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30の感情に関する一文字の御題1@6倍数の御題

 花京院が、大きなテレビの画面に見入っている。
 床にあぐらをかいて、前かがみに、前へのめるようなその姿勢に相応しく、半開きの唇ときらきらと潤んだ瞳の夢中な様子が、承太郎にはとても魅力的に見える。
 2話ずつDVDで発売されていたアニメのシリーズが、やっと最終巻が発売になったとかで、この週末の花京院は完全にアニメの世界へ行ったきりだ。
 こういう熱中ぶりは、承太郎にも覚えがないでもないけれど、それはもう随分と昔のことで、自分の若い──と、もう言わなければならない──頃の姿を、今こうして花京院を通して見せられる羽目になるとは思わず、花京院のきらきら輝く横顔は魅力的だけれど、それで自分の若気の至りを思い出さされるのは少々苦痛だ。
 「CGも慣れれば悪くないもんだな。最初は妙に小綺麗で、そのくせ薄っぺらくてどうしようかと思ってたのに。」
 テレビへ向かっての感想か、それとも承太郎へのつぶやきか、どちらとも知れず花京院がぶつぶつ言う。
 承太郎はかすかにしか記憶にない、彼らが中学の半ば頃に放映されていたのが元のアニメだ。お決まりの、ロボットが大量に出て来てドンパチやらかす類いの、ロボットと言えばせいぜいガンダムくらいしか見分けのつかない承太郎には、今では興味の一片も沸かない話だった。
 小学校から鍵っ子だったと言う花京院は、両親のどちらかが帰って来る時間まで、宿題をしながらテレビを見るのが習慣だったらしく、子ども向けの時間帯に流れていた作品には思い入れが特に深い。言われれば、承太郎も思い出せる作品の名前をすらすらといくつも並べて、監督がどうの脚本がどうの劇場版がどうの、今時はいくらでも情報のある古い作品のことを、まるで去年流行った映画か何かのように詳しく説明してくれる。
 出会ってからは数年は、承太郎も話し相手のいない自分の音楽の趣味のことをひたすら一方的に語ったもので、音楽はSting一辺倒の花京院──今もそうだ──は、恐らくほとんど一言も承太郎の言っていることは理解もできないまま、それでもうんうんそうなのかとうなずきながら、何時間でも話を聞いてくれた。
 その頃は、あまり承太郎相手に熱く語り返すと言うこともなかったのに、近頃はDVDでの再発や再放送があるせいか、子どもの頃に大好きだったアニメへの愛情が再燃したらしく、まるで中学生へ逆戻りしたように、ガンダムがどうのイデオンがどうのコンバトラーVがどうのと、語り始めると切れ目がない。
 なまじ絵が描けるだけに、承太郎が、目を細めて考え込むように、一体どんなロボットだったか、どんな話だったかと思い出そうとすると、即座に紙を取り出し、さらさらとロボットや登場人物の姿形を描いて見せる。それで承太郎の記憶が甦れば、熱い語りはさらに1時間延長されると言う具合だ。
 花京院自身に対する愛情には些かの疑いも差し挟む余地はないけれど、花京院の趣味については、承太郎は歩み寄ることをとうに諦めていた。ただひたすらに興味がない。
 昔々、自分の、同じように花京院には興味の一片もない音楽の話に延々付き合ってくれたことを、心底ありがたく思いながら、これはやはり承太郎の性格なのか──花京院への愛情の深さとはまったく関係がない──、興味がないものに無理矢理興味を抱く意味を見出せず、それが愛情表現になり得るのだとしても、一緒に語り合えれば花京院も喜ぶし自分も楽しいという素晴らしい結果があるとわかっているのだとしても、中学生の自分が興味のなかったアニメを、今更見直して一緒に熱く騒げ、と言うのは、やはり承太郎には無理だった。
 いまだ高校の頃に聞いていた音楽を聴けば変わらず血が騒ぐと言うのに、その血の騒ぎが、花京院が今感じているものなのだと理解できると言うのに、ではその趣味を共有しよう、と言う段階に、承太郎はもう到達する気はなかった。
 「この膝裏の動きがいいんだ! いかにもぎこちない風なのがいいんだ! 単なるCGの具合なんだろうが、僕はこれが好きなんだ。」
 ぎーぎーがっしょんがっしょん、どうやらロボットが歩いているらしい。画面を指差して、花京院が声を高くする。滅多と声を張り上げない花京院の、非常に珍しい姿だ。携帯の動画撮影をこっそりオンにしようかと、承太郎はジーンズのポケットをこっそり探り掛けた。
 話に興味はないけれど、このアニメの音楽は好きだった。当然サントラも持っている花京院がPCに落とした音源を、承太郎も時々聞いている。
 きゅいーん。ロボットが走る音だ。コンクリートを、ドリルで削っているような音だ。この音が鳴ると、花京院の表情がさらに輝くので、音が聞こえなくてもそうだと分かる。
 この、ロボットが動き回る音が、例のロボット掃除機の駆動音ととても良く似ていると、花京院が承太郎に無理矢理動画を見せたのは一体いつだったろう。
 ひと切れ切ったロールケーキをそのまま拡大したような形の、洗練されてはいるけれどどこかのっぺりと無骨な印象の掃除機が、存外可愛らしいデジタル音を発して動き出す。そしてその、どうやら本体下についている車輪やモーターの類いが動く音が、花京院曰くアニメのロボットたちが走り回る時の効果音そっくりだと、ほとんど承太郎の服の肩辺りを引きちぎりそうにしながら、花京院はこれも熱っぽく語ってくれた。
 アニメの方を見せてもらえば、ああ確かに似ているなとは承太郎も思ったけれど、だからこの掃除機ロボットが欲しいと花京院が言い出した時は、さすがに額に手を当てて、熱がないか確かめたものだ。
 「おい、好きなものは好きでいいが、この掃除機はてめーがたまに買って来る人形の類いとは違う。置いて飾って眺めて楽しむもんじゃねえ。掃除機だ。掃除機だ、花京院。」
 「人形じゃないフィギュアだ!」
 まず突っ込むところはそこなのか。承太郎はちょっとだけ頭痛の前兆を感じて、けれど理詰めで行けば比較的理解の早い花京院だったから、承太郎が学会へ行く時に持って行く発表原稿の5分の1程度の量と説得力で、ロボット掃除機購入計画は、提出される前に無事却下になった。
 けれどおかげで、その後2、3作出た、このロボットアニメの新作とやらのDVD購入と観賞に付き合わされ、花京院と時間を過ごすのだと思えばそれはそれで悪くはなかったけれど、掃除機を買った方が色々と楽だったかもしれないと、ほんの少しだけ承太郎はその時後悔をした。
 「本編52話を6話にまとめるなんて無茶だと思ってたけど、スタッフに技量があればできるもんだな承太郎。」
 取ってつけたように承太郎の名を呼ぶけれど、これは完全に花京院のひとり言だ。
 DVDを買って来ると、まず花京院がひとりで見る。無言で、そして時々じたばたしながら、何か声や激情を必死で耐えている様子で、それはある種の拷問に耐えている風にも見える。
 そして承太郎が付き合うのは2度目からだ。最初の10秒目から、最後のスタッフロールまで、全編花京院の解説が事細かに入る。これを他の誰かにやられたら、承太郎は即座にスタープラチナを呼び出して時を止め、1発食らわしてからその場を去るだろう。そして永遠にその相手とは会わない。
 こんな時に承太郎は、自分がどれだけ花京院に惚れているのかを、しみじみと思い知る。
 「脚本が凄すぎる。ニーチェやシェイクスピアがさらっと出て来るんだ。どこの小中学生がそんなの即座に理解するって言うんだ。承太郎、君ニーチェを読んだのはいつだ? シェイクスピアくらいなら中学生でも何とか許容範囲だろうが、僕はこれをきちんと理解せずに見てしまったことを今になって後悔してるんだ。」
 ニーチェなんぞ、大学の時に無理矢理読んで、一体何が何やらわからないまま文字だけ頭に流し込んだ記憶しかない。
 花京院はそのまま熱っぽく続ける。
 「ここの!ここの演技が凄すぎる! このキャラは本編にはまったく出て来ないのに、続編で突然出て来て、今じゃ主役を食う勢いなんだ。台詞のやり取りだけで──」
 花京院が喋り続けるけれど、承太郎にはほとんど一言も聞き取れない。
 主人公とやらを説明するのに、花京院は君に似ていると、なぜか顔を赤らめて言ったことがある。青い髪の、まるで笑わない、声にも表情のない下っ端の兵士らしい主人公の一体どこが自分に似ているのか、承太郎はその時説明を求めるべきだったのに、花京院のひどく照れたような表情の方に目を奪われて、本音を言えば、花京院にそんな表情をさせるこのキャラクターに、かすかに嫉妬を覚えたものだ。
 馬鹿馬鹿しいと思いながら、花京院がこんなに夢中なこのアニメの、その仏頂面の主人公を、ほんの少しだけ羨ましいと思った。
 今日の夜は、Eric Claptonがギターを弾く、Stingの"It's Probably Me"を延々流しながら論文の下書き作業をしてやる、と承太郎は心に誓う。Stingと共演できたClaptonのことを、花京院も羨ましがればいい。
 きゅいーんと、またロボットが走り回る音がしている。花京院がもう、声も出せずに、画面に向かって伸ばした腕を振り回している。
 やれやれだぜ、と承太郎は口の中でだけつぶやいて、薄く微笑みをこぼした。

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