〜 More Than Words 〜
A
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みの字
腕が離れるのと一緒に、体も遠ざかってゆく。その短い間に、ふたつの視線が絡み合った。
ひと息にも満たない時間が永遠にも思われて、けれど次の瞬間にはハインリヒはもう前方へ向き直り、敵の方へ右腕を突き出している。当然だ。今は戦闘中だ。
ジェロニモは、そこから大きな体を引き剥がすようにして立ち上がった。手足を振って軽々と走り出しながら、もう振り向かなかった。
顔に、刺青の赤い線が浮き出始めている。戦闘の興奮のせいではない。ハインリヒに触れられたせいだ。重なった視線。一瞬だけ触れた腕。それだけで充分だった。
背を向け合って、互いのしていることを見て確かめる必要はない。いつもそうだった。今もそうだ。こんな呼吸だけは、どれだけ離れていても忘れることはないのか。信頼しているのだと、わざわざ口にする必要もない。それは当然のこととして、ふたりの間に横たわっている。離れていても、どれだけの間、どれだけの距離を置いても、決して変わることはない。
そうか、と走りながらジェロニモは考えていた。何か互いに、話すべきことがあるのだと思っていた。口にしなければ分からない、きちんと伝えなければ分からない、けれどそれはそんなことではなく、ただこうして一瞬見つめ合うだけで、触れ合うだけで、伝わってしまうのだ。
互いが必要であると言うことと、互いを信頼しているのだと言うことと、そしてジェロニモは、ハインリヒが欲しいのだと言うことと。
無傷で戻らなければと思った。そして、ハインリヒも、無傷で戻って来て欲しいと祈った。そして仲間たちすべても。神にではない。どこかにいる、自分の信じる何かに向かって、ジェロニモは無言で短く祈った。
わらわらと、蟻の群れのように迫って来る敵サイボーグを目の前にして、多勢に無勢かと、ジェロニモは胸の中で吐き捨てていた。
こちらの能力(ちから)を甘く見るつもりはないようだ。ジェロニモも、1体たりともここから先へは通すつもりはない。
ジェロニモの怒号に、彼らが一瞬後退る。岩のような体も、そこに浮かび上がる刺青の赤さも、彼らひとりひとりを威圧するに充分だった。それでも彼らは諦めるわけには行かず、ジェロニモも、ただただ数に任せた彼らの勢いに飲まれるわけには行かず、そこにあるのは忌々しさだけであって、憎しみではなかった。
彼らも、生きて還れれば、再び会いたい人もいたのだろう。蘇った死体として、また破壊される運命を、彼らはどう受け入れているのだろう。自分と彼らと、どこにどれほどの違いがあるのかと、考える脳裏の端に、またハインリヒの水色の瞳の光がかすめてゆく。
後方にいれば、そんなことにとらわれている時間もあった。ひとりきり、ここで敵を食い止めるために足元へ力を込めて、ジェロニモはもう一度、何もかもを振り払って頭を空っぽにするために叫ぶ。びりびりと震える空気。頭上の窓を割る振動。固めた拳の手前で、ミサイルが砕けた。そうして真空になる、半径十数センチの、自分の周囲。
手足はもう勝手に動く。考える必要もない。飛び掛って来る金属の固まりをなぎ払い、銃弾なぞ避(よ)ける必要さえなかった。どこかの国か組織──あえて特定の国を思い浮かべるのはやめた──が、精一杯の技術を注ぎ込んだだろうサイボーグの群れは、ジェロニモの人工皮膚に傷ひとつつけることはできない。
イワンとギルモアが、改造を重ねたジェロニモの今の体だった。離脱した仲間たちの穴を埋めるために、より強く、より機能を高めて、ハインリヒはこの体を見て、化け物と笑うだろうか。
またハインリヒのことを考えている。そんなことをしている場合ではないのに。右掌の中に、敵サイボーグの頭を握り潰しながら、ジェロニモは精一杯目の前のことに集中しようとした。
彼と006はどうしているだろう。ふたりで大丈夫だろうか。こちらの数が限られているのを知っていて、人海戦術で来たのは明らかだ。どちらかが遊動なのか。あるいはどちらもともに主戦力で、とにかく構わず徹底的に叩き潰せと、そう命令されているのだろうか。
同じサイボーグ同士だと、27年前なら、拳を振るう前に親しみとためらいが湧いたろうか。それともそれは、ジェロニモの変わらない甘さだろうか。ハインリヒなら苦笑して、まったくとでも言いたげにあの唇を軽く曲げる、そんなジェロニモの、今も結局変わらない甘さだろうか。
どうしても、ハインリヒのことが頭から去らない。何もかもが彼に繋がってゆく。ジェロニモは歯を食い縛った。
足元へ転がり積み重なる、破壊されて動けなくなった敵サイボーグたち。手足がちぎれ、あるいは頭部を失くして、これは狩りと同じだ。ジェロニモの大嫌いな、狩りと同じだ。叩き壊すなら、一撃で、できるだけ一瞬で、相手を苦しめないために。
楽しみなぞない。ただ機械的に──文字通りの意味で、機械的に──手足を動かしている。効率的な破壊のために、より高められた機能。それをためらいもなく使いながら、仲間のためにと、ジェロニモは言い訳をしている。
そうでなければ、どうしてこんなことを受け入れられるだろう。それを拒んで去ったハインリヒと、受け入れて留まったジェロニモと、背を向け合ったのは本意ではなかったはずだ。過去の遺物と自分を嘲(わら)うハインリヒは、己れの選択の正しさを、今この瞬間、どんな風に受け止めているのかと、正面から訊いてみたい気がした。
明らかに数の激減したサイボーグたちに背を向け、ジェロニモは建物の奥へ走り戻ってゆく。追われる風を装って、手元へ引き寄せてはまた叩き潰す。どこから来たものか、背後を襲われれば、それも1体1体、取り漏らさず潰した。
逃げることも後退することも、許されてはいないらしい彼らに同情しながら、ジェロニモはそれをちらとも表情には浮かべず、自力では自分の身を守れないイワンやギルモアたちのことだけを考える。数瞬前までは走って動いていた敵サイボーグたちの残骸を踏まないように気をつけて、ジェロニモはいつの間にか走るのをやめていた。
少し前まで聞こえていた、叫び声や銃弾の行き交う音は途絶え、今ではジェロニモの立てる音だけが天井を震わせている。
腕を巻きつけ首をへし折った後で、放り出された仲間の姿に硬直して動けなくなっていた最後らしい1体を、ジェロニモは容赦なく掴んで引き寄せた。手近な壁に叩きつけ、周囲の無音に、ようやく息をつく。
他にまだ残っているかと辺りを見渡した時、ぱたぱたとこんな眺めには相応しくはない軽い足音が、左手からやって来た。
「ジェロニモ! 終わったアルか!」
耳に懐かしいその声に、戦闘モードから、一瞬にして気持ちだけは平常に戻る。丸い体を転がすようにして、006が走って来る。ジェロニモは無意識に、彼の後ろにハインリヒの姿を探していた。
「ギルモア博士とイワンのところへ行くアルね!」
長い、破壊の跡のある廊下の先を指差して、006が言う。そこにハインリヒの姿はない。
「ハインリヒは?」
ジェロニモがまだ動き出さずに訊くのに、もう駆け出すようにそちらへ体を向けながら、006は早口に答えた。
「ジョーとフランソワーズと一緒に、イワンがイージス艦に飛ばしたアルよ。いいから早く!」
ジョーも、イワンが飛ばしたも、ジェロニモには一瞬理解ができなかった。ハインリヒが、もうここにはいないのだと言うことだけを理解して、ジェロニモは驚くほど深い後悔に襲われていた。
まただ。また、何も言わずに、何も言えずに、離れて行ってしまう。
006の丸い背中が走り出す。一瞬遅れて、ジェロニモはそれを追う。こんなことを考えている場合ではない。今は、そんな場合ではない。
それでも走りながら、ハインリヒのことを考えずにはいられなかった。
戻って来るのか。すべてが終わったら、皆と肩を寄せ合うために、君は──おまえは、戻って来るのか。
自分のところへ。
居場所、とハインリヒが言った。ハインリヒの居場所。そしてジェロニモの居場所。
私の──おれの、居場所。そう思って浮かんだのは、ハインリヒのあの瞳だった。自分を見つめたあの瞳。自分に触れたあの腕。
改造は、体を変えても心には触れられない。ジェロニモの心に触れられるのは、ハインリヒの、あの鉛色の右手だけだ。昔も。今も。
刺青がまた、赤を深くする。走りながら、ハインリヒの唇が触れた自分の髪に、ジェロニモは無意識に指先を伸ばしていた。
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マリ
「いったいどれだけの数がいやがるんだ…!」
「いい加減にしてほしいアル…!」
張々湖と二人、追い詰められた扉の向こうへ、ハインリヒは毒づいた。防弾ガラスに二重に守られたここも、突破されるのは時間の問題だ。ラザロが蟻のようにたかって、力任せに扉を破ろうとしている。ガラスにヒビが入り、それが縦横無尽に走り始めていた。
ハインリヒは短く刈り込んだうなじの毛が、それでも逆立つのを感じた。ジェットの国が――ジェットが、とは考えられない――傍若無人なのは今に始まった事ではないが、眼前のこの状況は、今までとはまるで次元が違う。これは氷山の一角で、水面下ではもっと怖ろしい何かが進行しているのではないか?
張々湖が“神をも畏れぬ所業”と報告したこのラザロ――死体を使ったサイボーグ――について、その行為そのものにはハインリヒも同感だったし、ピュンマの記した“彼の声”や“神”についても、先程の作戦会議で披露したように彼なりの考えも持っていたが、ハインリヒは実際のところは、格段の興味も関心も無かった。だが、それらがこうして火の粉を振りかけて来るとなれば、おのずと話は別だ。
元は生身の兵士だった彼らにハインリヒも複雑な思いを抱かないわけではないが、攻撃に特化された戦闘用サイボーグとして、最前線で応戦するのは当然のことだった。仲間内での自分の役割は的確に理解しているつもりだ。それなのに、この不利な戦況を覆すきっかけを、ハインリヒは見いだせずにいた。
――これまでか?
ハインリヒはここへ来て、初めて弱音と言えるものを吐いていた。それは再改造を拒んだ自らへの当然の報いでもあっただろう。それでもそのこと自体に悔いは無かった。自らの選んだ道だからだ。ただ一つ、あるとすれば、張々湖を巻き込んでしまうことだろうか。
――それが、おまえの配慮の結果なのか?それでおまえは、本当に良かったのか?
ジェロニモの声が聞こえた気がして、思わず振り返ったハインリヒだったが、そこには司令室へと続く扉がぴったりと閉じているだけだった。前方の門は早晩破られるにせよ、後方の門だけは死守せねばならない。
――あぁ。お前さんの言う通りだ。全ては、俺の短慮が招いた事態だ。
ギルモア財団を去る道を選んだのは、他ならぬハインリヒ自身だった。27年前、冷戦終結の糸口が見えた段階で、各国から財団への援助打ち切りも明確となっていた。だからこそ、率先してハインリヒは離脱を宣言した。メンバー中、機械化率随一のハインリヒは、維持費用もずば抜けて高かったからだ。このまま財団に留まれば、自分一人が予算を食い潰してしまうのは目に見えていた。さらなる再改造も論外だった。冷戦が終わり、仮想敵が消滅したのちに、無用の長物である殺戮兵器に想定外の経費を掛けてくれる居場所は、どこにも有りはしなかった。
彼の祖国が接触してきたのを良い口実に、ハインリヒは故郷へ戻る旨をギルモア博士に告げた。そのときの老人の驚き、嘆く顔を、ハインリヒは今でも鮮明に覚えている。祖国の思惑が、冷戦時代の国辱の象徴を隠蔽したい空気一色なのも、帰国後の配属先が博物館まがいの冷遇なのもわきまえていたが、だからと言って、ハインリヒに他にどうする術(すべ)があっただろうか?
仲間には一切相談しなかった。無論、ジェロニモにも。ジェロニモの方も、口には何も出さなかった。ただ、あのときの、はさみを握る右の手付きが、髪を梳く櫛を操る左の指が、雄弁に物語っていた。それに対する答えを拒んだのはハインリヒの方だ。そのつけが回り回って、今、報いているにすぎないのだった。
ハインリヒは足元にくしゃっとへたっている、二つのバッグに目を落とした。ジェロニモが戦火をくぐって届けてくれたものだ。
実戦での給弾も久しぶりで、果たして手間取らなかったと言えるだろうか?いつもは――昔は、ジェロニモが自分のすぐ後ろに控えていて、弾が切れれば――むしろその一瞬前から、すかさず鋼の手に次の弾を渡してくれたものだった。そのおかげで、ハインリヒは攻撃のみに集中することができた。しかし今はそのサポートも無く、弾を撃ち尽くせば自分で取り出して充填するしかない。その刹那にも敵の攻撃は苛烈を極めていく。そしてとうとうその予備の弾倉も使い果たした。
――弾切れの死神なぞ、役立たず以外の何者でもない。
こちらの数が限られているのに対して、敵はあとからあとから、雲霞(うんか)のように沸いて出る。どれだけの部隊が急襲しているというのか、ハインリヒのレーダーイヤーはその全容を図りかねていた。
膝を突いてミサイルの発射体勢を崩さないハインリヒを差し置いて、張々湖が一歩前へ進み出た。張々湖も油を燃やし尽くしたようだった。その小さな円(つぶ)らな瞳が、思い詰めた色で自分を見下ろすのに気付いて、あれをやるつもりか、とハインリヒはピンと来た。バッグの底に鋼の手をまさぐり、最後に残された手榴弾を取り出す。
その手榴弾に、ジェロニモの面影がふと、重なった。この混戦のさなかに、手際良く用意してくれたのに違いない。体の全てがワンオフパーツで、弾も特注品ばかりのハインリヒの構造と、そのハインリヒの扱いやすい火器を熟知しているジェロニモならではの、鮮やかさだった。
その右手が触れた左頬と、その頭に触れた左手と、その髪に触れた唇とに、一瞬にして熱が蘇る。
それだけで、充分だった。
それ以外に、何も要らなかった。
それだけで、この27年間の全てが昇華していく。
――この熱さえあれば。地獄行きも甘んじて受け容れよう。
確かめるように、左手の甲を頬と、そして唇に押し当ててから、ハインリヒが右手に握った手榴弾を振りかぶったそのとき、ついに強引にこじ開けられ始めていた扉の向こうに、まばゆい光が射した。ハインリヒは思わず手榴弾を下ろし、立ち上がる。それはイワンが、彼ら00ナンバーズ最終にして最強のリーダーをテレポートさせた、その光だった。
「自分で行かないアルか?」
防護服に着替え、モニターを覗き込む張々湖の耳元に、同じく防護服姿のハインリヒがささやいた瞬間、張々湖は弾かれたように顔を上げ、ハインリヒを凝視した。
ジェットからの脳波通信で、米軍の原子力潜水艦で“彼の声に従って人類をやり直す”反乱が起きたと情報を得た00ナンバーサイボーグ達は、その核攻撃を阻止するべく、同じく米軍のイージス艦をジャックする手はずになっていた。
「そんな暇はもう無い。」
『数分クライナラ、猶予ハアルヨ。』
吐き捨てるハインリヒの頭の中に、くぐもった雑音を伴って、イワンのテレパシーが響く。
「その数分で手遅れになったらどうする。…いいんだ、イワン。頼む、大人(たいじん)。」
「…分かったアル。」
張々湖が席を立ち、転げるように扉の向こうへ消えるのを見送ると、ハインリヒはジョーとフランソワーズに向き直った。
「待たせたな。それじゃ、乗り込むとするか。」
ハインリヒは頭を挙げ、屋上へ意識を向けた。そこではジェロニモが孤軍奮闘し、この研究所を守り抜いてくれている。こうして自分たちが戦略を練って作戦を立てられるのも、生身のギルモア博士やイワンを置いて出撃できるのも、ジェロニモが守護神のようにそこに居てくれるからこそだった。
――大丈夫だ。お前さんなら、きっとやり遂げてくれる。
ハインリヒは静かに目を閉じ、屋上からさらに上へ、はるかな地球の裏側へと意識を集中させる。ハインリヒを含む、ジョーとフランソワーズの三人が煌(きら)めく光に包まれ、イワンの両目が異様に輝く。一瞬後には、ギルモア研究所から三人の姿は消え失せていた。
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夕陽の照り映える甲板上に降り立った3人のサイボーグ達の動きに、迷いはなかった。
見事なチームワークで侵入を開始する。
まずジョーが艦内の中央に位置する戦闘情報センターを制圧し、フランソワーズがハッキングを完了した。ハインリヒは艦長以下乗組員達を手早く拘束して船倉に閉じ込めた。銃と化した右手を前にして、反抗を試みる者は皆無だった。
「熱源感知!核ミサイルが発射されたわ!」
フランソワーズの叫びに、緊張が走る。レーダー上に、24発のミサイルの影が不気味に映し出され、ジョーとハインリヒは息を呑んだ。一発だけで、都市を壊滅させるほどの凄まじい破壊力を持っているのだ。しかも、弾頭が10個に分裂して落下する。一度分裂してしまえば迎撃することはほぼ不可能だ。それまでに弾道を計算し、迎撃ミサイルを誘導しなくてはならない。驚異的なスピードでフランソワーズが情報を集約し、矢継ぎ早に指示を出していく。
数秒後、巡洋艦センシネルから、ミサイル防衛システムによるブロックミサイルが発射された。
モニタの画面上で、23機の核ミサイルを次々と破壊されていく。だが、最後の24機目だけは軌道上に留まったまま、ぐんぐんと飛行を続けていた。撃ち漏らしたのだ――!
3人のサイボーグは呆然として顔を見合わせた。
地球上で行える対抗手段は万策尽きた。
あとは、たった一つの方法しか残っていなかった。誰かが宇宙空間にテレポートして、直接、ミサイルの壁面に爆薬を仕掛けるのだ。
そして、そんなことができる者は、たった一人しかいなかった ――。
静かな朝だ。
波はなく、空には一片の雲も浮かんでいない。
巡洋艦センシネルは、何事もなかったように航行を続けていた。生まれたばかりの朝日を浴びて、灰色の船体が光り輝いている。その広大な甲板に、小さく佇む二つの人影があった。
フランソワーズとハインリヒだ。
ジョーの姿は、ない。
“行ってくる”
なんでもないことのように呟いたジョーの口調を思い出しながら、ハインリヒは白々と明るくなった空に目を向ける。ジョーが去った後で、フランソワーズとともに、ここに上がってきた。程なくして、はるか彼方に流れ星のようなものが見えた。瞬く間に数が多くなり、煌めく無数の光が、音もなく茫洋と広がる海面へ吸い込まれていく様を、黙って見守っていた。
本当は、それが何なのか、二人には分かっていた。
破壊された核ミサイルの残骸だ。
恐らく、そればかりではなかった。
ほっそりとしたフランソワーズの背中を見つめて、何もハインリヒには言えなかった。またしても年若い仲間を見送ることになった己の不運を呪うだけだ。あの時は奇跡が起こり、彼らは帰ってきた。今度も、奇跡は起こり得るのだろうか ――。
「中へ入ろう。」
一歩ずつ踏みしめるようにして、ハインリヒはフランソワーズに近づいていく。
ゆっくりとフランソワーズが振り返る。ハインリヒの予想に反して、フランソワーズの頬に涙はなかった。
「もう少し、ここにいるわ。」
毅然とした声が告げる。血の気を失った唇が、うっすらと笑みを形づくった。
「フランソワーズ?」
一瞬、ハインリヒは彼女の正気を疑った。
「私は大丈夫よ。ただ、しばらくこうして…ここで、ジョーを感じていたいの。」
細い腕を自らの体に巻きつけるようにして、フランソワーズが繰り返す。ハインリヒは当惑した。淡い色合いの瞳を見開いて、彼女の顔を凝視する。ふと、強くなった潮風が二人の間を吹き抜けていく ――。
「わからない?ハインリヒ…。彼は、ここにいるわ。私たちと一緒に。」
これからもずっと一緒よ、と囁くようにフランソワーズが付け加える。
突然、ハインリヒは理解した。
フランソワーズにとって、現実にジョーが自分の身近にいるかどうかということは、大きな問題ではないのだ。例え遠く離れても――恐らく、もう二度と会えないのだとしても、フランソワーズが決して忘れない限り、ジョーは彼女の記憶の中で脈々と生き続けていくことができるのだ。それが分かっているからこそ、ジョーは旅立つことを躊躇しなかったのだろう。自分の為すべきことを実行に移すために。
世界を、救うために。
「…乗組員を解放してくる。」
それだけ、やっとのことで言い終えると、ハインリヒはフランソワーズに背を向けた。
暗い船内へ下りて行きながら、唐突に、ジェロニモは無事だろうかと考えた。
片腕では、太い首を抱え込むのが精一杯だった。乱暴に口づけるなり、突き飛ばすようにして背を向けた。自分でも、どうしてあんな行動をとったのか、不可解だったが、まるで条件反射のように、近づいてきた大きな体を力ずくで引き寄せていた。
黙って、ジェロニモはされるままになっていた。何も言わなくても、こちらが求めることを瞬時に理解してくれる男なのだ。
昔から、そうだった。
――なのに、自分は一体、何をしてやったことがある…?
狂おしいような自責の念は余りにも唐突で、ハインリヒは狭い通路の壁に体をぶつけたい衝動にかられた。触れ合うことのできる距離にいた時でさえ、本当の意味で自分はジェロニモと向き合おうとはしなかった。その方が互いにとって都合がいいと思い込んでいた。けれども、長い不在の時を経て、再び、あの揺るぎない視線に出会った時、自分には、この男しかいないのだと確信した。それを告げぬまま――このまま別れていいはずがない。
無事でいてくれ、と心底願う。
今ほど、あの大男に会いたいと、切実に望んだことはなかった。