期間限定花京院誕生日祭り


(14)

 承太郎は大きな店で筆記用具が見たくて、花京院はギターの弦とピックが欲しいと言って、車で出掛けるには少し面倒な大きな街へ出るのに、それなら電車で出掛けるかと、花京院の宿題も承太郎が作った昼食も終わってしまった土曜の午後、ふたりは揃わない歩調で駅へ向かった。
 財布だけポケットに入れた身軽な格好で、承太郎の大きな歩幅を花京院は必死で追い駆け、承太郎はまだずいぶん下にある花京院の薄い肩──それでも、進級した頃からみるみる厚みを増している──を時折斜めに見下ろして、友人にも兄弟にも見えない奇妙な組み合わせは、同じように駅へ向かう人込みの中で否応なく目立ちながら、路上では口数少なく足を前に運んでいた。
 承太郎がまとめて買おうとした目的地までの切符を、花京院は母親からもらった小遣いがあるから大丈夫だと固辞し、夏には15になる少年はもう常に甘やかされることをよしとする子どもではないのだと改めて思い直して、承太郎はそれ以上は何も言わずに、黙って自分の切符だけを買った。
 プライバシーの侵害かと思ったけれど、ちらりと覗いた花京院の財布は合皮だったとしても見掛けはしっかりとした二つ折り財布で、すでに適度に使い込まれているその中には、それなりの枚数の紙幣が入っているのが見えた。
 月に2、3度は承太郎のところへギターと宿題を抱えてやって来るのが当たり前になり、それは課外授業でも何でもなく、ただ友人同士の付き合いだと花京院には言ってあったから、それが花京院の両親にどう伝わったものか、三度に一度は手土産持参だったり、承太郎の分もと昼食代わりの差し入れを持って来たりする。それも承太郎の台所事情を混乱させないようにと、事前にこれこれこういうものをこの程度持たせるが大丈夫かと、花京院の母親から必ずまず連絡があった。
 最初は気を使われると花京院との付き合いも面倒になると断ったけれど、その程度の気遣いをさせてもらえないなら、むしろこちらが心苦しくて息子を遊びに行かせられないと、口調に暗に承太郎の花京院の扱いには深く感謝しているのだと気づかせたいらしい含みが感じられたから、何もかもをストレートに表現する自分の母親を思い出して、承太郎は思わず受話器に向かって苦笑していた。
 手土産や差し入れの頻度も、承太郎が恐縮したりしないようにと考え尽くされた風に適度で、半分日本人でない自分の育ち方を、承太郎はすっかり大人になっている今頃になってあれこれと考えるようになっていた。
 これがいわゆる純粋な日本人の標準ではないだろうけれど──と、承太郎は信じたかった──、あらゆることに隙なく気を配り、兄弟のない花京院をひとり好き勝手にさせているように見えて、躾けはきちんと行き届いているし、どこに出しても恥ずかしくない息子だろう花京院を眺め、承太郎はつくづく自分の、いわゆる良い子では決してなかった子どもの頃を思い出して、時々、ほんとうに時々、少しだけ恥ずかしくなることがある。
 この年頃の子ども──というには、少しばかり育ち過ぎているけれど──に、それなりの額の金を与えて、ひと回り以上年上の成人の男のところへひとり遊びに行かせるのはどういうものかと思うと同時に、それは両親からの花京院への信頼の証でもあり、同時に花京院が懐いている自分への信用の証拠でもあると思って、けれどこういうところが花京院が同じ年頃の少年たちとうまく付き合えない要因でもあるのだろうと、だからそれをどうこうと言うことはなく、改札を通り抜けながら承太郎は考えるともなしに考えていた。
 半分日本人ではないと言うのが主な理由で、承太郎は同じ年頃の子どもと上手く付き合うことができず、友人とベタベタしたいと思ったこともないまま大人になってしまった。花京院の方は、この子どもらしくない思慮深さが、大人にも子どもにも気味悪がられるのかもしれない。
 少しばかり違う理由で人付き合いの下手なふたりの組み合わせは、一体誰がどう意図したものか、見掛けと同じほど奇妙な分、他人の理解を必要とせずに、驚くほど自然に上手く行っている。ほんとうに不思議だと、年の離れた、自分よりもまだずいぶんと体の小さい友人が自分の隣りに添って来るのに、承太郎は思わず目を細めた。
 目当ての電車を待つために、向こう側のホームへ行こうと階段を半分上がったところで、ふたり同時に、一番上にいる車椅子に気づいた。
 ふたり一緒に、あと声を上げて、車椅子の中にいる、少なくとも半身が麻痺しているらしい成人の男を不躾けに見つめ過ぎたりはしないように気をつけて、けれど車椅子を押している保護者か介護人らしい中年の男へは、しっかりと意思を伝えるために強い視線を送った。
 それだけのことを何の目配せもせずに同時にやって、ふたりはそれから小走りに階段を急いで上がって行った。
 階段を上り下りする人たちはそれなりにいたけれど、車椅子を階段から下ろすのを手伝おうと意思表示したのはふたりだけだったらしく、目の前に立った承太郎の背の高さに驚きながらも、介護人らしい男はあからさまにほっとした表情を見せる。
 「駅員さんに言いに行こうかと思ってたところだったんですよ。」
 大きくはないこの駅には、車椅子用のエレベーターもゆるい傾斜もない。向こうのホームからの階段はどうやって上がって来たのだろうかと、ふたり同時に疑問に思ったけれど口には出さなかった。
 「そこで待ってろ。」
 裾の長い上着は、車椅子の車輪に巻き込まれると面倒だから、承太郎は手早く脱いだそれを花京院に手渡しながら短く言う。
 もうひとり手があった方がいいと、承太郎が見回した視線につかまった別の男が、どうせ自分も同じ方向へ行くついでだからと言う風情で、
 「手伝いましょうか。」
と声を掛けて来る。
 花京院は、大人の男が3人掛かりで車椅子を持ち上げ、小さく声を掛け合いながらゆっくりと階段を下りてゆくのを、承太郎の重い上着を抱えて、じっと見守っていた。
 長い階段の下へたどり着くのには思ったより時間が掛かり、真ん中にある踊り場的な場所で皆が一度手足を休め、そうしている間にふたりが乗るはずだった電車は向こうのホームに着き、ふたりを待つはずもなく扉を閉じて走り去ってゆく。駅を出る人たちの波が、ちらほらと車椅子を追い越してゆく。花京院は、それを見つめながら、ちょっとの間唇を噛んだ。
 やっと下に着き、3人目の男は急いでいる風に軽く頭を下げながら去ってゆく。車椅子の男が何か言った声が聞こえたけれど、花京院にはその言葉はよくわからなかった。保護者の男は承太郎に向かって頭を下げて、承太郎はそれに軽く応えただけで、改札の方を指差して何か言う。男は手を振って断る仕草をし、今度は承太郎が先にふたりに向かって浅く頭を下げた。
 去ってゆくふたりを数瞬見送ってから、承太郎は無人の階段を2段飛ばしで駆け上がって来る。
 花京院が差し出した上着を受け取ってその場で袖を通しながら、
 「次の電車まで待つことになったな。」
 合意の上のことだとは思ったけれど、一応は待たせることになって悪かったと、口調に含めて言ってみる。花京院は肩をすくめ、別にと言う風にうっすら笑って見せた。
 「あの人、駅から出てから大丈夫かな。」
 爪先を揃えて歩き出してから、花京院が小さな声で訊く。
 「迎えが来てるはずだそうだ。車で移動なら大丈夫だろう。」
 そっか、と珍しい子どもっぽい口調で返してから、あのねと言葉を継ぐ。少し言い淀んだ後で、同じように歩調がゆるんだ。
 「まだ小学校だった時に、同じようなことがあったんだ。父さんと母さんと出掛けて、駅で階段の上で車椅子の人がいてね、僕、何も考えずに手伝おうとして近くに寄ったんだ。」
 ホームへ下りる階段の上に、ふたりは一緒に立ち止まった。
 「そうしたら、父さんに肩をつかまれて、おまえはやめておけって言われたんだ。僕は母さんと一緒にそこにいて、父さんが車椅子を下ろすのを手伝ったんだ。」
 ジーンズのポケットに両手の指先を差し入れ、ちょっと肩を怒らせた形に、うつむいて話を続ける花京院を、承太郎は黙って見ている。
 「僕が手伝おうと思ったのにって、父さんは僕が言わなきゃ手伝う気なんかなかったくせにって、その時、黙って怒ってたんだ。ああいう時に手伝うのは大事なことだって学校で習ったから、僕はただ、言われた通りにしようと思ってただけなのに、なんて言うか、子どもがああいうところに口出すのはみっともないって、父さんも母さんもそう思ったんだと思ったんだ。」
 子どもというのがキーワードだ。すでに子どもではなくなりかけていた花京院が憤った気持ちは、承太郎にもよくわかった。けれど、体の小さな非力な小学生に車椅子を抱えるという手伝いは現実的に無理だと、承太郎がそう思った通りのことを、花京院が続けて言う。
 「後でね、家に帰った後に母さんに言われたんだ。ああいうことを手伝おうとする気持ちはとてもいいことだけど、自分ができることはちゃんと見極めなさいって。僕が自分のせいで万が一ケガでもしたら、迷惑が掛かるのは向こうの人だからって。」
 まだ11かそこらの花京院を、承太郎が電話で聞くと同じような口調で諌める花京院の母親の姿が、承太郎にははっきりと思い浮かべられた。
 「でもね僕ね、怒ってたから言ったんだ、父さんは手伝う気なんか最初はなかったくせにって。僕が言わなかったら、あの人はずっと階段の上で困ったままだったよって。」
 口調と声が、小学生だったという花京院に戻っているように、承太郎には思えた。いつもの聡明さも抑制もなく、花京院の声がかすかに震え始めていた。
 「・・・そしたらね、母さんが、ああいうことは助けられる方も怖いんだから、ちゃんと大丈夫ですって言わずに伝えられる人じゃないと、手伝いましょうって言われて、あなたじゃ頼りなさそうだからいやですって断るわけには行かないんだから、ああいうことは言う方も言われる方もそういうことを考えなきゃいけないんだって、そう言われたんだ。父さんはそういうこともわかってるから、むやみやたらに手伝おうとしたりしないんだって。そういうことをする時は、される相手のことをまずきちんと考えなきゃいけないんだって。相手をケガさせたり自分がケガしたり、そういうことが迷惑になるから、できないと思ったら一切手を出さないっていうのも大事なことなんだよって、母さんに言われたんだ。」
 そう言えば、花京院の母親は看護婦だったと、一見冷たいだけの言い訳めいた正論に聞こえるその言葉は、恐らく彼女自身の経験によるものだろうと承太郎は思う。
 学校で、教師に言われることがすべてではない。外に出ればそれがよくわかる。学校も教師も、物心ついたころから好きだと思ったことのない──勉強は決して嫌いではなかったけれど──承太郎は、むしろ教師の言う逆のことばかりわざとしていた、そんな困った生徒だったから、大人たちの言う何もかもを忠実に実行しようとする花京院の、ひどく素直な気持ちのあり方をまぶしいと感じていた。
 その大人たちも、それぞれに様々なことを言い、どれを正しいと思って花京院が受け止めるのか、それはもう何もかも花京院次第だ。まだ幼い花京院を、花京院の両親がそうとあからさまにはせずに、学校の言うことだけを盲目的に信じないように導いているのだと、色々なことが承太郎の胸の中をよぎった。
 花京院が承太郎になつき、承太郎がそれを進んで受け入れ、花京院の両親が言葉少なにそれを認めているのは、このふたりの奇妙な関係が、彼らにはそれなりに正しいものに見えているからなのだろう。
 承太郎が両親から受け取っていた──その頃は、そんな自覚はなかった──信頼というものが、確かにここにもある。違う形で、違うやり方で、花京院の両親は花京院を信頼し、花京院はあきらかにそれにきちんと応えている。
 考えながら、歳の違いや育ち方の違いを含めて、けれど自分と花京院はどこか似ているのかもしれないと、承太郎はふと思いついていた。
 「僕ね、もっと身長が伸びたらね、ちゃんと車椅子とか抱えられるようになったら、ああいう人たちを手伝えるかなとか思うんだ。もうちょっと掛かると思うけど、高校に入ったらきっと身長が伸びると思うからだから──」
 その時、ホームで電車がやって来るとアナウンスが流れた。
 花京院の頭に掌を乗せ、階段を下りようと促しながら、その頭の位置も、ひと月前よりも高くなっていることに、花京院本人はまだ気づいていないのかもしれない。踊るように階段を下りながら、承太郎は思わず微笑んでいた。
 「心配すんな、おれも身長が伸び始めたのは中3の秋だ。」
 「僕も承太郎みたいになれるかな!」
 2m近い身長は、祖父の国であるアメリカにいても邪魔なだけだと、どうやって花京院を失望させずに説明するかと考えながら、明るいホームへ下りてゆく。階段の一番下の段に、意図せず揃ったふたりの爪先が伸びる。承太郎の隣りの花京院の運動靴の大きさは、そこだけはもうちゃんと大人並みだ。
 滑り込んで来た電車のドアに向かって、ふたりは高さの揃わない肩を並べて、急ぎ足に歩いてゆく。


     戻る