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30日間好きCPチャレンジより

29 - Doing something sweet / 素敵なことをする

 図書室へ行くために、花京院は時々朝早く登校する。
 昼休みも放課後も寄るのに、朝までわざわざ家を出る時間を繰り上げて図書室へ顔を出す花京院を、承太郎は変なヤツだぜと言う簡潔な言い方で表して、自分も本を読むのは嫌いではないくせに、学校の図書室はそこが学校の一部と言うだけで敬遠したいらしい。
 花京院は花京院で、そんな承太郎の学校嫌いをちょっと揶揄したい気分も味わいながら、互いの趣味や傾向には敬意を持って、互いを糾弾し合うようなことはしないふたりだった。
 学校へ着くと、図書室へ向かう前に、3年生たちの下駄箱の方へ行く。承太郎の靴箱へ、小さな手紙を置くためだ。
 細かく区切られた棚の、承太郎のそれは誰もが想像する通りいちばん上で、しかも上履きのかかとが棚の外に少しはみ出している。完全に規格外の身長に、ありがたくもなく釣り合った足の大きさの、けれど花京院の靴のサイズも、決して承太郎をただ笑ってもいられない。
 まだ無人の、しんとした校内の空気に、塵や埃がゆるやかに舞っているのがよく見える。その空気をそれ以上は揺らさないように気をつけながら、花京院は、しっかりと教科書の詰まったカバンの中からすでに折り畳まれた紙片を取り出して、承太郎の上履きの爪先の上へ、そっと乗せておく。
 ほんの数秒、奥に深いその棚の中で、上履きの白さに負けない紙片の白さへ目を凝らしてから、花京院はゆっくりと図書室へ向かう。
 旅の間に、ごく普通にスタンド同士で会話をすることに慣れ切ってしまい、ごく普通の日常へ戻ってからもその習慣をつい続けていたのだけれど、教室が別々の時には、花京院のハイエロファント・グリーンが承太郎のスタープラチナに話し掛けることはできても、逆はできないために、何となく花京院は気まずい思いをするようになっていた。
 承太郎が気にしていたとも思えないけれど、ごく平凡な日常の中で些細なことにスタンドを使い続ける非日常も何となく気になって、花京院はある日すっぱりと承太郎の教室にハイエロファントを送るのをやめ、普通の高校生の不便をきちんと味わうことに決めた。
 考えてみれば、承太郎たちに会う以前、自分と同じスタンド使いに出会ったことはなく、スタンド使いゆえの不都合に辟易していたはずなのに、スタンド使いの友人を身近に得た途端、掌を返したようにやたらとスタンドを使うと言うのも何となく筋の通らない話だと自分で思って、花京院は承太郎とは単なる高校生同士と言うスタンスを、基本的には貫くことにした。
 承太郎の方は別にこだわりもせず、花京院も自分の決意を改めて承太郎に伝えたわけではなかったけれど、花京院がハイエロファントをあまり出さなければ、承太郎のスタープラチナを必要もなく呼び出したりはしないと言うわけで、ふたりは何となく、普通の高校生と言う枠に、何とか収まっている。
 ある日、放課後すれ違ってしまい、花京院は承太郎と一緒に下校できなかった。ハイエロファントで校内を探れば、承太郎の居所はすぐに分かったろう。けれど花京院はそうせず、いつもならふたりの通学路を、ひとりとぼとぼと帰宅した。
 その夜、承太郎に電話をして、放課後どこにいたんだと訊こうと思いながら何となくそうできず、代わりに、花京院は短い手紙を書いた。ルーズリーフに数行、昨日は無理だったが、今日は一緒に帰れるかなと、できるだけ淡々と記して、その紙を丁寧に四つ折りにして、そうして翌朝早く、承太郎の下駄箱へ入れておいた。それが始まりだった。
 結局承太郎が見当たらなかった理由を、翌日の放課後承太郎本人から聞き──放課後直前に、別の学校の生徒たちに呼び出されたのだそうだ。もちろん承太郎の圧勝で終わった──、ふたりはいつものように通学路を肩を並べて家に帰った。
 それから、ぽつりぽつり、花京院は何となく承太郎の靴箱にそうやって短い手紙を残すようになり、3回に1回くらいは、承太郎から返事も来るようになった。きちんと真新しいルーズリーフに書かれた花京院のそれと違って、承太郎のはプリントを半分にちぎった裏側だったり、どうやら満点だったらしいテストの下半分の裏側だったり、いかにも学校嫌いを公言して憚らない承太郎のやりそうなことだと、花京院は自分の靴箱の中に受け取るたびに毎回苦笑する。
 手紙の中身は他愛もないことだ。授業であったことや、先生や他の生徒が言ったことや、夜に見たテレビの面白かった映画のタイトルと感想だとか、図書館で借りた本があまりにつまらなかったことへのちょっとした愚痴だとか、あるいはひとりで歩いていて見かけた雑草の小さな花の可憐さだとか、特に返事を求めているわけでもない一方的なそれへ、承太郎が時折気まぐれのように妙に丁寧に返信をして来るのに、花京院は意外な嬉しさを感じて、今ではひそかにこのやり取りに夢中になっている。
 きちんと罫線に沿った、絶対にそこからはみ出さない花京院の丁寧な字と、大抵は白紙のそこへ投げ出すように書かれた、乱暴に見えてきっちりと読みやすい承太郎の字と、花京院のそれを承太郎がどうしているのかは分からないけれど、花京院は受け取った承太郎の手紙を、全部自分の机の引き出しに、受け取った順にしまっていた。
 何だかまるで、交換日記みたいじゃないか。花京院は、承太郎の字を指先に撫でながら、時々思う。
 そんなつもりで始めたことではなかったけれど、承太郎が応えてくれるのがうれしくて、承太郎に強制したような形になってしまったことは、心の片隅でわずかに後悔しながら、それでもあの承太郎が、したくもないことをわざわざし続けるとも思えず、返事をくれるなら別に嫌がってはいないのだろうと都合良く解釈している。
 今も白紙のルーズリーフを目の前に、ついさっき自分で淹れた紅茶が改心の出来で、君にも飲んで欲しいくらいだったと書き終えてから、その紙を折り畳む前に、ハイエロファントを使っていたとしても、わざわざこんなことを伝えようとは思わなかったはずだと、角ばった自分の字を眺めて思った。
 こうして、わざわざペンを取って書くのだからこそ、伝えたいと思うことができるのだ。気軽に、手軽に、ハイエロファントを承太郎の許へ送り込んで伝えるなら、多分紅茶の出来などわざわざ伝えようとは思わないだろう。スタンド同士の会話で伝えたいことと、こうして紙に書いて読んで欲しいこととは違うのだ。
 承太郎がいなければ、こうして毎日のように手紙を書いて伝えたいなどと、思いもしなかったろう。
 承太郎だからだ、と花京院は思った。承太郎にだから伝えたい。承太郎にだから読んで欲しい。返事は目的ではない。承太郎に伝えることが目的なのだ。こうして、目に見える形で、後に残る形で、承太郎へ伝えたい。何かを伝えたい。それを承太郎が受け取ってくれているのだと感じて、花京院はそのことに、たまらない幸せを感じている。
 これがきっと、普通と言うことなのだと、花京院は思った。
 自分が、今この世界で、誰よりも平凡な高校生な気がして、思わずたった今書き終えたばかりの短い手紙に向かって微笑んでいる。平凡であると言うことは、何て素敵なことだろうと、花京院は思った。
 そのことを教えてくれた承太郎に心から感謝しながら、花京院はいつものように、丁寧に紙を折る。
 承太郎とだからできる、ささやかな楽しみ。隠れてしまった文字がそこで喜びに躍っているような気がして、花京院はもう一度、知らず微笑みを浮べていた。

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