親の家は?」
「街の、北の方。母さんと、義理の親父が住んでる。」
離婚家庭。よくある話だ。
次の台詞を言うのに、アルベルトはたっぷり2分ほど、黙ってジェットを見つめていた。
「・・・一度、家に帰った方がいい。」
途端に、ジェットが、テーブルを、両の拳で思い切り叩いた。
マグがテーブルから浮くほどの勢いで、アルベルトは思わず肩を引いて、腰を椅子から浮かせていた。
「アンタも---アンタもオレを追い出すんだ。オレがいらないなら、そう言えばいいだろう。遠回しに、出て行けなんて言うな!」
また、緑の瞳が、暗く燃えている。
違う、と思わずアルベルトは声を高くした。
「追い出すなんて、言ってない。一度家に帰れと、言ってるだけだろう。」
「同じじゃないか、ここにいるなって、そう言ってる!」
肩を回して、ジェットはベッドルームへ駆け込もうとした。その肩をつかんで---思わず、右手で---、アルベルトは、ジェットを止めた。
「まだ、話は終わってない。」
声を低めて、けれど威圧的にならないように注意深く、アルベルトはジェットに、また椅子に腰かけるように視線で促した。
それに逆らおうと、肩を動かしたジェットに、
「ジェット。」
名前を、静かに低く呼んだ。
アルベルトの手を払い、ジェットはふてくされたように、すとんと体を椅子に落とすと、下唇を噛んだ横顔を、アルベルトに見せた。
両手を突き出し、数を数える仕草をすると、アルベルトは、呼吸を整えてから、また口を開いた。
「ひとつ、キミがここに住むなら、保護者の許可がいる。俺は多分、キミの両親に会わなきゃならないだろう。ふたつ、キミは、学校へ戻る。そのために、またキミの両親の許可がいる。みっつ、キミが、家に残してきた身の回りのものを、ここに運んで来なきゃならない。だから、一度家に戻れと言ってるんだ。」
授業中に、教授に話しかける時と同じ口調で、アルベルトは真っ直ぐジェットを見つめたまま、それだけ一気に言った。
ジェットは、それでもまだ唇を突き出したまま、ゆっくりと正面を向く。
じゃあ、とジェットは、震える声で言った。
「ここに、すぐ戻って来ても、いいのか?」
もちろん、と抑えた声音で言って、アルベルトはうなずいて見せた。
「話さえ、つけば。キミの両親に、誘拐罪で訴えられなきゃ、それでいい。」
「・・・オレが誰とどこにいようと、気になんかするもんか、あんな連中。」
吐き捨てるように、ジェットが言った。
「オレが、どっかのジジイに飼われてるって言っても、みんなに知られなきゃいい、勝手にしろって、そう言うに決まってるんだ。」
こんなによくしゃべるジェットは、最初の夜以来だった。吐き出す言葉は、どれも毒にまみれていて、そして、痛々しく事実だった。
親なら、絶対に子どもを大事に思うはずだと思う、世界はその程度にまだ優しいと信じたいアルベルトと、子どものことなんか、毛ほども気にかけない親もいると言う現実を知っているアルベルトと、両方の声が、同時に聞こえる。
世界は、この街は少なくとも、アルベルト信じているほど優しくはない。そしてアルベルトは、そのことをちゃんと知っている。
「それでも、キミの親なんだ。」
ジェットに言い聞かせるよりも、まるで独り言のように、アルベルトは言った。
「知ってるよ。」
ジェットが、硬い横顔を見せて、短く言い捨てた。
その夜、いつものように---ジェットが、ここに来て以来---、アルベルトがソファで寝ようとすると、ジェットがそれを止めた。
「今夜は、オレがここで寝るよ。アンタのベッドなんだからさ。」
そんなこと、とアルベルトが、ジェットにかまわずソファで寝ようとすると、ジェットが、アルベルトの右腕をつかんだ。
束の間、アルベルトが体の動きを止めて、自分の右腕を見下ろして、頬の辺りを引きつらせた。
ジェットは、シャツの下の感触が、奇妙なことに気づいたらしく、それでも、アルベルトを見ただけで何も言わず、おとなしく手を離す。
まだ、革の手袋をしたままのその手を、上目に見ながら、ジェットは自分の両手を、背中の後ろに隠した。
「ごめん・・・。」
明らかに、アルベルトが、その右手---あるいは右腕---について、一切何を言う気もないのだと、語られずにわかっているらしく、ジェットは素直に申しわけなさそうな顔をする。
右腕を自分の方へ引き寄せて、アルベルトは、少しだけ笑って見せた。
左手で、ジェットの頭を撫でてやり、怒ってないから、と言ってやる。
「ごめんなさい・・・。」
重ねて言うジェットは、泣き出しそうに見えた。
「いいから、謝る必要なんて、ないんだ。」
これ以上、ジェットとこうしているのがいたたまれなくて、アルベルトは、ソファに、毛布と枕を残すと、もう一度にっこり笑って見せてから、ベッドルームへ向かう素振りを見せる。
「お言葉に甘えて、今夜はあっちで寝るよ。おやすみ。」
「おやすみ。」
ジェットが、細い声で言った。
ジェットには振り返らずに、アルベルトはベッドルームへ入って、ドアを閉めた。
ジェットが来てから、この部屋には、なるべく入らないようにしていた。散らかすなら、別にそれでもいいさと、半ばなげやりに思っていたし、何か壊されていれば、路上で拾った子どもを家に連れ帰った、非常識な自分に対する罰だと、心のどこかで思っていたので。
部屋は、人がいた気配も薄く、ベッドは、ジェットが整えたのだろう、あちこち不備は見えたけれど、散らかっている印象はなかった。
それを少し意外に思いながら、久しぶりに、自分のベッドに触れる。明日からしばらく、少なくとも、しばらく、ここでまた眠るのだとそう思った。ジェットは、もしかすると、戻って来ないのかもしれないけれど。
その方がいいのだ。見知らぬ、どこの馬の骨ともわからない他人と暮らすくらいなら、どんな親だろうと、親と一緒にいる方が、正しいのだ。良いのではなく、正しい。
その正しさが、明らかにジェットを傷つけているのだろうとしても。
少なくとも、まともな親なら、赤の他人が突然やって来て、あなたの、14歳の息子さんと一緒に暮らしますと言えば、気狂い扱いで警察に通報するに違いない。その方がいい、とアルベルトは思った。
ジェットがどんなふうに親のことを言おうと、結局は親なのだから、不意の闖入者を警戒して、ジェットを手元に置いてくれるだろうと、アルベルトは思いたかった。
ジェットを邪魔にしているのではなく、アルベルトはただ、正しいことをしようとしているだけだった。良いことではなく、正しいことを。
ようやく眠る気になり、アルベルトは、やっと手袋を外すと、ベッドに横になって、静かに目を閉じた。
何時間経ったのか、肩に触れられ、うっすらと目を覚ました。
声は背後から降って来て、アルベルトはそちらに、軽く首を回した。
「ここで、寝てもいいか?」
小さな、闇に浮かぶ輪郭。声だけが、聞こえた。
まだ、半ば眠ったまま、アルベルトはそれ以上考えもせず、まるで夢の中の続きのように、ああ、と簡単に言って、また目を閉じる。
小さな人影は、ベッドを揺らさないように、そっと体を滑り込ませ、ベッドのいちばん端に添うように、体を縮めた。
ああ、ジェットかと、すぐには眠りに戻れず、さっきよりももっと目を覚まして、アルベルトは思う。
声をかけることもせず、そのまま、また眠ってしまったふりをした。
ジェットが、しばらくしてから、そっと寝返りを打ち、静かにアルベルトの背中に、寄り添って来る。
ふと、体が硬張る。
何をするつもりだろうかと、一瞬にして、完全に目が覚めた。
ジェットの息が、背中にかかる。額をすりつけているのが、着ているパジャマに微かな音を立てる。
それからジェットは、ゆっくりと手を伸ばして、アルベルトの右手に触れた。
体の横に伸ばして、今は毛布の下で剥き出しになっている、アルベルトの右手に触れた。
手の甲で、指先が、すくんだように少し止まる。
心臓が、どくどくと鳴っていた。それは一体、手に触れているジェットにもわかるだろうかと、唇を噛んで、アルベルトは思った。
ジェットの指先は、そこからまたゆっくりと進み、掌---アルベルトよりも、まだ小さい---をその手の甲に重ね、指の間に、そっと自分の指を滑らせた。
ジェットは今、何を考えているのだろう。
冷たい手。その手は、一生暖かくはならない。滑らかな、けれどゴツゴツとした表面。それは、皮膚ではなく金属だったので。
手だけではなく、腕と、右肩、それから、胸の右の部分がほとんど。
鉛色の、機械。それは体の部分ではなく、部品だった。
今はもう、誰もアルベルトの右腕のことを知らない。この腕を造って、装着した連中が、一体生きているのかどうかさえ、疑わしい。彼らは恐らく死に---多分、穏やかではない死に方だったろう---、アルベルトはここで、ひとりでひっそりと生きている。まるで、隠れるようにして。
この体を恥じて、この腕にまつわる自分の過去を激しく憎んで、アルベルトは、今も傷ついている。新しい傷が、ふとした拍子に生まれる。いつも。
ジェットはここへは戻って来ないかもしれないと、アルベルトは唐突に思った。
この右手のことを知った今、ジェットは気味悪がって、アルベルトに会いたいとさえ、もう思わないかもしれない。
期待してた通りだ。自虐をこめて、アルベルトはそう思った。
いつ、手を離して、また、来た時と同じ静かさでベッドを出て行くのだろうかと、アルベルトはジェットの気配を見守っている。
ジェットの手は、一向にそこから動く様子もなく、けれどジェットが寝入ったわけではないのが、背中越しに伝わっている。
ジェットの指が折り曲げられ、アルベルトの手を、強く握った。
それは、誰かに思いを伝える時にする、握り方に似ていた。アルベルトは、そう感じた。
ジェットの、自分のよりも小さく、薄く、細い手を、アルベルトは同じ強さで握り返した。
この手で、誰かの手を握ったのは、そう言えば初めてだと思いながら、アルベルトは、もう何も考えずに、また眠るために目を閉じた。
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翌日の夕方、大学から戻って来ると、アルベルトはジェットを車に乗せ、ジェットの親の家へ向かった。
アルベルトのところへ来て以来、張大人---アルベルトの家主---のチャイニーズを食べに、下へ行く時以外には、アルベルトが知る限り、ジェットが外へ出るのはこれが初めてだった。
ジェットは無言で、拾った夜と同じようなうつろな表情で、流れる外の景色を、ぼんやりと眺めていた。
北へ、街を上がれば、少しずつ家の数が減り、家の大きさが、大きくなってゆく。緑が増え、道路を走る車は、値段の高いものが目立つようになり、路上に駐車された車の数も、道を歩く人の数も、どんどん減ってゆく。
金持ちの住む辺りだ。
ダウンタウンの、ごみごみした雰囲気と、これが同じ街だとは信じられないほど、静かで、どこも手入れが行き届いている。
ふと、懐かしさが、アルベルトの胸を一瞬よぎった。
思わず、苦笑がもれる。
まだ、覚えてるのか。
恐らく、忘れることはないのだろうけれど。
この辺りの地理にはうとく、アルベルトは、何度か助手席のジェットに、方向を尋ねた。
「この道、ずっとまっすぐ。道が終わったら、右。」
素っ気なく、つまらなそうに、ジェットが、フロントガラスを指差して言った。
言われた通りに走りながら、空が少しずつ薄暗くなり、街灯に明かりがともる。ジェットの家は、街の北の、いちばん外れに近い辺りらしかった。
学校が見え、小さなショッピングモールを、いくつか通り過ぎた。ぽつんぽつんと、たまにある古い煉瓦の建物をのぞけば、どれもこれも、新しい大きな家ばかりになる。
車でなら15分か20分、そのくらいの距離だろうと踏んだ。
ジェットに言われた通り、突き当たりを右に曲がると、また道の終わりで、ジェットが左、と言った。
そこから、ゆるく道がカーブしている辺りを通り過ぎてすぐ、ジェットが、フロントガラスの前に指を突き出して、
「そこ、左。まっすぐ進んで、つきあたりの家。」
人気のない、明らかに新しく作られた道だった。似たような家が並び、広いドライブウェイには、どの家も、少なくとも2台車が駐まっている。
どの車も、芝生も、ぴかぴかに光って、どういう人種が住んでいる辺りかを、明確に示していた。
ジェットに示された家の前に、静かに車を乗り入れ、ブレーキを踏む。それから、車のキーを抜いた。
ジェットは、アルベルトが買った服を身につけ、髪もちゃんととかして、少なくとも、路上からここへ直接来たのではないとわかる格好をしている。
ジェットを振り返って、アルベルトは、薄く微笑んだ。
「もし、キミの両親が、俺に会いたいなら、ここに会いに来る。身分証明だとか履歴書だとか、必要なら持って来る。警察に電話して、俺の犯罪歴を調べたいなら、調べてくれればいい。キミが、俺のところで暮らすのに、キミの両親が意義がないなら、それでいい。」
上着のポケットから、白い封筒を取り出して、アルベルトは、ふてくされたように見えるジェットに手渡した。
「手紙が入ってる。簡単な自己紹介と、俺の住所と、電話番号と、大学の教授の連絡先が書いてある。それをキミの両親に見せて、もっと俺のことを調べたいなら、ご自由に。そう言えばいい。」
それから、と、今度は小さな紙片を、同じポケットから取り出した。
「これは、キミ用に、俺の住所と、電話番号と、それから、張大人の店の電話番号。学校にいる時以外は、それで連絡がつく。」
そう言って、そのメモと、20ドル紙幣を、一緒に手渡した。
「何かあって、俺に連絡がつかなければ、張大人の店に来ればいい。頼むから、夜遅く、ダウンタウンをうろつこうなんて思わないでくれ。」
ジェットは、渡された紙と金と、アルベルトを何度も交互に見た。
それから、うん、と小さくうなずいて、アルベルトをもう見ずに、車のドアを開けた。
渡されたものを、ジーンズのポケットに入れ、車の外で、じっとアルベルトを見つめてから、ジェットは、家の玄関に向かって、足を引きずるように歩き始めた。
ふと、半ばで足を止め、振り返り、ジェットは突然走って車に戻って来る。
運転席の窓を下ろして、アルベルトは何事かと、顔を突き出した。
はあ、と大きく息を吐いて、ジェットは、真っ直ぐにアルベルトを見つめた。
「アンタの、右手のこと、いつか、訊いてもいいか?」
一瞬、視線が泳ぐ。軽い動揺の後、なぜかアルベルトを襲ったのは、眩暈に似た、うれしさだった。
「------ああ、もちろん。」
声が、少しだけ、震えた。
ジェットは、一瞬、崩れるような笑顔を見せて、また背を向け、走って玄関へ向かった。
乱暴な仕草でドアを開け、振り返らずに中へ入る。
5分間、何も起こらないのを見届けてから、アルベルトはまた、車のキーを差し込んだ。
初夏に近いある日の、もう夜に近い時間だった。
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