* リアル獣姦展開含 *
変化たちの森 11
アッテンボローにあれこれと助言されながら、主にはその意見を入れて、ヤンはついに自分用のラップトップコンピューターを買い、アッテンボローは久しぶりにヤンの家に来て、きちんとネットに繋がるようにしたり、ショートカットの作り方すらおぼつかないヤンのために、あれこれ使うだろうソフトウェアの面倒まで見てくれたり、誰のための新しいコンピューターか分からないはりきりぶりだった。ブログはどうするのかとさらに目を輝かせるのに、
「それはまず打ち直しが終わってからだよ。」
と、まだ何かやりたそうなアッテンボローをなだめて、それでもヤンも、新しいコンピューターがやはり物珍しく、アッテンボローが使い方を教えてくれたテキストエディタを立ち上げては、意味もなくキーボードで文字を打ち出して、父親のそれとはまったく手応えの違うのに驚いたりしている。
ヤンの手つきを見て、
「タイピングのコースか何か、取ったらどうです。図書館で夏の間に講座とかやってなかったかな。」
「へえ、そんなのあるんだ。」
「オレ1回通いましたよ。大人ばっかりだったけど。」
本気でやる気があるなら、高校でも授業がないでもない。父親もずいぶん昔に、高校の夜間の課外授業で、仕事のための書類の作り方やそのためのコンピューターの使い方の初歩のようなことを習っていたことを思い出す。コンピューターを使うなら、そんなのを学ぶのも手だなとぼんやり考えながら、そうしてまた、人は簡単に消えてしまうんだと、頭のどこかでラップに語り掛けている。
せっかく買って、アッテンボローが使えるようにしてくれたこのコンピューターも、明日には無駄になってしまうかもしれない、根拠はなく、けれどヤンにとってはきちんの根拠のある、そんなことを言わずに考えて、ヤンは傍にいるアッテンボローのことを数瞬忘れて、モニターの、妙にきれいな見たこともない風景へ見入る。
画像の中に、あるはずもない人影を見たような気がして、ヤンは無意識に眉を寄せてそこへ目を凝らし、そこがジェシカとラップの今いるところだろうかと、キーボードから離した指の先で、つるつるのモニターの表面を思わずなぞっていた。
礼の代わりに、今日はアッテンボローに昼をおごることになっている。どこに行くかと話し掛けようとして、舌を動かすのに10秒も掛かってしまった。椅子から立ち上がるのに、さらに1分必要だった。
自分の自由にコンピューターを使うのは案外面白く、これもアッテンボローが教えてくれた、ヤンと同じように自分で書いた話を、オンラインに上げて互いに読み合うネットのコミュニティーを覗いて、顔も何も想像もつかないような妙な名前の人たちが、様々な作品についてあれこれ活発にやり取りしているのを見て、アッテンボローがヤンの書いたものについて何やかや言いたがる気持ちを少しだけ理解する。
そこへ自分の書いたものを抱えて飛び込んでゆく気分にはならなかったけれど、自分のように、頭の中身を形にせずにいられない人たちが他にもたくさんいるのだと、そう知れたことは、ほんの少しだけヤンの気持ちをなごやかにしてくれた。
そうして、ヤンは以前書いたノートをクローゼットの奥から取り出し──ジェシカから隠していたままだった──、ぱらぱらとめくって、何となく目についた順からタイプし直すと言う作業をゆっくりと始めた。
ほんとうは、アッテンボローからコピーを借りて、あのラップとジェシカに似てしまった主人公たちの話をまず打ち直そうと思っていたのだけれど、自分の書いた中身を思い出しただけで動悸がし、とても平静にそれを読み返せそうにないと悟って、ヤンは、今はあれを自分から遠ざけておくことにした。
別に捨ててもいいと、手渡した時には言ったけれど、結局改めてアッテンボローには、あれを自分のためにそちらの手元に保管しておいてくれと告げ、アッテンボローは嬉しそうな、けれど一緒に切なそうな表情を浮かべて、ヤンへ向かって深くうなずいて見せた。
自分の読みにくい手書き文字が、モニター上できれいな活字になると、何だかそれが自分の考えたものと思えず、そしてそうやってきれいに打ち直されてみると、文章や内容の粗がひどく目立って、よくこんなものを書いた挙句に人に読ませたものだと、ヤンはキーを叩きながら何度も頭を抱える羽目になる。
ただ打ち直すだけではなく、時々変えたり消したり書き加えたり、最初に書いたものからそれは少しずつ変化し、ヤンは新しいものを書いている気分になりながら、案外飽きずにその作業を続けた。
ヤンの人差し指打ちでは、当然打てる量が限られ、キーの位置を覚えればスピードは上がっても、ページの先へはなかなか行けず、アッテンボローの言っていたようにタイピングくらいは習っておいた方がいいかもしれないと、初めて数日後にはもう真剣に考え始めていた。
そうして、以前書いた物語を読み直し、それを書いた時の自分と対面して懐かしい気持ちを味わったり、その一瞬後にはまたジェシカとラップのことを考えて、キーボードへ向かって丸めた背中がただ薄寒い気分を味わったり、のろのろとしか動かない自分の指先に焦れて、さっさとタイピングのクラスへ通うことを考えて妙に苛立ったり、あくまで静かに、ヤンの中身は上がったり下がったり、常に波打っている。それは、ヤンにとってひどく疲れることだった。
打ち直しに飽きると、書きためたノートを繰って書いたものを読み返し、たまたま父親が死んだ頃の辺りへ差し掛かると、案外鮮やかに記憶が蘇って、あの時は書けない、書く気が起こらないと言うこともなく、父親の葬式の終わった夜にもこのノートを広げて何か書いていたのだと言うことを思い出しもした。
ヤンはまた、ジェシカとラップのことを考え、白紙のノートに向かうと手の止まってしまう自分の、胸の中を覗き込もうとしてみる。それはなぜかひどく苦痛を伴い、見たくはない気持ちばかりが溢れて、その気持ちを語ろうと辺りを見渡したところで、そこにジェシカもラップもいるはずはなく、語る気がないなら何か書き殴ってもいいと思うのに、手は結局動かないままだ。
父親の死と、どちらの死がより悲しいと、比べるものではないと言う、ヤンの大人になり掛けの理性が働いて、それでもたった数週間前に起こったばかりの、ジェシカとラップの突然の死は恐ろしいほど生々しく、ふたりはもうヤンと同じ空気を吸うことはなく、例えばキッチンのテーブルに坐って同じ本を覗き込んでいたふたりを眺めて、そこにともかくも含まれてはいた自分が、今はそこから弾き出され、もうふたりと自分の、3人になることは永遠にないのだと言う思いに、ヤンの胸はひどく痛んだ。
3人でと、ジェシカもラップも言ったのに、一緒にと、ふたりは言ったのに。ここには今ヤンしかいない。ひとりきりで、誰に吐き出すこともできずに、ヤンはそれに耐えるしかない。
ヤンは、字の詰まったノートの紙面を掌で撫でた。そして、あの夜触れたジェシカの果てしもないように思えた柔らかさに、恐怖しか抱けなかった自分の不慣れさを今さら歯噛みして、同時に、こすり合わせたラップの皮膚の、汗のせいの湿りを思い出して、それにまた触れたいと、背骨の裂けるほど強く思った。
会いたい。ふたりと一緒にいたい。また、3人で。1枚の毛布の下に連ねた体、少し先の未来を明るく語って、それを何の疑問もなく信じられたあの夜に、3人で戻れたら。
ノートを閉じ、コンピューターの電源も落として、ヤンは坐っていたキッチンのテーブルから離れた。
頭の中に嵐が渦巻いていた。ラップの声とジェシカの声が反響し、重なり続けるそれはもう言葉も聞き取れなくなるのに、ヤンはそれにじっと耳を澄ませずにいられない。
裸で抱き合うふたりの背に、自分も裸の胸を重ねて、自分の家族を欲しがったラップのために、そうして繋がった3人がそのまま続いてゆくのだと信じたあの夜が、ヤンの頭の中で再現を繰り返している。
再生される声、動き、匂い、湿り、熱さ、もう二度と存在することのない、それら。
ヤンは自分の部屋へ行くと、家の中には他に誰もいないのに、ドアを神経質なほどきっちりと閉めた。それからベッドへもぐり込み、しばらくの間、自分の頭の中の砂嵐だけに神経を集中させ、その中心からやっと浮き上がって来るラップとジェシカの面影へ、さらに鋭く神経を向ける。
毛布の中の闇の中で、目を閉じて完全な暗闇の中に入り、そこにはもうラップとジェシカだけがいて、過去も今も未来もなく、ヤンの加わった3人だけが闇の宙に浮いている。ふたりはけれど、ヤンに話し掛けることもなく、ヤンを見ることもなく、そこにはふたりきりしかいないとでも言うように、必死で腕を伸ばすヤンへやがて背を向けて、ふたりだけで笑い合いながらどこへともなく消えて行った。
ふたりが去っても砂嵐は終わらず、頭の中は相変わらずはっきりとはしないまま騒がしく、ヤンはそれを何とか追い出せないかと、様々の言葉を思い浮かべようとした。言葉になれば、ノートの上に吐き出すことができるはずなのに、結局どんな言葉もすべて砂嵐にかき消され、ヤンの頭の中には湿った重い砂が降り積もり、その中に飲み込まれ、押し潰され、喉や肺に容赦なく入り込んで来る砂に、ヤンは言葉も呼吸も思考も失ってゆく。
皮膚のすぐ下からすべて、体の中が全部砂になったような気がした。
耳を塞いで大声で喚きたい気持ちを必死で抑えて、ヤンは代わりに、唇の形でだけラップの名を呼ぶ。声は出ない。呼吸すら怪しく、口の中が架空の砂でざらざらする気がした。次第に、開いた口から砂が吐き出され、音にならない言葉──ラップの名──を紡ぐ舌と喉は砂の感触に慣らされてしまい、口の中のざらつきが減ってゆくと、ヤンは少しだけ穏やかな呼吸を取り戻した。気がした。
そうして、相変わらずラップの名を呼びながら、ここで同じようにふたりで抱き合った時のことを思い出して、ヤンはそっと自分の躯へ手を伸ばしてゆく。
指先を揃えて握り、ゆっくりとこすり上げる。両手とも下着の中に差し入れて、自分の掌に、ラップの手が重なった感触を必死で思い出そうとした。丸い指先。なめらかな指の腹。穏やか過ぎた触れ方が、とてもラップらしかった。その手を導いて、もう少し強くと促したのを憶えている。互いに、どうして欲しいと戸惑いながら伝え合って、掌と手指で互いの躯の輪郭を記憶した。
噛んだ唇と噛まれた舌先。額を合わせると、ほとんどラップのまつげがヤンに触れそうになった。色の違う髪が交ざり、掌の中で熱が混ざり、呼吸と言葉が交じり合うと、ヤンは自分がラップの一部になってしまったように思って、ラップから体を離すたび、皮膚の剥がれるような痛みを感じていた。
ひとりではなかった時のことを、ヤンは必死で思い出す。ラップが確かに自分の傍らにいたあの時の記憶を、ヤンはまるで形ある何かであるかのように、自分の皮膚の上に手繰り寄せようとする。
ラップの指。ラップの掌。ラップの唇。ラップの声。ラップの呼吸。そして、ラップの熱。
自分が抱きしめた、自分を抱きしめたラップの、首筋や背中や肩。あれは夢ではなかったのだと確かめるために、ヤンは自分に触れ続け、そして果ててしまうと、そこには自分の手指しかなく、自分の吐き出した白い熱の名残りしかないのを見下ろして、やるせなく吐息をこぼした。
汚れた手と体を洗いに、シャワーを浴びようとゆらりと体を起こし、射精の後の虚脱感を睡魔にすり替えて、今夜そこへ落ちてゆく先に、ジェシカとラップが自分を待っていてくれますようにと、ヤンは虚しく祈る。
夢の中でもいいからふたりに会いたいと、ヤンは闇の中でひとりうつむいたまま、胸をかきむしるように思い続けた。