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30日間好きCPチャレンジより

05 - Kissing / キスする

 校内には、意外と人目につかない場所があるものだ。
 校舎の端っこの階段の下や、校舎と校舎を繋ぐ渡り廊下の真ん中辺りの、ぽつんとある柱の陰や、職員室からいちばん遠い非常口のドアの前や、それでも、人並みよりも大柄の花京院と、完全に規格外の承太郎の組み合わせでは、物陰にひそむのには少しばかり無理がある。
 だから、美術準備室の棚の間の、いちばん奥の、窓から差す光も届かない場所を、最初に花京院が見つけた時、充分に昼間だと言うのに薄暗いそこで、ちょっと肩をすぼめるようにして抱き合った時に、ようやく誰にも見つかりそうにはない安堵で、ふたりはこっそりため息をもらしたものだ。
 まだ、ふたりでそこにいる時に、誰かが突然扉を開けて入って来たことはないけれど、それなら、そこで本でも探している振りをすれば良かったし、承太郎が入り口側へ背を向けていれば、すっかりその陰に隠れる花京院の姿は見えず、その穴ぐらのような秘密の場所で、ふたりは近頃昼休みや放課後のひと時を、必ずひっそり過ごす倣いになっていた。
 指先が触れ合えればよかった。その次は恐る恐る互いの肩へ腕を回し、胸を合わせて、一緒に互いの呼吸の音を聞く。額や頬をこすり合わせた後で、唇を重ねるようになるまでには相当掛かった。
 唇を合わせて、触れ合わせるだけの、いかにも稚ないキスで、まだふたりはそれ以上のことを知らずにいて、恐らく承太郎が卒業して、もうここでこんな風に会うことがなくなるまでは、そこから先へは進まないだろうと、ふたりは同時に、そして別々に予感している。
 逢い引きだとかひそかごとだとか、ちょっと湿った文体の小説の好きな花京院は、ここへ来るたびそんな言葉を使ってふたりのことを表して、承太郎はもうちょっと即物的に、邪魔なしにふたりきりでいられればいいんだと、この微行をどう呼び表そうと、そのことに特に興味は示さない。
 今日も放課後、校舎の中に生徒の姿の減ったのを見計らってここへ来て、狭い棚の間をすり抜けるのに、もうふたりの手は繋がれていた。
 承太郎は近頃、不精を決め込んだ振りで、花京院を自分からは抱き寄せない。上体を折って花京院の方へ傾けはしても、そうしながら両手はズボンのポケットの中だ。
 最初は唇だけが触れるのに、抱き寄せる承太郎の腕がなければ、花京院の方から体を寄せて来る。こっそり薄目を開けて窺うと、戸惑いと照れを全身に浮かべて、そのうち恥じらいよりも承太郎へもっと触れたい気持ちが強くなって、勝負がつくと花京院の腕が承太郎の腰へ伸びて来る。承太郎はそれを、つぶさにすべて見ている。
 ボタンなど留めない承太郎の、大きく開いた上着の内側へ、花京院の腕がするりと入り込む。ベルトの少し上、ただ薄いタンクトップが覆うだけの腰回りへ、花京院の腕が伸びて来る。背骨と筋肉のごつごつ当たる、まだ少年くさく薄い背中の終わりと腰の始まりの辺りへ、花京院の腕がそっと乗る。そうされて、自分も力いっぱい花京院を抱きしめたいのに必死で耐えて、承太郎は触れている唇よりも、今は花京院の腕の感触にすっかり心を囚われて、鏡でもあれば、花京院顔負けに頬を薄赤く染めている自分の顔が見れるに違いない。承太郎は、自身の頬の赤さになど気づきもせず、腕が回った後には、近々と寄る胸の重なりへ、今度は心が寄って行く。
 時々、息継ぎのためのように唇が外れ、また重なり、重なり直すたびに、唇もふたりの体もいっそう近寄って、そうする間に花京院の長い腕の輪もゆっくり狭まって、その中にすっかり収まってしまう自分の体が、大きいのか小さいのか分からなくなって、承太郎は不意に目を見開いて、目の前に花京院がいるのを確かめる。
 好きだと言う前に、触れ合ってしまった指先と胸と唇だった。言葉よりも雄弁に、互いの距離と体温が、ふたりの気持ちを示している。それでも、唇のこすれる合間に、決して聞こえはしない声で、好きだとつぶやいてしまう。承太郎は、自分の声の小ささを情けなく思いながら、幼じみた意地を張って、相変わらず両手はポケットに入れたままだ。
 結局のところ、好きだと先に伝えてしまうのも、花京院をそうしたいと思う通りに抱きしめてしまうのも、何となく負けた気になるような気がすると言う、至って下らないプライドのせいだった。
 振られるのも、嫌われるのも恐ろしい。時を止めるスタンド使いだろうと、こればかりはどうしようもない。
 抱き返さないくせに、いつの間にか花京院に自分の体を押しつけるようにして、花京院の背中は突き当たりへ行き当たっていた。ずれていた帽子が、ついに頭から滑り落ちる。足元をころころ転がってどこかで止まった音を聞いて、ふたりはまだ鼻先の触れ合う近さで見つめ合っている。
 花京院が、眠るのかと思うような間遠な瞬きをして、それから、承太郎の唇へ息を吹き掛けるように、きちんと聞こえる声でささやいた。
 「好きだ。」
 自分が先に言うのはいやだと思っていたくせに、こうして先に言われてしまうと、それはそれで悔しさがふっと湧いて、承太郎はそんな自分を胸の内で罵った。
 おれもだと、唇が動く前に、素早くポケットから出した両手で乱暴に花京院を抱き寄せて、歯のぶつかるような勢いで唇をまた重ねる。
 八つ当たりのキスは、恐らく情熱の現われのように花京院には思えたろう。承太郎はもう一度自分を罵って、それでもキスはやめないままだった。

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