期間限定花京院誕生日祭り


(12)

 のんびりと起き出して、遅い朝食を取り、その後は、何やら書き物があるらしい承太郎と一緒に、こたつとテレビの置いてある部屋へ連れてゆかれ、ふたりで向かい合わせで、別々のことをして過ごした。
 承太郎は、ぶ厚い本を何冊かこたつのテーブルの上や床に開いて並べ、それを読んでは紙に何か書くことに没頭している。花京院は、承太郎の部屋から持って来たマンガを自分の傍に積み上げて、これも一心不乱に読んでいる。
 ホリィは、やたらと品数の多い昼食をふたりのためにその部屋に運んでくれ、承太郎は食べる間も、ノートから目を離さない。
 「食べながら何かするのは、行儀が悪いと思う。」
 別に承太郎を咎めるつもりはなく、ただそれは自分の意見だという口調で、母親が作ったのとは味の違う味噌汁とおにぎりをほうばりながら、けれど口の中は空にして、花京院が言う。
 「やかましい。黙って食え。」
 これもまたノートから顔を上げずに、承太郎が言う。
 玉子焼きにきんぴらに豆の煮物にほうれん草の白和えに牛肉の佃煮と、味噌汁の具は豆腐とわかめと油揚げだ。おにぎりはきちんと三角で、海苔が巻いてある。
 小学校の家庭科で、こんな献立を習ったなあと、どこから見ても外国人のホリィが、あの台所でこれを作る様を想像して、花京院は失礼かなと思いながら、小さく笑った。
 「おいしい。」
 玉子焼きは、花京院の家のよりも甘い。味噌汁はちょうどいい具合に薄味で、けれど出汁が何なのか、香りが違う。箸の先にすくい上げた豆腐は、絹ごしではなくて木綿だ。
 「おう、そうか。」
 煮豆を口に放り込んで、承太郎が初めて花京院を見た。花京院に向かって微笑んで、片手で持ち上げた椀から味噌汁を飲み、口を動かしながらまたノートに戻る。
 学校で食べるようにではなく、花京院はゆっくりと口を動かして、一口一口を、なるべく長く味わおうとした。
 「冬休みの宿題、どのくらい残ってる?」
 突然、承太郎が訊く。
 承太郎は、やっと開いたままのノートにペンを置き、正面を向いて、きちんと両手で食事を始めた。
 「あんまりないよ。数学はほとんど終わってるし、英語は英作文が終わってて、単語の復習をやらなきゃいけないけど、テストで間違った分だけだし。読書感想文がふたつあるけど、もう本は読んじゃってるから、後は書くだけだよ。」
 「感想文か。」
 いかにも忌々しげに言うのに、花京院は口元に運びかけた箸を止めた。
 「感想文嫌い?」
 「でぇっ嫌いだな。あんなもん書くくらいなら、六法全書を全部書き写す方がましだ。」
 僕はあんまり嫌いじゃないな。思ったこと書くだけだし、みんなどう書けばいいかわからないってよく言ってるけど、原稿用紙を埋めるだけなら、本の表紙の裏とかに書いてあることを、そのまま写せばいいだけだもん。」
 「ひでえズルだな。」
 承太郎が、不意に子どもっぽく笑う。その笑顔に見惚れて、花京院はあやうく椀を持つ手が滑りそうになった。
 「まあ、おれも大学時代のレポートは、引用ばっかりで字数稼いだ口だがな。」
 「今書いてるのもレポートなの?」
 「論文のメモだ。どの本からどの部分を使うのか、こうして書き取るうちに、少しずつ中身がまとまって来るんだ。」
 ふうん、と椀を持ったまま、承太郎が視線を移した先の、ノートを見やる。
 大学ノートが、細かな字でぎっしり埋まっているのはわかる。それがメモだとすると、論文というそれ自体は、一体どれほどの量なのかと、今までに原稿用紙に5枚までしか作文は書いたことのない花京院には、想像すらできない。
 学校で使っているノートとは、大きさは同じでも見かけの違う大学ノートは、承太郎がとても大人である証拠のひとつに見えた。
 食事が終わり、テーブルが片付けられると、また承太郎は本に目を落とし、花京院も、背中を丸めてマンガの世界に戻った。
 そうやって午後を過ごし、夕食は打って変わっていかにも西洋風の、トマトソースにひき肉のたっぷり入ったパスタ──ホリィがそう呼んだ──を振る舞われ、オリーブオイルと酢の匂いのするサラダと一緒に大皿に山と盛られたそれを、承太郎は顔色も変えずに平らげ、それに倣って、花京院も必死にフォークにスパゲッティーを巻きつけて口に運んだ。
 夕食の後で承太郎の部屋にマンガを返し、荷物をきちんとまとめて、忘れ物がないかもう一度確かめてから、空条家を辞去する。
 「また来てね。今度はもっと長く泊まって行ってね。」
 ホリィが、もう靴を履き終って、玄関で深々と頭を下げる花京院に向かって言う。にこやかな口調に、ほんとうに名残り惜しいという響きがあって、花京院も、口には出さないけれど、できることならもう少しいたいと、そう思った。
 「承太郎と一緒じゃなくてもいいのよ。次の時はノリアキちゃんの好きなもの作るわ。」
 そんな約束がもうできているのだと、うっかり錯覚しそうなうきうきしたホリィの調子に、思わず花京院は照れて頬を赤らめる。
 背中のギターケースが滑り落ちないように、しっかりと肩に回ったストラップを握りしめてから、花京院はもう一度ホリィに向かって頭を下げた。
 「言っとくが、あれは本気だからな。おれがいなくても平気なら、好きな時にひとりで来い。」
 もうすっかり暗い住宅街を、昼間よりも慎重な運転で進みながら、前を向いたままで承太郎が言う。
 でも、と驚いて花京院が何か言うのに声をかぶせて、承太郎が言い継いだ。
 「行きたい時は遠慮せずに言え。いつでも連れて行ってやる。」
 花京院を玄関で降ろして、じゃあなとそのまま去って行く承太郎の姿と、それをにこにことただ見送るホリィの姿が浮かんだ。あまり違和感がない気がして、何だか妙だと自分でも思う。
 「でも、承太郎の家なのに。」
 「客は客扱いだが、次の時は息子呼ばわりくらいは覚悟しとけ。鬱陶しくて悪いが、害はないから好きにさせておけばいい。」
 何ともぞんざいな、けれど承太郎らしいと言えば言える、母親であるホリィへの評だ。
 ホリィに息子呼ばわりされれば、それは承太郎と兄弟ということかと、そこへ行き当たって、何だかひどくうれしくなった。浮かれかかった自分を咎めるために、花京院は上着の胸元を、ぎゅっと握った。
 車が少ないせいか、思ったよりも早く自分の家に近づき、見慣れた家並みに気づいてから、ちょっとだけ淋しくなる。まだ家に帰りたくない気がした。承太郎と、車の中で、もう少し長く一緒にいたかった。
 家の手前の角を曲がったところで、ようやく勇気をふりしぼる。軽くブレーキを踏みかけた承太郎へ向かって、小さく呼びかけた。
 「承太郎。」
 「何だ。」
 「コンビニに行きたい。」
 ここまで、少なくとも4、5軒コンビニがあった。だから花京院の唐突なお願いに、承太郎は当然怪訝な顔を向ける。
 花京院は、しまったと薄い肩を小さく縮め、いっそう深い上目遣いで、承太郎を横目で見やる。
 「別に、行かなくてもいい。でも、もうちょっとだけ、まだ家に帰りたくない。」
 車がまたスピードを元に戻し、花京院の家の前をそのまま通り過ぎる。それから適当に角を曲がり、花京院の家から遠ざかり、そこから来た大きな通りへまた向かい始める。
 「ごめんなさい。」
 「なんで謝る。」
 スピードをやや落とし気味に、来た道をそのまま戻りながら、静かに承太郎が返す。機嫌を損ねたようには聞こえなかったけれど、むしろ無愛想ないつもの声だから、承太郎の考えていることがわからずに、花京院は自分のわがままを恥じて下を向いた。
 「・・・楽しかったら、すごく楽しかったから、まだ家に帰りたくない。」
 うつむいたまま言うと、ふっと空気が揺れた気配があって、それが呆れたという苦笑だったのか、それとも花京院の子どもじみた態度を、それはそれとして微笑ましいと思ったものだったのか、花京院はそれを読み取り損ね、顔を上げた時には、もう承太郎はいつもの、何とも読めない表情に戻っていた。
 花京院が見ているのを知っていて、大きな肩を小さくすくめる。
 「本屋に寄るからちっと付き合え。」
 そういうつもりだったのか、それとも花京院のためにたった今思いついたことなのか、承太郎は車の向かう方向を少し変えて、それきりまた特には何も言わず、もっと大きな通りを、明るい方へ向かって走ってゆく。
 見たことのない道筋と、運転席の承太郎を交互に見ながら、花京院は照れて肩をすくめた。
 あらゆる場所から隔てられた、承太郎が運転する、承太郎とふたりきりの車の中で、花京院は、自分がひどく素直になっているのを感じていた。
 いろんな、他愛もない、下らないことを、思ったままに口にしたい気分だ。こんな道は通ったことがないとか、何の本を買うのかとか、今日はあんまり星が見えないとか、月が見えないのが残念だとか、ホリィのことがとても好きになりそうだとか、パスタがおいしかったとか、また承太郎が歌うのが聞きたいとか、承太郎といると、とても楽しいとか、そんなことだ。
 窓に寄っていた体をまた助手席の中に戻して、花京院は承太郎の方を見た。
 どこか遠くへ一緒に行こうと、そう言いたくなって、けれど慌てて口を閉じる。唐突過ぎると思ったから、それはまたいつかと思った。思いながら、唇の端に浮かぶ笑みを、花京院は消すことができない。


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