シェーンコップ×ヤン

ろくでなしのBlues 16

 抱き込んでいたヤンから離れて、シェーンコップは引いた躯をそのまま外した。
 すでに何をされているか覚えもないらしいヤンは、投げ出した全身をシェーンコップの視界に晒しても隠そうと言う動きもなく、シェーンコップが自分の肩を掴んで返すのに、まったく抗いもしない。
 平たくうつ伏せになったヤンの、薄い腰だけ高く引き寄せて、シェーンコップはまたそこへぬるりと押し入った。
 改めて繋がり直す感触にだけ、ヤンがしわだらけのシーツにかすかな喘ぎを吐く。馴染むのを待つ必要もなくシェーンコップが再び動き出すと、短く切れる声が吐息交じりに漏れ始めた。
 触れ合う部分がごくわずかの繋がり方は、けれど反ったヤンの背中の陰影が物珍しく、乱れて跳ねた髪の向こうに覗く、普段は目に触れないうなじの白い照りへ、シェーンコップは唇を噛んで耐えながら視線を奪われている。
 襟まできっちりと軍服の下に隠れて、陽にも晒されない皮膚はただ皓く、薄闇の中では不健康にではなくよく目立った。
 その照りの示す陶器のようななめらかさに全身で触れたいと思いながら、シェーンコップは自分を抑えた。体の重さを掛けて抱き込んで、手加減ができなくなるのは困る。抱き合うと、熱を上げて湿って来るその皮膚の、自分を溶かすようにこちらに吸いついて来るのに、シェーンコップはいつも呼吸を忘れて溺れそうになる。
 ヤンの、ただ薄い体は、あちこち皮膚のすぐ下に骨の固さを伝えて来て、抱き心地が良いとは決して言えなかったけれど、膚の滑(すべ)らかさの心地好さがすべてを相殺して、自分の硬いばかりの体も、ヤンにとっては触れて心地の良いものではないだろうとシェーンコップは思う。
 そんな風に思っても、抱き合えばきちんと躯の馴染む不思議だった。
 抱く体の感触だけではないのだ。何がと言われても、シェーンコップにもよく分からなかった。触れ合った分だけ、ヤンの皮膚と躯が自分へ添って来る。ほとんど自分のそれと見分けのつかないほど近く、ヤンとこうして抱き合うたび、自分たちは別々のふたつではなく、溶け合ったひとつの何物かなのだと思う気持ちが強くなる。
 終わって、引き剥がした皮膚を軍服で包み隠して、何事もなかった顔を作るのが少しずつ難しくなっているのに、シェーンコップは気づいていた。
 ぶつかる肩、触れ合う指先、重なった視線、絶対に秘そうと思っているわけでもなく、誰かがそうと知ったところでだから何だとうそぶける程度に、シェーンコップは今の自分の立場の強さを理解しているけれど、ではヤンの方はどうなのだと思えば、自分の方から一方的に肯定の空気を漂わせる気持ちはないのだった。
 表に出すには、確かに憚りはある。ふたりは上官と部下で、実質的に要塞のトップ2なのだとしても、ふたりの繋がりを何か不正の表れと受け取る輩がいないとも限らない。
 その類いをヤンが蛇蝎の如く忌み嫌うのを、周囲は知ってはいても、遠く離れてヤンを、都合良く振りまかれた情報でしか知らない連中は、そうとは取らないかもしれない。
 ヤンもシェーンコップも、軍務上の繋がりを、色仕掛けで築いたと思われる筋合いはないのだ。このことがなくても、ヤンはローゼンリッターとシェーンコップを信用したろうし、シェーンコップとローゼンリッターはヤンの元でどれほど過酷な任務でも忠実に果たすのに何のためらいもない。
 すべてから無関係で始まったのかと問われれば、それには否と答えるしかないにせよ、ヤンはローゼンリッターを利用するためにシェーンコップと寝ているわけではないし、シェーンコップはローゼンリッターへのより良い待遇を求めてヤンと寝ているわけではない。
 眠れないと言うヤンを心配して、と言う始まり、ただそれだけだと言って、人はどれだけ納得してくれるだろうかと、シェーンコップはふと考えた。
 他の誰に納得してもらう必要もなかったけれど、自分たちは軍人である前にただの人であり、そのただの人としてのヤンに魅かれたのだと、今はもう素直に受け入れている自分のことを、軍人としての自分しか知らない連中は理解するだろうか。
 ヤンは、シェーンコップを剥き出しにする。軍服を脱ぎ、階級も名前すらも捨て去って、ただ生身のひとりの人間になって、シェーンコップが、抱きしめるヤンの中へとめどもなく溺れてゆくのを、ヤンはただ許し続けている。
 引きずり込まれ、呼吸を忘れ、呼吸をし続けるよりも大切なものがあるのだと、シェーンコップはヤンの内側で感じ続けている。
 心臓から遠く離れた、ヤンの躯の末端に直に触れて、シェーンコップはそれでもヤンの心臓の響きを血の流れの中に感じ取りながら、心と言うのは一体体のどこにあるのだろうと、おとぎ話のようなことを考えていた。
 掌に乗せて見せられるものではなく、色も形も想像もできない、心と言うもの。魂と言い換えてもいい。喪えば人は死ぬ。ヤンと抱き合うたび、自分のそれが、ヤンのそれに触れているような気がして、自分が抱いているのは、ヤンの躯だけではなく心ごとなのだと、自惚れのように思う。
 ヤンに、とうに明け渡した自分の心とやらを、ヤンは決してぞんざいには扱わないだろうことを、シェーンコップは知っている。
 ヤンの掌に乗せたそれ。血と同じ色をしているだろうか。殺して散らした魂の分だけ、濃い赤のそれは、ヤンの手首を折るほど重いだろうか。すべてを取り去り、魂だけになった自分。失くせば死ぬ。それはヤンの掌の中にある。
 魂が触れ合う。そのために抱き合う。ただの人として。ろくでなしとのたまうのも、人でなしと自嘲するのも、人であるからだ。人の何たるかを知るヤンと、だからこそ人でなしと名乗れるシェーンコップと、戦争しか能のないろくでなしと、ただ慰め合うためではなく、人殺しを生業にするふたりは、血塗られた手が人の命を断つ感触を他の誰にも味わわせないために、触れ合う相手に互いを選んだ。
 そうでしょう、と、シェーンコップは繋げた躯から、直接ヤンの心の中に問い掛けている。
 精一杯近寄せた躯から、心へ触れようとする。繋げた躯の内側で、心を重ねて、魂が触れ合う音をその中で聴く。ヤンの魂の音へ耳を澄ませて、シェーンコップはそのあたたかさを感じながら、自分たちは生きているのだと思う。ヤンを生かすために自分は在り、ヤンのためにある自分の生き甲斐と死に甲斐の両方が、そのぬくもりの中に確かにこめられていた。
 近頃、こんな時にはヤンがよくそう呼ぶようになった、シェン、と言う短く切ったシェーンコップへの呼び掛けが、シーツに呼吸の湿りと一緒に落ち始める。
 それを聞いてシェーンコップはもう我慢するのをやめて、ヤンの背中へ覆いかぶさると、うなじを露わにしてそこに噛み付いた。髪かスカーフで隠れる位置へ、数瞬わざと手加減を忘れて、ヤンの中へ熱を吐き出しながらぎりぎりと歯列を食い込ませた。


 呼吸が元に戻ると、体温の元に下がった体を寄せて、皮膚のあちこちがべたつくのに、互いに晒した姿を思い出して共犯者の苦笑を分け合う。
 前髪と額を触れ合わせた距離で、ヤンがシェーンコップの頬へ、心づけの口づけを触れさせて来る。それへ、唇の位置を探しながら応えて、まだ唇の先の触れ合ったまま、シェーンコップはそっとヤンの背中から腰へ掌を滑らせた。
 「一体これで、どうやって今まで独り身を耐えて来たのか、今度の参考にお訊きしたいものですな。」
 言葉のリズムと一緒に、腿の裏側へ指先が落ちてゆく。そこはいっそう終わった後の痕跡の明らかな辺りへ、シェーンコップはヤンに思い出させるように触れて、そこで指の先を遊ばせた。
 指の動きから逃げようとすると、さらに近くシェーンコップへ体を寄せることになる。終わった後のそんな戯れも、ふたりの夜の一部だ。ヤンはまだ紗幕の掛かったような目で、シェーンコップを軽く睨んだ。
 「別に耐えてたわけじゃないよ。機会がなければ思い出しもしない、それだけだよ。」
 「小官には信じ難い話ですがね。」
 「貴官にはそうだろうな、シェーンコップ少将。」
 皮肉をこめてそう言うヤンの二の腕には、シェーンコップの指の跡が残っている。少し強く押せばすぐにそんな風になるヤンの、首にはシェーンコップが噛んだ痕が残っているに違いなかった。
 体力のなさそうな割りに、シェーンコップが求めればどこまでも底なしについて来るヤンは、自分の躯がどんな風にシェーンコップに応えているのか自覚はないらしく、何とも罪作りなことだと、そろそろ眠そうなヤンの肩を改めて引き寄せながら、シェーンコップは苦笑を漏らした。
 ヤンの応え方を、自分が引き出したのだと言う自惚れはなく、それでも、他の誰がヤンを抱いても同じように応えるとも限らないと思えば、組み合わせの妙と言うものは必ずあるはずだと思いついて、これは恐らく自分だけが知るヤンなのだと、他愛もない優越感が湧く。そしてきっと、ヤンがこうして知る自分も、ヤンだけが知れる自分なのだろうともシェーンコップは思った。
 まるで楽器のように、ヤンがシェーンコップの動きに応えて音を出す。高くも低くもなるその音の、深さと艶と円み。調子の外れ方すら、今ではシェーンコップには音楽そのもののように聞こえて、ふたつきりしかないはずの旋律の、交ざり合い重なり合い、即興で予想もしない方へ広がってゆくのが面白くてたまらない。
 底の知れないヤンの、躯の奥の熱。秘められたまま、触れられなければ、ヤン自身あるとも知らないままだと言った、深奥の、果ての見えない熱。探り当てたそれの熱さに驚いても、怯みはしなかった自分をこっそり褒めながら、けれどそれに飲み込まれるままの自分の弱さなのか惰気なのか、結局ヤンには勝てない己れへ向かって、シェーンコップはもうひとつ苦笑を刷いた。
 際限なく引きずり込まれ、果てもなく引きずり上げられ、翻弄されているのはシェーンコップの方なのに、ヤンはまるで、シェーンコップのせいで自分だけがそうなるのだと言い切って、シェーンコップの溺れようを観察する余裕はないらしい。
 昼間の明晰さは、ふたりの夜にはただの熱さに変わり、互いに余裕などどこかへ置き忘れて、一緒に生んだ熱に溺れるだけだ。シェーンコップはただ、ふたりが抱き合って共に溺れているのだと知っていて、ヤンは自分だけが溺れていると思い込んでいる、それだけのことだった。
 溺れながら互いにしがみついて、呼吸のために這い上がったそこで、互いの肺から酸素を与え与えられ、切り取られた熱ばかりの世界で、互い以外はもういらないのだと言う心境へたどり着く。見つめ合えば、熱に潤み切った瞳の中に映るのは互いだけだ。その小さな世界は、ふたりのためだけに存在する。その小さな世界を、ふたりは、言葉にはせずに渇望している。
 全身を預けてもびくともしないシェーンコップの胸へ頭を寄せ、今ではその体温を毛布代わりに、ヤンは速やかに眠りに落ちる。夢を見ないことを知っているから、そうして眠ることを恐れる必要もなく、朝まで邪魔の入らない睡眠を、子どものように心待ちにしている。
 このぬくもりなしでは眠ることができない。薬やアルコールよりは健康的ではあるけれど、この体温を失った時のことを想像するだけで、ヤンの背中に悪寒が走った。その悪寒が悪夢を連れては来ない幸いを思ううちに、もうまぶたが重くて瞬きもできなくなる。
 シェーンコップはヤンの穏やかな眠りを守るように、次第に呼吸の間遠になるヤンの、汗に湿った髪へ掌を当てて、邪魔にはならないようにそっと、その手をいつか背中の方へ滑らせてゆく。
 ヤンとひとつになったと錯覚させてくれる膚の感触へ、睡魔に誘われるまま目を細めて、今夜も、これがこれからいつまでも続くのだと言う幸福な思い込みと共に、シェーンコップも夢に誘われ始めていた。

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