期間限定花京院誕生日祭り
(2)
ポケットから、約束通りに持って来たLed Zeppelinのテープを出す前から、花京院は期待に目を輝かせていた。
ここ数日、そのことだけ考えていたと、その目が正直に言っている。承太郎が差し出したそれを、両手でこわごわ受け取って、早速中のカセットテープを取り出して、承太郎が丁寧に書いたレーベルの字を、いちいちうなずきながら読んでいた。
自分の書き文字が好きではない承太郎は、花京院があまり真剣にアルバムの曲名を読んでいるのに思わず照れて、また本棚の端に立てかけてあるギターケースを眺めているふりをする。
「あの、これ、いつ返せばいい?」
ちょっと言いにくそうにしてから、両手にしっかりとテープを持ったままで花京院が訊いた。質問の意図がよくわからなくてわずかに眉をしかめたのを、承太郎の不機嫌と取ったのか、花京院は慌てて付け加えた。
「ぼくあの、テープのダビングできないから、ちゃんと聞きたいから、しばらく借りててもいいかなって・・・」
なるほど、そういう意味かと、承太郎はちょっとだけ眉の端を下げた。
「返さなくていい。やる。そのために録ったヤツだ。」
「え、でもこれメタルテープだよ。」
いっそう慌てて、頬の辺りを突然真っ赤にして、花京院がちょっと叫ぶように言った。
普通のカセットテープの、軽く数倍の値段のするメタルテープは、確かに中学生や高校生には高嶺の花かもしれないけれど、承太郎にとっては、常に買い置きしてあるカセットテープの1本に過ぎない。
久しぶりにレコードを取り出してターンテーブルに乗せ、少しばかり大きな音でZeppelinが聞けたのも、花京院との約束のおかげだと思っていたから、別にそれを恩に着せる気もない。第一、中学生相手に少しぐらい大人ぶってみても、ばちは当たらないだろう。
「ガキが余計な心配しなくてもいい。」
そう言いながら、実のところ、30近い自分の年齢をわざわざ思い出すこともそうあるわけではなく、まだ14だという花京院を目の前に、承太郎はせいぜいで高校生くらいの心持ちでいた。
花京院は、戸惑いながらも素直に受け取る気になっているのか、ケースを胸の前に抱えて、いっそう目を輝かせている。頬の辺りに血の色が上がっていて、今すぐにでもデッキに放り込みたいと思っているのが、ありありと見えた。
「・・・ありがとう。」
生まれて初めてその言葉を口にするように、まるで教科書を音読でもするように、あるいは、外国語のように、花京院がぎこちなく発音する。
上目遣いにこちらをうかがっている花京院に目を細めて、友だちがいなくて両親が心配したあまりに、成績でも上がれば多少は学校で自信のある振る舞いができるかと家庭教師をつけることを思いついたという、承太郎には理解しがたい話を思い出していた。
打ち解けない態度はともかく、極めて礼儀正しいし、聞けば成績もこれ以上上がりようもない点数だったし、単にあまりに大人びていて、同い年の子どもたちとうまく付き合えないだけではないかと承太郎は思った。
同級生に何となく避けられているようだというのは、母親がイギリス系アメリカ人だった承太郎には覚えのある話だったし、花京院も承太郎と同様にひとりっ子で兄弟もいない。おまけに花京院の両親は仕事に忙しくて、承太郎がここにいる時に顔を合わせることは滅多とない。それを気の毒だと思うほど、特に恵まれた子ども時代だったとは自分のことを思わないにせよ、たかがテープの1本でこれだけ喜ぶ花京院は、自分が思う以上に他愛もない話をする相手もいないのかもしれないと、承太郎は無表情に考えていた。
手の中で、テープをケースのままいじくり回している花京院に、小さな声で断って、承太郎はまたギターを取り出す。
1弦から6弦までゆっくり弾き下ろしてから、その自分の手元を見つめている花京院を横目に見て、承太郎はまた自分の手元に視線を戻した。
「他に好きなのはなんだ。」
ごく普通の質問だと思ったけれど、花京院はあごが胸元にくっつくほど驚いた仕草をして、目を丸く見開いた。
どうしてぼくにそんなことをわざわざ訊くんだろうこの人、と言わない言葉が、目元の辺りに浮かんでいる。大人とまともに接したことがないのか、誰かが自分に興味を持つということ自体が珍しいのか、一体どちらだろうかと、承太郎は頭を振りたい気分を必死で抑えて、花京院の答えを待った。
「・・・えと、ポリス。」
「Police?」
「うん、ポリス。」
この間までのやけに大人びた態度は、一体どこへ忘れてきたのか、くるくる回る椅子に横向きに腰掛けて、花京院が言いながらこくこくうなずく。
「Policeで、なんでアコースティックギターだ?」
Aマイナーのコードを、束ねた指先でちょっと強く弾いて、承太郎はギターの曲線を掌でなぞった。
「・・・ほんとは、スティングが好きで、ベースギターって書いてあったの読んだから、それで買いに行ったら、ベースギターはギターじゃないよって言われて・・・おまけにベースは大きくて重いし・・・ネックが長すぎて、届かなくて、ひとりでチューニングできなかったから・・・。」
床の上で、靴下の爪先が重なって、花京院の戸惑いをよく表していた。
「エレキギターはうるさいからダメだって言われたし、ぼく、どうせ弾けないし・・・アンプがないと音が出ないとか、よくわからなくて・・・。」
中学生にエレキギターは贅沢だ。それには同意する。初めてでいきなりベースも、よほど好きな曲でもないと続かないだろう。それにしても、ネックが長すぎてチューニングができなかったと聞いて、承太郎は思わずひょろりと細長い花京院の腕を見る。
そうして、初めて、目の前の少年が、まだほんとうに子どもと言う方に近い存在なのだと、不意に思い知る。
伸びかけの身長に体重が追いつかずに、肩も胸もまだ薄い。細いから長く見えるだけの指は、そう言えばまだ掌は小さくて、骨張った両手首は、承太郎なら片手で軽々つかめてしまうだろう。
確かに、こんな薄い体でベースなんか下げたら、首や肩が折れそうだ。エレキギターだって、抱えたところで痛々しく見えるだけに違いない。
ピックガードを覆っていた掌を持ち上げて、承太郎はあごを撫でた。
「タブ譜は、読めるか。」
「たぶふ?」
「コードくらいわかるだろう。」
「AとかCとか、少しだけ。BmとかFは、練習したけど、押さえられなくて・・・。」
ちょっと唇を突き出して、花京院は申し訳なさそうに肩をすくめた。
「アルペジオは練習したか。」
「・・・簡単なのだけ・・・。」
なるほど、超のつくほど初心者だ。それはそれで教えがいがあると、承太郎は花京院のベッドの上で少し位置をずらして、自分の隣りを叩いて見せた。
「Zeppelin、弾けるようになりたいか。」
もう椅子から半分滑り落ちそうになりながら、花京院が丸く口を開いたまま、次の瞬間には、承太郎の隣りに腰を下ろしていた。
花京院の、揃えた膝の上にギターを渡してやりながら、骨ばかりが先に成長している肉の薄い指をつまんで、弦を正しく押さえる位置に導く。承太郎は、花京院の肩の位置に自分の幅広の肩を揃えながら、たどたどしく弦を弾く花京院の指先に、顔いっぱいで微笑みかけている。
滅多と笑うことがないという花京院と同じほど、そんな笑顔を浮かべることのない自分に、承太郎は気づかないまま、まだろくに音も出ない花京院のギターに、何もかもを忘れて耳を傾けていた。
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