期間限定花京院誕生日祭り


(11)

 「ノリアキちゃん、今夜はここで寝てね。」
 風呂から上がった後で、承太郎が連れて行ってくれた、父親のものだというギターだらけの部屋の近くに、ホリィが布団を敷いてくれた。
 客間なのか、床の間のあるその部屋は大きな座卓がひとつあるだけで、それも今は片隅に寄せられて、花京院のためにと敷かれた布団が、部屋の真ん中にふっ くら盛り上がっている。
 「寒くないかしら。」
 検分するように部屋を仕切る襖のところに立っている承太郎を振り返って、ホリィが言った。
 「一晩だけだ、死にゃしねえ。」
 風呂上りに、体を冷やさないようにと、パジャマ姿の花京院が着せられたのは、承太郎が昔使っていたという大きな半纏だ。
 それに包まれて、花京院は、ふたりのやり取りを聞いている。
 「寒けりゃ、その半纏ごと布団に入れ。」
 承太郎が、花京院の丸々とした姿にうっすらと笑みを浮かべて、けれどぶっきらぼうな口調で言う。
 元々愛想が良いというわけではない承太郎だけれど、親しさを増すと、よけいに乱暴な口を利くらしいと、今では花京院にも伝わっている。
 「じゃあ後は好きにしてね。何か欲しかったら、台所で適当にやってね。」
 ホリィは花京院に手を振り、にこにこと廊下を歩いて行ってしまう。花京院も承太郎も風呂を済ませて、これからホリィの番だ。
 「じゃあな。」
 ホリィを見送ってから、承太郎も部屋を出てゆく。障子を閉め、廊下を歩いてゆく足音に耳を澄ませてから、花京院はとりあえず布団の上に坐った。
 夕食の後で宿題をやったから、取り立ててこれ以上することもなく、素直に寝てしまえばいいのだけれど、人の家というのが珍しく何だか目が冴えている。
 結局明かりを消すことも、布団に入ることもせずに、花京院はそっと部屋を出た。
 意味もなく足音を忍ばせて、ゆく先は承太郎の部屋だ。
 中から漏れている明かりに安心して、そっとドアを叩く。
 「承太郎?」
 「おう、何だ。」
 すぐに声が返って来る。ドアを薄く開けて、顔だけ差し入れて、
 「承太郎、もう寝る?」
 もうベッドに足だけ入れて、長袖のTシャツにネルのパンツという、見ている方が寒くなりそうな薄着で、承太郎は表紙の厚い本を読んでいた。
 「まだだ。」
 読みながら、右手が脇の方で忙(せわ)しく動いているのは、どうやらノートを取っているらしい。
 「眠れねえか?」
 手を止めて、ちょっと心配そうに訊く。首を振って、花京院はドアの間に体を滑り込ませた。
 「・・・マンガ、読んでもいい?」
 この部屋に来た時に、本の好きな人間が必ずそうするように、本棚に並んだ背表紙には、素早く目を滑らせていた。よく理解できないタイトルの、ぶ厚い本混 ざって、いかにも子ども心をそそるマンガがずらっと揃っていたのを、花京院は見逃さない。
 ドアからほぼ正面、部屋の一番奥にある机の傍にある本棚を指差しながら花京院が訊くと、承太郎は好きにしろと、そちらへ向かってあごをしゃくる。
 花京院は途端に目を輝かせて、本棚の方へ小走りに駆け寄った。
 本の重さを考慮してか、大きな本棚の真ん中辺りに、きちんとまとめてあるそれの背表紙を、花京院はわくわくと指先でなぞる。知っているタイトルもいくつ もあったし、聞いたこともない名前もある。
 10巻以上続いているのは、とても今夜中に読めそうになかったから、知らずにちょっと唇を突き出して諦めて、3巻だとか5巻だとかで終わっているらしい のに目をとめる。
 とりあえずこれと、3巻ほどのを片手で抜き出して、その場に坐り込んで早速読み始めた。
 ベッドに坐っている承太郎に背を向けた形だったのだけれど、開いた本に向かって丸まった花京院のその背に、おい、と承太郎が声を掛けた。
 「そんなところで、寒くねえか。」
 座布団もクッションもない、木の床に直に坐っていることに、そう言われて初めて気づく。確かに、少し寒い。
 「ここに来い。」
 布団を軽くめくり、枕の辺りを承太郎が叩いて見せる。
 他人のベッドに図々しく上がったことなどない花京院は、承太郎の誘いに戸惑って、けれど承太郎はベッドの長い辺で壁に寄り掛かっている姿勢だったし、 ベッドも大きかったから、花京院がもぐり込んでも、迷惑ではなさそうだった。
 どうしようかと、ちょっとの間肩を縮めて考えて、
 「早く来い、風が入っておれが寒い。」
 布団を持ち上げたところをまた叩いて、ちょっと声を高くして、承太郎が呼ぶ。
 花京院は慌てて本を抱えて立ち上がると、足音を忍ばせてベッドへ飛び乗った。
 承太郎の足と直角になるように爪先を差し入れ、ヘッドボードへ寄り掛かろうとした花京院の方へ、承太郎の腕が伸びて来る。
 「枕当てねえと、背中が痛くなるぞ。」
 その上に坐り込んでしまっている花京院の方へ体ごと乗り出して来て、承太郎はまるで花京院を抱きかかえるようにして腰をずらさせ、そこから引き出した大 きな枕を、花京院の背中へあてがってやる。
 いつもより薄着の承太郎が目の前にやって来て、自分の前に覆いかぶさるのを、花京院は思わず息を止めて見つめていた。
 着ている大きな半纏のせいで動きにくいのを、承太郎の腕がごく自然に助けるように動き、花京院の肩や背中に触れてゆく。家族とすら、こんなに近く触れ合 うことなどない花京院は、承太郎の大きさにも温かさにも、ただ戸惑うばかりだった。
 花京院の位置が決まると、今度は半纏の前をきっちり首まで合わせてやり、布団を胸元近くまで引き上げて、そうして、仕上げにそこをぽんぽんと大きな手で 叩いて、おまけに膝の上に取り出して来た単行本を乗せ、これで良しと、やっと承太郎がまた自分の場所へ去ってゆく。
 承太郎が苦しいほどきちんと合わせてくれた半纏の前に唇近くまで埋めて、花京院は子ども扱いにちょっとだけ腹を立てて、けれどそれがそれほどいやではな いことに、頬を赤らめた。
 何事もなかったように、承太郎は読んでいた本へ戻ってゆく。花京院も、埋まりそうに長い半纏の袖から指先を伸ばして、読みかけのマンガを取り上げた。
 花京院が本棚から選んだのは、バイク乗りの少年の物語らしく、ちっともかっこよく見えない主人公が、ちっともかっこよく見えないバイクを乗り回して、ど こかの誰かに挑戦されてどうとか、ページをめくる前に先が読めてしまうありがちな内容だったけれど、絵に妙な迫力があって、花京院はすぐに引き込まれてし まった。
 ちょっと爪先をごそごそやると、そこに伸びている承太郎の足に当たる。びっくりして足を引っ込めると、承太郎が布団の中に手を差し入れて、花京院のつま 先を握りに来た。
 「冷てえ足しやがって。」
 くすぐったいよりも、素足を触れられたことに驚いて、花京院は思わず頬を染める。
 承太郎の大きな掌が、花京院の爪先を両方ともまとめて握り込み、まるでそうやって温めるように、親指の腹で足裏を撫でる。
 「・・・くすぐったいよ。」
 うそではなかったけれど、わざわざ言うほどではなかった。けれどそうしているのが何だか照れくさくて、花京院はわざと足を引っ込めようとした。
 さすがに承太郎も、本を読みながらノートを取るのに両手が必要だったので、いつまでもそうしているわけには行かず、適当なところで花京院から手を放し、 けれど爪先を自分の膝裏辺りに差し入れさせて、また本へ戻ってゆく。
 部屋の中は確かに寒かったけれど、布団の中はふたり分の体温で、充分過ぎるくらいにあたたかかった。
 花京院が3巻を読み始めた頃、承太郎がぱたんと、膝の上で本を閉じた。
 「寝るの?」
 「そろそろな。」
 本とノートとペンをまとめ始めた承太郎を見て、花京院は急いでマンガを片手に、ベッドを飛び降りる。
 「じゃ、僕も、お休みなさい。」
 マンガをこの部屋から持ち出していいかと訊くのは厚かましいかと、片手に抱えたマンガを見下ろして考えている隙に、承太郎が訊く。
 「どこに行く。」
 承太郎の質問に驚いて、花京院は廊下の方向を指し示しながら、ちょっと眉をしかめた。
 「・・・どこって、あっちの部屋・・・。」
 ホリィが布団を敷いて用意してくれた部屋に決まってるじゃないかと、表情に出して答えると、承太郎はなぜかちょっと怒ったような顔をして、花京院の方を 見ずに言った。
 「あの部屋にひとりで寝るのは寒いぞ。」
 だから半纏を貸してくれたし、寒ければ着たまま寝ろと言ったのは承太郎じゃないかと、今度は表情に出さずに思う。
 「めんどくせえからここで寝ろ。」
 枕の位置を元に戻しながら承太郎がさらりと言う。やっぱり花京院の方は見ないままだ。
 「え、でも・・・」
 せっかく用意してくれたホリィに悪いじゃないかと、言わないところを聞き取ったらしい承太郎が、またちょっと不機嫌に口元を曲げる。
 「ここにひとりじゃ、おれも寒い。」
 これから戻る部屋の布団の冷たさを思って、花京院は思わず納得してしまった。
 今立っている床から忍び上がって来る寒さにも、そろそろ耐えられそうにない。
 承太郎のベッドの中は、ふたり分の体温でもう充分にぬくまっている。布団が温まる間、ひとりで震えていなくてもいいのだ。冬の夜に、それはとても魅力的 なことだった。
 「・・・じゃあ、そうする。」
 マンガを重ねて床に置き、半纏を脱いで、その傍に置いた。承太郎の手から本とノートを受け取って、それも床に置いた。
 壁際の方へ、枕もなしに承太郎が横になった傍へ、できるだけそっと、体を滑り込ませてゆく。
 枕に頭を乗せ掛けたところで、
 「あ、電気。」
 明かりが点けっ放しなことに気づく。
 「ドアのところにスイッチがある。」
 壁に向いたままで、承太郎がぶっきらぼうに言う。
 花京院は肩をすくめて、また冷たい床の上に降りた。足音をさせずにドアのところへ走って行って、明かりを消して、床の上のものを蹴らないように注意しな がら、ベッドへ戻って来る。今度はもう遠慮はせずに、布団の中へ飛び込んだ。
 すでに温かい承太郎の背中が、くるりとこちらを向いて、じたばたと布団の中に行儀良く収まろうとしている花京院の手を取った。
 「氷みたいだな。」
 「承太郎のもあんまりあったかくないよ。」
 「手がかじかんで、ペンが持てなくなる。」
 「うん、だから冬の間は、勉強する時は夜遅くやらないんだ。」
 「おれのは宿題じゃねえからな。」
 腕枕で花京院の方を向き、その承太郎に片手だけ預けて、花京院は天井を向いている。首まですっぽり埋まった布団の中で、承太郎の体温が、驚くほど近い。 あたたかくて、今夜ここでぐっすり眠れそうなことだけは確かだ。
 「・・・明日、もうちょっと宿題やったら、帰るまでマンガ読んでていい?」
 「好きにしろ。何なら明日も泊まって行くか。」
 あたたかく眠れる冬の夜と同じくらいに、魅力的な申し出だった。
 けれど一瞬だけ、瞳をまぶたの方へ押し上げて考えてから、花京院は気が変わらないうちに首を振る。
 「・・・明日帰るって言ったから、明日は帰る。」
 そうかと、承太郎の声が残念そうに聞こえた。
 「でも、次、また泊まりに来てもいい?」
 自分の方へ顔だけ向けた花京院の瞳が、期待に大きく見開かれているのを見て、承太郎は笑いをこぼした。
 温めるために---自分が、あたたまるために---触れていた花京院の手を放し、その手で、花京院の髪をくしゃくしゃにする。
 「いつでも来い。何なら、ひとりで来てもおふくろは大歓迎だろうぜ。」
 はははと、承太郎の答えに声を出して笑う。
 それから、花京院は布団の中に口元まで埋めて、
 「お休みなさい。」
 腕枕のまま、また壁に向かって肩を回す承太郎の背中に、小さく言った。
 「おう。」
 短く応える承太郎の背中に顔だけ向けて、花京院は、あたたかなベッドの中でじきに眠りに落ちた。


    戻る